カイ
私の勉強人生(主に高校卒業まで)について、出来るだけ詳細に記載したい。私は今でも、勉強を大サボりした時期のことを何度も思い出してしまう。最近になって、どうして思い出してしまうのだろうと考えた。私があの時のことを完全に忘れてしまうと、当時の自分が全く救われない気がしてしまうからだと思いついた。だから、ここに記録しておきたい。ここに記録があれば、忘れても大丈夫。忘れても大丈夫なら、思い出さなくていい。/ここに書いてある内容を、無料で見れる場で話すことがあるかもしれない。300円は、早く、整理された正直な文を読むための料金だと思って欲しい。私は誰も買わないだろうと思って、好き勝手に書くからさ。
放送部等で活動する皆さんにとって参考になる記事をまとめています。 記事を入れてほしい場合は、記事に #あくせんとじてん をつけてください。ヘッダー画像☞https://note.com/po_tofu作
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今まで、自分に才能がない理由をずっと探して生きてきた。 周りの人は効率の悪い勉強をしているからとか、T塾の教え方が悪いからとか、自分より頭が良い人はみんな中学受験をしているからとか、同率一位が大量にいるはずだとか。
後期始まりました!学部生最後の学期です。 初回授業を受けてみて感想…… 幾何学(学部)⇨前期にリー群を習っていたので、問題なく勉強できそう。スピードもゆっくりめなので、講義ノートを毎回見返しておけば、ついていけるはず! 幾何学(院)⇨やばいかも。結構知らない単語出てくる。今後の授業内容によっては、moduli空間や圏論を自分で勉強することになるかも。もう1コマ授業を受けてみないと計画立てられない。 ゼミ⇨いつも通り。ノートの復習に力を入れたい。時間があったら、切り貼り
テスト週間になった。 部活動がなく、早く家に帰れる。
合格後、O塾に行くと、高校からも塾に来た方がいいと言われた。「この科目はこの塾、この科目はあの塾、とかでもいいんだよ」と、O塾に行くかどうかの前に、塾に行くかどうかの説得をされた。色々見透かされている。 もちろん、行かないことにした。まずは高校生活に慣れなくちゃいけない。
文化祭は、10月末にあった。そこでのスピーチまでいろんな練習をしていたため、部活を引退したという気分になったのも10月末のことだ。
中学入学と同時に、放送部に入った。 全員が部活動に入らなければならない学校だった。運動は絶対にできなかったので、最初から選択肢は少なかった。小学生の時から、作文や音読を褒められる機会が多かったので、放送部に入ってみようと思った。
中2になって緩やかな中だるみをしたが、成績は思いの外良かった。自分の勉強方法に自信を持っていた。
大学4年生の、今。 振り返ると、当時の自分は幼くて可愛かったなぁと笑ってしまう。当時は死にそうだったはずなのに、今では高校生なんてそんなもんだよなと思っている。 「才能がある人は、もっと社会の役に立つべきなんじゃないんですか?」 落ち着いて考えてみたい。
志望校をA高校に決めたからには、なんとかして自分に合う塾を見つけなければならなかった。いや、私は、塾なしのまま高校受験を迎えてもいいと思っていたが、両親が心配していた。
中学校に上がると、家から学校までの距離が2倍くらいになった。入学式前の春休みに、母と一緒に「長い距離を歩く」練習をほぼ毎日した。例えば中学校近くのレストランまで歩いてご飯を食べに行ったり、サッカースタジアムの場所取りについて行った後歩いて帰ったりしていた。
勉強が楽しかったから、学校の先生という仕事に憧れを持つようになった。5つ上の姉が中学校に通っていたのもあって、数学の先生になることが将来の夢になった。
2009年、小学一年生の夏のことだったと思う。 その日、私はサッカースタジアムに来ていた。土日にサッカーを見に行くのは、我が家では恒例だった。 長い列に並んでいて、少し退屈に感じ始めた私は、親にこう尋ねた。 「ねぇ、算数の面白い話、して?」
正直に言うと、有料マガジンというものを一度はやってみたかっただけなのかもしれない。