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2021 Second Half


2021年の半年が過ぎた。
2020年の世界の急変を経て昨夏からのこの1年は、理由がよくわからず始まることになった準備期間だった。

メインの職場を自宅に移したこともきっかけとなって、自宅の掃除、片付けが習慣に。
なぜか血流、腸、さらには子育てに追われて脇に追いやりがちだった身なりのそれぞれを整え始め、月に一度はヨガも習い、深い呼吸を体感することに。
同時に新しく始めたサービス「読書てらこや」課題本の影響もあり、意識を「今ここ」に集中すると、
自身にとっての執着から距離を置き、心地よさを思い起こし、一つひとつのことをゆっくりと味わえるようになった。
身の回りの環境に敏感になり、自宅は植物で溢れるように。
ついにメディカルアロマインストラクターの資格もとり、今自宅のベランダには数々のハーブが生い茂っている。

そうしているうち、全国に散らばりながらも不思議とすぐそばにいてくれる人達の想いに、行動に触れ、
もう十分に満たされていると、ふと感じることがあった。

それでも、この1年の突き動かされるような自身の変化の理由について、
私は深く理解していなかったと思う。

2021年6月。父が突然他界した。
安らかな幸せな最期だったが、当然のことながら大きな悲しみに襲われた。
救急車のサイレンを聞くとまだ、体が少しこわばる。
目が覚めると涙が落ちる朝もある。
息を引き取った直後の、まだ温かかった父の手の感触。
泣き崩れる母の背中。
肉体から魂が抜けたその日の、そして肉体が火葬されたその日の、
晴れ渡った空。

結局、この出来事に向けて、私は1年かけて準備をしていたのだ。
この1年がなかったら、一体どうなっていただろうか。
少なくとも、父の亡き後にその存在をすぐそばに感じることなど、
到底できなかったかもしれない。
1年前の緊急事態宣言下の時のように、ただただうずくまって絶望していたかもしれない。

1年かけて、説明もつかないようないくつかの習慣を継続し、その結果大切な人たちとの対話を重ねてきた今、
ぼんやりとではあるものの、
空に、雲に、風に、日差しに、木々に、花に、水面に、鳥の鳴き声に、
父がいてくれることを思う。
それは、悲しくて、優しくて、あたたかいこと。
肩の力を入れすぎず、かといって倒れ込みすぎず、
自分の軸を感じながら、ゆらゆらと風に吹かれるような時間。

この6月を経てこれからの私は、後半だ。
年齢もちょうど、今月で46歳を迎える。
折り返すにちょうどいい。

この後半は、天国の父のために。
まだまだ元気でいてほしい母のために。
家族のために。
仲間のために。
そして、センジュ出版を必要とするどこかの誰かのために。

ここから、今日から、ちいさなちいさな発信を始めようと思う。
おおきなおおきな循環を目指して。



#今日の1冊
#復路の哲学
#平川克美
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