エッセイラヂオ 旋回 のまえがき
波に負けぬ筋肉質な表現
私たちは誰のために文章を書くのか。誰のために表現をするのか。
私たちを取り巻く“流れ”はあまりにもはやすぎる。それは主に世界を飛び交う電波である。どれだけシャッタースピードを上げてもその残像が消えることはない。人々はその形なき流れに身を掬われないよう必死である。 時代の潮流に乗る表現を残すには、堅牢な舟に乗るか、もしくはテクニカルに流れを捌くか、もしくは運よくスルスルと下流に流れていくかである。
私たちははやい水面の上に表現を残そうとする。
その流れに疲弊する者もいる。必須スキルは半歩先を読む力、もしくは時の運。最近は不確実性の時代と言われているので、適応力なのかもしれない。いずれにせよ、いかに荒波をうまく乗りこなすかを論じる場面を多く目にする。
表現も荒波に飲まれない筋肉質な物でなければいけないのだろうか?
気まぐれなフライトにご搭乗ください
表現について悩んでいたときに、救われた文章があるので紹介したい。 あるエッセイの一節。
かつて生物は進化の過程で水から地へ、地から空へ進出していった。我々も“はやさ”から逃れ、地をノソノソと這い、空を自由に飛ぶ表現を目指すべきである。
張りのある青空に見えぬエッジを残しながら旅立っていく飛行機。ツーッと空を滑り、次第に雲の中に静かに隠れていく。私が文章を書き、noteの投稿ボタンを押すとき、そんな気分なら心地よい。私の文章はそんな感じでいい。
フライトの行き先はどこか分からない。何時間滞空するのかも分からない。もしかしたら一周してすぐに戻ってくるかもしれないし、空が気に入って着陸の仕方を忘れるかもしれない。燃料切れになったら家に帰ってくるのも良い。ちょうど家出を決心した少年が、日付が変わる頃、恥ずかしがりながらドアをそっと開けるように。
とにかく今日から始まるこのエッセイラヂオ「旋回」はかなり気まぐれなものになるだろう。負担感のない表現を楽しむための場所にしたい。完璧にとらわれず、素朴に感じたことを文章に起こしていく。そして何よりも楽しむ。筆者の勝手にどうかお付き合いいただきたい…
この文章を読む遠い未来のあなたに向けて、飛行機は今大きく旋回する。
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