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【story22】まちに物語を紡ぐ珈琲(千住宿 珈琲物語)-千住暮らし100stories-

千住宿 珈琲物語
店主 望月章雄さん・59歳


とある週末の朝、コーヒーが香る店内は開店早々にほぼ満席に。「カウンターなら空いていますけど、いいですか?」と、来店客をハキハキした口調で案内する女性。カウンター席の向こうには、コーヒーを淹れたり、トースターで食パンを焼いたりとテキパキ動く男性の姿がある。忙しいはずなのに、ゆったりした空気が流れるこの空間は、今年で36年を迎える喫茶店『千住宿 珈琲物語』。マスターの望月章雄(あきお)さん、妻の充子(あつこ)さんが営んでいる。

高揚感に包まれている店内

朝訪れる多くのお客さんのお目当てはモーニング。章雄さんが淹れたコーヒーに、バターがたっぷり染みたトースト、酸味が爽やかなポテトサラダ、そして絶妙に半熟のゆで卵が付く。店内に充満するコーヒーの香りに食欲はそそられ、待ってましたとばかりにトーストにかぶりつくと、カリッという音とともにバターの塩気が口いっぱいに広がる。やがて深い香りのコーヒーに洗い流され、深いため息が漏れる。

モーニングは11時30分までオーダーできる

辺りを見回すと、カウンターで新聞を読みつつも時折マスターに話しかける初老の男性、資格試験のテキストを開きながらトーストを頬張る若い女性、テーブル席では世間話に花を咲かせる年配の女性グループもいる。小学校低学年ぐらいの女の子とお父さんは、店内にあるマンガを読みながら何やらお喋りしている。訪れた人の日常でありつつ、ちょっと高揚した気が店内に満ちている気がする。

バブルから時代の移り変わりとともに

章雄さんがこのお店をオープンした1987年当時、喫茶店で飲むコーヒーは1杯280~300円だった。対して、『千住宿 珈琲物語』は450~500円と他店より高い価格設定だった。章雄さんは社会人になると浅草橋のコーヒー専門の喫茶店に勤め、コーヒー豆や淹れ方を学び、独立してもそのクオリティを守ろうと心がけ、価格設定もその店に合わせたのだ。

自ら焙煎を行う深い味わいのコーヒー。『物語ブレンド』、『マイルドブレンド』などコーヒーの種類は複数ある

「当時はコーヒー専門店自体が少なかったし、千住はお年寄りが多くて高いお金を出してまでコーヒーを飲みたいお客さんは少なかったですね。喫茶店なのにミックスジュースやナポリタンがないのかってガッカリされることも(苦笑)。親戚や町内会の人がぼちぼち利用してくれていましたが、身内で営業していたから何とか食べて行かれる状況でした」。

オープン当時から、まちの移り変わりを見てきた

だが、バブル景気の波に乗り、1年ほどすると状況は一変する。保険の外交員がランチ後にコーヒーを飲みに来たり、証券マンが商談の場に使ったりと、働き盛りの世代も訪れるようになった。そして、時間もお金もゆとりのある専業主婦も増え、子どもを学校へ送り出した後にコーヒーを飲んでお喋りを楽しむ女性も増えた。「当初は母と妹と3人でお店を切り盛りしていましたが、オープン半年後に結婚して、妻もお店を手伝ってくれるようになりました」と章雄さん。妻の充子さんは出産前日まで店に立つほど忙しくなった。その後は章雄さんの妹さんも結婚して妊娠。「一時期は店内で妊婦2人がコーヒーを運ぶ、いま考えるとちょっと異常な店でしたね」と笑う。

お店の前で話すマスターの望月章雄さんと、妻の充子さん。店がある通りには、古くから営業する店もあれば、新しい店も点在している

当時の千住は住居兼店舗で商店を営んでいる人が多く、お店同士の繋がりも強かったそう。北千住駅西口から真っすぐ伸びるメインストリートの商店街『きたろーど1010』沿いにある大手スーパーマーケットチェーン『イトーヨーカドー』発祥の地であり、現在は食品を扱う『ヨークフーズ 千住店』が『千住宿 珈琲物語』の近くにはあるが、いま以上に個人商店が多かったそう。「高層マンションが立ち並ぶ日光街道(国道4号)沿いも、その当時は個人商店が中心の商店街でした。近隣の住居兼店舗を持つ人たちでゴルフコンペをしたり、旅行をしたり、交流が活発でした」と振り返る。当時は珍しかったコーヒー専門の営業形態も、近隣の店の店主が利用してくれることで、口コミで広まっていたという恩がある。

「店をやめてビルに建て直して、自身は上層階に住んで賃貸収入で暮らす人が最近は多くなりましたね。駅前は地価が上がり、チェーン店ばかり」と、ちょっと寂しそう。だが、近年は学生や若い家族連れが増え、まち全体が活気づいているのも感じるという。「休日の午後は電車に乗ってわざわざ来てくれてる人も少なくないんです。お客さんに満席を伝えても、最近は席が空くまで待ってくれる人がずいぶん増えて驚いています」。

楽しみな千住のイベント

章雄さんが千住に暮らし、毎年楽しみにしているイベントは7月に開催された『足立の花火』と、9月に『千住神社』などを中心に開催予定の『千住の秋祭り』だ。花火はコロナ禍を経て4年ぶりの開催となり、荒川土手の近くにある知人の家の屋上から眺めた。

荒川土手には花火の時だけでなく、休みの日もたびたび訪れる

コロナ禍前の『千住の秋祭り』では、毎年のように神輿を担いでいた。町会ごとに神輿や囃子山車、曳き太鼓を出し、駅前や旧道沿いの商店街は地口あんどんや提灯で飾られ、まち全体が活気づく千住の一大イベントだ。「僕は祭りの初日の宵宮のときだけ、担ぎに行っています。町内会ごとに神輿の様式が違って、僕が属している千住3丁目の町内会だけ神輿を左右に大きく振って担ぐスタイルなので、進むのが遅いんです。なので、千住1丁目町会から2丁目町会と順に出発するけれど、千住3丁目はいちばん最後」。

千住のまちで見かける地口あんどんは、こちらのお店にも掲げられている。地口とは、言葉遊び、だじゃれの一種。地口に合う絵を描き、あんどんに仕立てている。千住4丁目の『千住絵馬屋』が現在まで8代にわたって絵柄と技術を継承。今年9月の『千住の祭り』に合わせ、宿場町だった千住の旧日光街道(千住1~5丁目)に100個の地口あんどんを取り付ける『地口あんどんプロジェクト』も

今年はようやく祭りが開催される予定で、そのためにスクワットなどの筋トレは欠かせないという。神輿を担ぐときに履く足袋は、スニーカーのようにエアーの入ったものを愛用する力の入れようだ。

生まれ育った浅草から千住へ

千住の暮らしにすっかり溶け込んでいる章雄さんだが、出身は浅草。実家は『浅草花やしき』の近くで洋品店を営んでいた。幼い頃は『浅草花やしき』は入園無料だったため、地元の友人たちとかくれんぼをして遊んだ思い出がある。両親がデザインして仕立てたものを着ることが多かったそう。「周りの子ども達に比べるとオシャレな格好をさせてもらうことが多かったですね。帽子にぐるっと一周ウルトラマンのバッジを付け、ランドセルを背負って通学していたら、外国人観光客に写真を撮らせてくれって言われて…。すごく目立っていたと思います。後日、その写真はパネルにして送ってくれました」。

実家は洋品店だったものの、章雄さんは色弱という視覚異常があったため、家業を継ぐことはできなかった。子どもの頃から親に連れられて近所の喫茶店に行き、小学生の頃から砂糖を入れたコーヒーを飲んでいたことから、浅草橋の柳橋など都内に数店展開する喫茶店に就職。そこで本格的なコーヒーの淹れ方を修業し、19歳の時に妻の充子さんとも出会った。充子さんは当時16歳で、アルバイトとして同じ喫茶店で働いていた。

10代の頃から交流のあった2人。今年は結婚35年目!
 実は充子さんの実家は、章雄さんの実家の裏の寿司屋で、お父さんが大将。章雄さん達が働く喫茶店にコーヒーを飲みに来ることもしばしば。「お義父さんの監視の目があるので、デートに誘ったりはできなかったですね(笑)。働いて何年かしてお義父さんが亡くなってしまい、付き合ったのはその後です」。
店内にある古い時計

喫茶店で5年ほど修業し、自分の店を持つことを決意した章雄さん。当時の浅草は衰退期で平日は閑散としており、浅草にこだわりはなかった。東武線沿線で物件を探していたところ、今店がある物件に出会った。「千住には父の親戚が多く、全く知らないまちではなかったのも決め手でした」。1987年10月にここで店を開くことを決め、もともと店舗として使われていたが急いで内装を変えて、同年の12月にオープン。「駅前ではないので、店内は客席をめいいっぱい置かず、ゆとりをもたせました」。住まいも浅草から千住へ。しばらくは千住の別の場所でアパート暮らしをするも、しばらくして店舗の上を住まいとした。

風格を感じさせる店内。カウンター席とテーブル席がゆったり配されている。ドラマなどのロケ地としても数多く使われている

自家焙煎のコーヒー、自家製のケーキと器

店では仕入れたコーヒー豆を店内の焙煎機で焙煎し、淹れる。章雄さんしかできない仕事だ。仕事としてコーヒーを淹れて40年以上経つが、いまだに一筋縄ではいかないという。「勤めていた喫茶店の味に近付けるよう、調整し続けています。同じ豆を仕入れたとしても、釜が温まる時間、豆の水分量など、天候などにも左右されるので微妙に日々違います。感覚で覚えながら、日々勉強ですね」。

店の奥にはガラス戸で仕切られた焙煎部屋がある。焙煎は平日の朝に行うことが多い
薄いグレーの生豆が、焙煎することで艶のあるこげ茶色に変化する。焙煎した豆も、目視でひと粒ずつ状態を確認する

お店のコーヒーは、酸味が少なめで深い味わいが特徴。「コーヒーの粉を叩くように、お湯を高い位置から少しずつ注ぎ入れると、味に奥行が出て香りも立ちます。ポットからなるべく細めに注ぎますが、毎日何回も使っていると水道水のカルキでポットの管が詰まることも。ポットは歴代に何台も買い替えています」。

最初にドリッパーにゆっくりお湯を注ぐと、モコモコと泡立つ。この泡立ちが新鮮で香りが良い証。しばらくしたら、高い位置からお湯を注ぐのがコツ


香り高いコーヒーを注ぐカップにも、こだわりがある。店内のカウンター側の壁には、300脚以上のカップ&ソーサ―がギッシリ並んでいる。マイルドブレンド、物語ブレンドなど、いくつもあるお店のコーヒーの種類別に使う器をだいたい分けていて、そこからお客さんの雰囲気などに合わせてインスピレーションで選ぶ。「コーヒーの種類で器を分けるのは、バイトの子が間違えないようにという意味もあるんです」。

圧巻の器コレクション。カウンター席に座って食器棚を眺めて過ごすのもおすすめ

器は章雄さんが長年かけて集めた有田焼のものもあれば、自ら作ったものもある。器集めの趣味が高じて、35歳の頃から入谷竜泉にある『東京竜泉窯』を主宰する陶芸家の小山耕一さんの陶芸教室に通い、作品作りに励んでいる。「益子で陶芸教室に参加したら、おもしろくて。気軽に通える場所で教室がないか調べて、25年ほど同じ先生に習っています」。

お手製のカップ&ソーサ―。カップは絵付けにもこだわり、絶妙なニュアンスのソーサ―は銅を混ぜている

お客さんからは、マスターが作った器で飲みたいというリクエストも。これまでにカップは40~50脚作り、ほかにもツボや皿も作っている。教室に月1回通うが、土を混ぜて成形し、乾燥させて素焼きし、釉薬をかける、絵を描くなどの工程を経て、仕上げにまた焼くので、ひとつの作品を作るのに最低3回は通う。

お店では手先の器用さを活かし、5~6年前からケーキも自ら作り、毎日5種類ほどのスイーツがショーケースに並ぶ。定番は『いちごのショートケーキ』。「季節によって果物が変わるので、ケーキの数は無限に増えていきますね。ほかの喫茶店に行くと、どんなスイーツを出しているのか気になって、ヒントにすることもあります」。『青梅のパンナコッタ』など、短い間しか出回らない果物を使ったスイーツもファンの心をつかんでいる。

今までに作ったスイーツのメニュー札。箱にぎっしり溜まっている

自家製スイーツを始めたきっかけは、長年仕入れていたケーキ屋の廃業。製菓道具を店主に分けてもらい、それを使って見よう見まねで作り始めた。お店の閉店間際から、翌日出すケーキの仕込みが始まる。

『宇治抹茶のクリームチーズケーキ』は、息子さんの友人が継ぐ京都の茶屋から仕入れた抹茶を使用。チーズに負けず、抹茶も濃厚でお互い引き立て合う

体力的にしんどくても、人との交流が活力に

朝の焙煎から始まり、最後はケーキ作りに店内の掃除と1日めいいっぱいだ。おいしいコーヒーやケーキでお客さんに喜んでもらいたいという気持ちもモチベーションになっているが、長年続けてこられたのは人との交流から感じる喜びが大きいという。3世代で通う常連さんもいる。お客さんだけでなく、アルバイトスタッフとの交流も忘れてはならない。

年季が入った店内だが、床もテーブルもピカピカに磨かれている

「うちはアルバイトの求人誌などで募集をかけたことはないんですよ」。今まですべてお客さんづてに応募があった。かつてこの店でバイトをしていたスタッフが、時を経て結婚して子育てをし、自分の息子もここでバイトさせたいと連絡があることも。信頼関係があるからこそのエピソードだ。いまだに交流があるスタッフもいるという。「当時は高校生だった子が、子どもができたと一緒に店に来てくれたりすると本当にうれしいです」。3兄弟がそれぞれ違う時期にバイトをしたこともある。

妻の充子さんも大きくうなずく。「立ちっぱなしで体力的にはしんどくても、お店に立って人と話すのが楽しくて乗り越えてこられました。ご無沙汰していた常連さんが来てくれると “元気そうで良かったね”とか、うれしくてついマスターに話しかけてしまいます(笑)」(充子さん)。

オフタイムにも繋がる縁

2人はお店の営業後、片付けを済ませると夕飯がてら千住のまちに繰り出す。「お店でずっと飲み物や食べ物を作っているので、自分達の食事まで作る気力がなくて…」と章雄さん。
夫婦で一緒に出かけることもあれば、1人で、もしくは友人と出かけることもある。よく行くのは、焼き鳥の『くし処 いわ咲』、パスタやソーセージが食べられる『無国籍酒肴 Himeji』、『和食ビストロ寛』、『銀鮭専門割烹 ウチワラベ』、飲みや横丁にある韓国料理の『ひゃん』と焼き鳥の『雄武(おうむ)』など。「クオリティが高いのに気軽に外食できる店が多くて、千住は暮らしやすいですね」。

中でも、行く頻度が高いのは『くし処 いわ咲』だ。かつて『無国籍酒肴 Himeji』の隣にあった焼き鳥屋『遠山』は週3日は通うほどお気に入りのお店だったが、店主が亡くなって閉店し、焼き鳥難民に。そんな中、友人から教えてもらった。「食べたら『遠山』の味が蘇りました。話を聞いてみると、肉の仕入れ先が同じで納得。以来、多い時は週3日は通っていますね」。『くし処 いわ咲』は2022年11月に千住内で移転。閻魔開きで有名な『勝専寺』の隣に店を構えている。

『くし処 いわ咲』には、テーマカラーである藤色ののれんが掲げられているが、店名は小さく書かれているのみ。のれんに書かれている「縁が結ばれ幸せ也」という言葉には、3人のお子さんの名前が入っている。席数が少なく、最近は予約で満席になることも多いため、常連さんに気遣ってあえて何の店かわかりにくくしている

章雄さんはとりあえずのビールを頼んだら、焼き鳥はおまかせコース。レバーを軽く焼いてにんにく醤油で食べるのが大のお気に入りだ。店主の岩崎慎也さんとは気が合い、話も弾む。そんなに何を話しているのだろうか? 「記憶に残るような話はしない方がいいこともある」と、2人して大笑い。お店が休みの日は、岩崎さんが章雄さんの店でランチをすることもあるという。

ウイスキー、JINROをボトルキープしている。名札と、マスター自ら作った珈琲物語の札をボトルにかけて目印に。
移転オープンに伴い、章雄さんは自作の箸置きをプレゼント。裏には章雄さんの作品の証として、章の字が彫られている。客席とお手洗いとにかけられたイラストとメッセージを組み合わせた『己書』も章雄さん作。左の作品は、店名にちなんで岩に咲く花が描かれている。

こちらのお店の隠れた名物は珈琲焼酎。このコーヒーは『千住宿 珈琲物語』で焙煎した豆を使って作っている。建物の取り壊しで閉店した近所の居酒屋『もつ吉』(現在は亀有にて『吉里屋』として営業中)に章雄さんはよく飲みに行っており、そこでも珈琲焼酎は出していた。「『もつ吉』が閉店して、千住で珈琲焼酎が飲めなくなったという話を常連さんがしてくれて、『くし処 いわ咲』で出してみようかという話になったんです」と章雄さん。「マスター手作りのPOP効果や、常連さんがほかのお客さんに勧めてくれることも増え、最近は頻繁に仕込まないと間に合わないです」と、笑顔の岩崎さん。 

章雄さんが焙煎したコーヒー豆を、クセのないタイプの焼酎に8週間(冬は3か月)ほど漬けて完成。最初は豆にガスが溜まっているので浮いているが、時間とともに沈んでいく。


最近は独自の飲み方をリクエストする常連さんも増え、ミルク割にする人も増えている。珈琲焼酎は、5月に『シアター1010』で上演された舞台『珈琲いかがでしょう』にも登場。千住の珈琲店とのコラボ企画で、舞台の公式インスタグラム@bt_c0ffee_caféでも紹介されている。

店主の岩崎さんは麻布の高級焼き鳥店で働いた経験もあり、1本600円するような焼き鳥を出していたそう。その時と変わらず、新鮮な素材と長年磨いた腕で焼き鳥を振舞うが、自身の店では1本200~450円で楽しめる価格帯にしているそう。「千住は完全に地域密着型で、お客さんがお客さんを呼んでくれます。でも、1人に嫌われると広まるのも早いという怖さもありますね」と笑う岩崎さん。

麻布の店に勤めていた時は、「港区に住んでいます」と言えてカッコよかったけれど、千住は交通の便が良いし住みやすく、気に入っていますと笑う
章雄さんが25年通う『無国籍酒肴 Himeji』。オーナー夫妻とともに

洋風のものが食べたい時によく行くのは、喫茶店と同じ通りに位置する『無国籍酒肴Himeji』。こちらは豪華客船『シンフォニー』のコックをしていた藤原浩司さんが店主を務め、妻の和子さんが接客を務めている。青森産にんにくがガツンときいた『ペペロンチーノ』が名物で、ほかにも月替わりのパスタなどがある。『自家製ハムのサラダ』も旨みたっぷりのハムがたっぷり盛られ、食べごたえ充分。

店は2023年3月で25周年を迎えた。今は無きお気に入りの焼き鳥屋『遠山』へ飲みに行ったところ、隣にパスタの店ができると知って、何人かで行ったのがはじまり。以来、夫婦で寄ることもあるが、それぞれ1人で食事しに行くこともあるという。取材後に時間をおいてライターがこちらで食事中、偶然にも1人で来店した充子さん。「仕事場が夫婦でずっと一緒だから、それ以外は1人だったり友達と過ごしたい時もあるんですよ。そんな時は“今日は私が『Himeji』で食事するから来ないで! あなたは『いわ咲』に行ったら”と言っちゃいます」と笑う充子さん。

こちらのお店でもボトルキープ。常に笑いが絶えない

お互いに夫婦で飲食店を切り盛りしていることもあり、共感し合える部分も多いという。「夫婦で店をやっていると、そりゃ喧嘩することもありますよ。僕は店で喧嘩は完結したと思っていても、2階の住まいに帰ると奥さんはまだ怒っている。住まいでは奥さんが1番だから、そんな時は僕もよそへ飲みに行きますよ(笑)」と店主の浩司さん。章雄さんが「この間は朝まで飲んでいたらしいね?」と言うと、妻の和子さんは「えー!そうだったの!? いつ帰って来たか知らなかった!」と驚く。

『Himeji』オーナー夫妻は千住出身。同じ幼稚園と中学生に通った同級生だが、お互いを知ったのは中学時代。奥様は接客だけでなく、店内の可愛らしい文字やイラストも担当

近隣の店でおいしく楽しく食べるのが息抜きになっている章雄さんには、オフの時間の楽しみがまだまだたくさんある。疲れが溜まったら、『ニコニコ湯』『金の湯』で大きな浴槽に浸かって体をほぐす。キングオブ銭湯として親しまれ、2022年に廃業した『大黒湯』には年始の朝風呂に必ず入りに行っていたそう。「『ニコニコ湯』の店主(『#千住暮らし story2に登場』)は、うちの店にもよくコーヒーを飲みに来てくれるんです。千住で店を営む店主は、オフの日も千住で過ごす人も多いです。千住で定休日の多い月曜や水曜は、うちの店のカウンターに他店の店主がずらりと並んでコーヒーを飲んでいるということも、決して珍しいことではないんですよ」。

カウンターは1人で来店するお客さんが多く、マスターや充子さんとお喋りするのを楽しみにしている人も多い

章雄さんがオフの日の日中にリフレッシュしに行くのが、複合施設『せんつく』の中に店を構える『整体カフェ Reliev』。店主の高木みほさん(『#千住暮らし』 story18に登場)とは、独立前にコーヒーを飲みに来店したのを機に仲良くなり、娘のように可愛がっている。

元気に働き、遊ぶためにも身体のメンテナンスは欠かせない

高木さんは、自身のお客さんに『千住宿 珈琲物語』を教えてもらい、章雄さんの淹れるコーヒーの虜に。以来、カウンターで章雄さんや充子さんと話すようになった。「カウンター席には常連さんも多くて、整体師として独立することを相談したら人を繋いでいただいたりと、お世話になりました。体調が悪い時には、病院をすすめてくれたり、本当のお父さんとお母さんみたいに良くしていただいています」と高木さん。章雄さんの息子さんと年が近いこともあり、章雄さんにとっても娘のように心配してしまう存在だそう。

高木さんが以前勤めていたストレッチ専門店から独立し、名刺を作ろうと思った時に紹介してもらったのは、『千住宿 珈琲物語』のショップカードを制作した『t-Print』のご夫婦。実はショップカードのイラストに、夫婦でお客さんとして描かれている。「『t-Print』の奥さんは、高校生の頃にうちの店でアルバイトをしてくれてね。その縁でショップカードを作ってもらったんです。こうして若い世代の人がこのまちで活躍してくれるのは、うれしいですよね」と、目を細める章雄さん。

写真上は『千住宿 珈琲物語』のショップカード。イラストは千住在住のなかだえりさん。なかださんの絵は店内にもいくつか飾られている。
写真下はお店を描いた作品の原画

章雄さんは、以前は仕事終わりにジムで体を鍛えるのが日課だった。健康診断の数値が悪くなった40代前半の頃、千住に『ゴールドジム』ができて入会。地道に筋トレを続け、50歳の時にはボディビルの大会にも出たほど。だが、仕事の後にジムに通い、食事をすると寝るのが1時過ぎになってしまい、翌朝は7時には店に出るので体力的に厳しくなってしまって退会。「今はスクワットを1日100回など、自宅でできる範囲で筋トレをしたり、みほちゃんに時々身体のメンテナンスをお願いしたりして、夜は10時に寝る健康的な生活に。ジムに行かない分、お酒を飲むことが増えているんだけれどね(笑)」。

高木さんは、その時の身体や心の状況に合わせてアロマテラピーも取り入れながら施術してくれるので、気持ちもほぐれやすいという。日々の生活の中でできるストレッチや筋トレのアドバイスも随時してもらえるのもありがたい。「男性は股関節やもも裏が硬いかたが多いですが、章雄さんはもともと柔軟性があるせいか、早くコリがほぐれる気がします」(高木さん)。

立ち仕事、特に洗い物をする時に中腰になるので、腰痛に悩まされている

高木さんは整体もしつつ、日時限定でカフェも営業している。カフェで提供するコーヒーは、『Relievブレンド』として章雄さんにブレンドをお願いしている。「酸味の強いコーヒーが苦手なので、好みに合うよう焙煎してもらいました」(高木さん)。

整体カフェで提供するコーヒーは、章雄さんが焙煎した豆を使っている。写真の器は、章雄さんに感化されて高木さんが作った器。章雄さんは自作の花瓶を開店祝いとしてプレゼント

月イチで喫茶店が絵の教室に

整体カフェの高木さんとの交流を通して、章雄さん自身も新たな出会いがあった。『己書(おのれしょ)』という絵や文字を組み合わせた作品づくりだ。もともと高木さんが『日本己書道場』の師範の中村千鶴子さんに習っているのを知って興味を持ち、2人で喫茶店の定休日に先生を呼び、2年前に教室がスタートした。「もともと絵を描くのは好きで、子どもの頃はマンガを見よう見まねで描いていたこともありました。でも、習い事としては初めての経験でした」(章雄さん)。

章雄さんが描いた己書は、店内のあちらこちらに飾られている

できあがった作品をお店に飾っていたところ、興味を持つ常連さんなどが増えた。高木さんは自身のお店の営業で教室に参加できなくなってしまったが、代わりに常連さんや知人の繋がりで生徒が増え、月に1回教室を開催している。

日本己書道場の師範 中村千鶴子さんが指導してくれる


教室は少人数制。数種類あるお題から描きたいものを選び、筆ペン、透明水彩絵の具、鉛筆などさまざまな道具を駆使して描く


前出の『無国籍酒肴 Himeji』のママも己書教室の生徒。
写真はHimeji店内に飾っている自身が描いた作品
黙々と作品を仕上げる章雄さん。2年習っているとはいえ、描くスピードが速い!

手先が器用な章雄さんは、ケーキ作り、陶芸、己書と趣味を広げている。かつて通ったジムも含め、長く続けて極めているものが多い。なかなかできることではない。「単に好きなんですね。普段の仕事とはまた違って、何も考えずに没頭する時間もリフレッシュになっているのかもしれません」。教室のメンバーは章雄さんの知人だけでなく、充子さんの友人、息子さんのお嫁さんの友人など幅広く広がり、それぞれ作品に集中しつつ、終われば和気あいあいとおしゃべりに花が咲く。

作品の大きさにもよるが、1人4作品ぐらいを仕上げ、完成した作品はカウンター席に並べる。作品を前に、「ここは難しかった」「これはどうやって色をつけたの?」と話が弾む
この日描いた作品の中からお気に入りのものを持ち、ハイ、チーズ!

新たな日常へ探求は続く

多趣味な章雄さんがほかにハマっているのが写真だ。アメフト選手だった息子さんの試合を撮るために始めたが、いまは荒川の土手など近隣へ出かけて風景を撮ったり、日々成長する孫達を撮ったりするのが楽しみだという。「午前中に土手に行くと、思った以上にいろいろな種類の鳥がいるの」。

川の向こうにシラサギを見つけ、シャッターを切る

今年になって長男と長女がそれぞれ第2子を授かり、お孫さんが4人に増えた。彼らの成長を写真に収めるのにも忙しい。「望遠レンズで撮ると、遠くからでも自然な表情が撮れるので気に入っています」。お宮参りに始まり、成長する姿は見逃せない。

お店の定休日は基本的に週に1回。「この年になると、病院へ検査に行ったり身体のメンテナンスをすることも増えるでしょ? そうすると休みがあっという間に終わってしまって…」。昔は夜も営業していたが、土日は夕方に店じまいをしたり、定休日以外にも休むこともある。「お店を長く続けるためにも、適度に休みながら無理をしないように心がけています。おいしかったっていうお客さんの声をいつまでも聞けることを目指していきたいです。この先もいろいろな出会いが楽しみです!」と、爽やかな笑顔。マスター夫婦、そしてそこに集う人々のいきいきしたエネルギーが、お店の居心地の良さを保っているのだろう。



Profile
もちづき あきお
台東区浅草出身。喫茶店で修業した後、1987年12月に千住にコーヒー専門の喫茶店『千住宿 珈琲物語』(千住3-6)をオープン。自らコーヒー豆の焙煎を行い、本格的なコーヒーを提供している。
インスタグラム
 https://www.instagram.com/kitasenjucoffeestory/
フェイスブック
https://www.facebook.com/profile.php?id=100063707884652&locale=ja_JP

取材:2023年4月25日、6月6日、6月16日
写真:伊澤 直久(伊澤写真館)https://www.izawa-photostudio.com/
文 :西谷 友里加

文中に登場したお店など


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