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僕はサイモンになりたい

もうすぐ夏が終わるのか。
既に夏が終わっているのか。
そもそも定義はあるのか疑問になり調べたところ
気象庁が定義する夏は、6月から8月までの間だという。
つまり9月11日の今日はすでに秋。
明日から、秋だと思って日々を過ごしてみるか。
俺は真摯に気象庁が決めた定義を鵜吞みにする。
大したものだと思う。「俺」ではなく、気象庁が。
誰かが決めなくてはならない季節の境界線を決める仕事。立派だ。
蕎麦屋に行って何を食べるか5分も悩んでしまう私とは大違い。
しかし、迷った挙句食べたあの蕎麦はうまかった。
それが分かっただけで十分なのかもしれない。

そうか、夏はもう終わりなのか。
それにしても依然、この気温の中のサウナは、
うまく整えきれないが。。
サウナの中の上段の席は、椅子取りゲームだ。
下段に座っていると、上段の人がいつ出るか、頭の片隅で考えている。
俺は、礼儀正しいで有名なのでなるべく自分の真後ろの人が出たらその場所に行こうとしている。偶に、とてつもなく遠くからその席を取りに来る人がいるのだが、恐らく学生の頃のあだ名は「桂馬」だと思う。
因みに、ナルトに出てくるシカマルはアスマ先生に「お前は将棋で言うなら桂馬だな」って言われていたのを思い出して、俺もできるなら桂馬になりたい。

数十年前、私がまだ小学生か中学生の時代。
姉がプレステーション2の「ぼくのなつやすみ2」をプレイしていた。
私は、人がゲームしている隣で見学するのが好きだ。
IQ3くらいだった私は、当時のこのゲームを
その頃は、単にアサガオを枯らさないゲームだと思っていた。
愚かな考えではない。実に愛らしい。
もしタイムマシンがあって過去の俺に出会えたなら
ぎゅっと抱きしめてやりたい。
そして愛が何なのか教えてあげたい。
いや、過去の俺と未来の俺が出会うと時空がゆがみ
この世界に異常をきたす。
そんなことがあったら、今日食べた蕎麦だってなかったことになってしまう。なんて世界は残酷なんだ。

「ぼくのなつやすみ2」はプレステーション2の中でも特に神ゲーであり、
なんといっても2が神作。
一般的に大抵が1が面白いと言われることが多いこの世の中。
それを覆したのは、このゲームとバックトゥザフューチャーくらいだと思う。

このゲームに出てくる「サイモン」。
彼は世界を旅して写真を撮りまわっている写真家。
この登場人物がとてつもなくいい役回りをしてくれている。
サイモンは足がとにかく大きいのが特徴。
タイトル画像を見返してほしいのだが、
ぼく君の何倍もある巨足。

その癖に放つ言葉がとにかく繊細だから、
そのギャップがたまらない。

特に好きなサイモンとぼく君の会話は

ボクくん:ねえ、なんで夕日は赤い色をしているの?

サイモン:それはね、光の屈折とか、なにか科学的に説明できる理屈があるみたいだよ。サイモンは忘れちゃったけどね。
でも、一番の理由は、みんな夕日の色が赤じゃないなんて想像ができないだろ。だからなんだ。だから夕日は赤いし、海は青い。空の雲は白くて、夜の闇は黒く塗られてるんだよ。
私は、もっといろんな色に見える、自由な夕日を撮りたいんだ。
ぼくのなつやすみ2より

とてつもない。
どこで生きてたらこんな回答ができるようになるんだろう。
きっとそれはサイモンがいろいろな世界を飛び回ってるうちに、
そこで出会ってきた人々にたくさんの事を学んだのだろう。
誰でも、そうだ。立派にはなっている言葉や立派な立ち振る舞いで織りなす行動も、みな周りがいなければその教訓は光を見出さない。

夕日と聞くとみんな赤や朱色以外であることを疑わない。
前に会社の先輩が教えてくれたのだが、色の識別は人間が最もあやふやに断定するものの一つだと。

疑いを持つとかではなく、
もっと自然に感じたまま自由に物事をとらえたい。
それがきっと、これまででは生まれなかった感情が芽生える一つになるのではないかと思う。

サイモンは、要所要所でこのような言葉を放ち
ぼく君に聞かせてあげる。
子供だからとフィルターをかけず、ぼく君だからこそに放ちたい言葉を選び聞かせてあげているのだと思う。

サイモンはとても足の大きい人。
恐らくABCマートでは靴は見つからず、サカゼンとかに行っているんだろうな。

興味があれば、ぜひYouTubeの実況動画を見てみてはいかがでしょうか。

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