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正信偈10 「凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味」

正信偈 10
 
凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味
 
川の流れは様々です。急いで海に向かわんとするがごとく流れの速い川、穏やかにゆったりと流れる川、何度も湾曲を繰り返し遠回りするかのような川、まっすぐ海に向かう川、どの川も、その最後には海にたどり着きます。どんな川でも受け入れてしまうのが海であります。川のときには真に交わることのなかった川同士も、ひとたび海に入れば同じ海となります。仏は海です。私たちは川です。私たちの流れゆくその先は仏の海に繋がっており、ひとたび海に入れば、大いなる海におさめとられてしまいます。
 
凡聖逆謗というのは人の在り方です。良い人もいれば悪い人もいます。川の流れのように、いろんな人がいますが、その誰もが仏の海へと繋がっています。そして海に入ればみんな同じです。どんな川だったかは関係ありません。果てしなく大きい海とひとつになるのです。
 
コップ一杯の綺麗な水に一滴の毒を入れたらそれはもうコップ一杯の毒になるというたとえ話がありますが、海の場合はスケールが違います。太平洋であなたがおしっこをしても、太平洋はおしっこにはなりません。あまりにも大きすぎるから、それは影響を及ぼしません。私たちの意識を遥かに超えて大きいものに抱きとられていくのが宗教的経験であります。個々人の考えや思惑なんてちっぽけすぎるものです。
 
流されるままに流されていく。その繋がる先がハッキリしていると聞かされたからこそ、安心して流れていけます。

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