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『政秀寺古記』を読む 第3話「尾張国之様」

第3話「尾張国之様」

 夫れ尾州は八郡にして上四郡に三奉行、下四郡に三奉行あり。一家の惣領・織田彦五郎殿、清洲の城に居を置き、六人として之を守り立て候。

 備後守殿は下三奉行の中の一人也。勝幡村に在城し給ふ。那古野と云ふ処も領知なれば、新城を構へ、嫡子・吉法師殿へ進ぜられ候時、家老・政秀共に四士付けられ候。(其内、第一政秀、亜父として青山与三右衛門、並、内藤庄助、林五郎左衛門等也。)政秀、元来、乳母の人也。

 角て、備後守殿、又、古渡と云ふ処に新城を拵(こしら)へ、居を移り給ふ。吉法師殿、十三の御年、右の四老人を供奉申し、古渡の新城にて御元服。織田三郎殿にならせ給ふ。

【現代語訳】

 そもそも尾張国は8郡に分かれていて、上四郡に三奉行、下四郡にも三奉行がいた。織田家の惣領・織田彦五郎信友殿は、清洲城を居城として住み、6人の奉行が守り立てていた。

 織田備後守信秀殿は、下三奉行の1人である。勝幡村の勝幡城を居城としていた。那古野という所も領地であったので、新城・那古野城を築き、嫡子・吉法師殿(後の織田信長)へ譲る時に、家老・平手政秀他3名、計4人の家老を付けた。平手政秀は、元は、家老ではなく、守役(織田信長の教育係)である。(織田信長が元服した時に家老になったという。)

 こうして、織田備後守信秀殿は、また、古渡という所に新城・古渡城を築いて居城とした。
 吉法師殿は、13歳の時、先のの四家老を伴って古渡城へ行って元服し、「織田三郎」と名乗られた。

【解説】

 原本注(後世に加筆)に、「其内、第一政秀、亜父として青山与三右衛門、並、内藤庄助、林五郎左衛門等也」とあるが、『信長公記』には、「嫡男織田吉法師殿に、一おとな・林新五郎、二長・平手中務丞、三長・青山与三右衛門、四長・内藤勝介、是れらを相添へ」とある。

※『信長公記』第1話「尾張国上下分かちの事」参照。

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