なぜ「百合に挟まる男」は許されないのか、についての私見
どうもこんにちは、二橋です。
最近ふと考えるきっかけがありまして、
「百合カップルに挟まる男はなぜ嫌われるのか」
――について、私なりの意見を書き散らそうかと思います。
ざっくりした前提
・百合カップルとは、主に女性同士の恋人関係を指す(必ずしもそればかりではないが)。
・そして、そういった描写がある作品を見ると「間に挟まりてぇ~」と言う男が時々いる。
・そういう男は往々にして、百合好き過激派からボッコボコに叩かれる。
――とまあ、簡略化するとこういう感じである。
もちろん、私も百合オタの端くれとして、「間に挟まりたい」などと言うやからには嫌悪感を覚える。
しかしながら、「妄想するのは自由だろ!」と言われたら?
……うん、ぶん殴りたくなるのは分かる。
分かるが、しかしまあ、「なぜ忌避感を覚えるのか」を説明できた方が、「そういうこと言うのはやめてくれ」という主張に一定の“理”を持たせられるのではないか――と思い、考えてみた次第である。
そして、考えてみたのが以下の三点。
① 百合への神聖視
② 百合に挟まりたがる男≒NTRの構文
③ ジャンル違い
① 百合への神聖視
これまた個人的な印象なのだが、百合好きはとかく百合を神聖なるもの、として見ている感がある。
人によっては、「俺はエロを百合とは認めん!」などと言い出すこともある。
私は流石にそんなことはないが、長らく、
「たとえきわどい描写を含む百合作品であっても、いやらしい目で見てはならない」
――という規範を自分の中に持っていたりした。
……今となっては、自らR-18百合小説を書く程度には軟化したが。
それでも、かつて百合に対して過剰な神聖視を向けていたことは事実である。
こういう考えに至るのはなぜか、というと。
ある種の「幻想」を百合に対して投影しているからではないか――と思う。
まあつまり、百合に対して「純粋」「清廉」「美しい」――などという、一種のステレオタイプを持っているのではないか、ということなのだが。
私はそっちには詳しくないので本当かどうか分からないのだが、BLにも「真実の愛」とかそういうイメージがあるらしい?
しかしながらそれはあくまで「百合」「BL」という、創作のジャンルに対しての、あくまで架空のイメージに過ぎない。
男性同性愛者も女性同性愛者も両性愛者も、実際には異性愛者と同じように浮気だって不倫だってする(当然、よろしくはないが)。
もちろん、みんなそんなことは分かって楽しんでいるのだから、それを問題にするつもりはない。
ただ、「百合」に対して理想のイメージを投影している――というのは重要な事実である。
つまり、
「女性同士の恋愛関係は、異性愛とはまた違ったより純粋な関係性なのだ」
――というような幻想を抱いている人もいるわけだ(もちろん、そうでない人もいる)。
そういった人は「女性同士であること」に、極めて重要な価値を見出している。
そこへ、男を挟もうとするとどうなるか?
……当然、「神聖なるものを穢された」として激怒してもおかしくない。
「百合は宗教」というのも、あながち冗談と言い切れないのかもしれない……。
② 百合に挟まりたがる男≒NTRの構文
NTR……寝取り、あるいは寝取られ、というジャンルがある。
主に18禁方面なのだが、要は
「他者の妻を奪ったり、あるいは主人公の恋人を奪われたりするさま」
――を楽しむジャンル。……とでも言えばいいのか。
まあ世の中、こうしたものを好む人もいるのです。
……ただ、非常に好悪が分かれる分野で、棲み分けやら明示やらが特に重視されている界隈でもある(らしい)。
……それで、なのだが。
このNTRの構図、なんとなく「百合に挟まる男」とも似ていないだろうか?
つまり、
「他者から恋人を奪おうとする間男」=「百合に挟まろうとする男」
なのではないか? ということ。
NTR
「間男がヒロインに好意を向ける」⇒「ヒロインからも好意を向けられたい」
百合に挟まりたい男
「百合カップルの双方に好意を向ける」⇒「二人からも自分へと好意を向けてほしい」
共通するのは、どちらも『元々あった関係性を破壊してしまう』ということに尽きる。
NTRの場合はその「関係性を破壊する」ということを自覚し、あるいはそれをあえて求めていたりするのであるが。
百合に挟まりたがる男というのは、無自覚のまま「関係性を破壊」し、踏みにじろうとしているように見える。
相思相愛であるところに割り込むのは同じであるが、無自覚な分タチが悪いわけだ。
そして、NTRものはそもそもそういう物語類型であり、そこには同好の士が集まっているのだから問題はない。
しかしながら、百合界隈はもともとそうしたことを想定していないジャンルであるため、強い拒否反応を示すのだ――という仮説である。
実際のところ、NTRは、
「好きな人はとことん好きだが、嫌いな人はとことん嫌い」
――ということにになりやすい。
どうしても生理的嫌悪感が拭えない人も多く存在するためだ(NTRジャンルを否定するつもりは毛頭ないが)。
そして、「NTRの間男」≒「百合に挟まりたがる男」だとするならば、「生理的に無理」として批判する人が多くてもおかしくはない。
棲み分けはやはり大切なのである。
③ ジャンル違い
これに関してはそのまま。
なぜなら、男が挟まった時点で、それは百合ではなくなるから。
ハーレムものという別ジャンルになってしまうのである。
「百合に挟まりたい」=「ハーレム願望」
――だとすると、まあ「よそでやっててくれ」の一言で済んでしまう。
ハーレムが好きなのはいい、私もその手のラノベを読むのは好きだ。
しかしながらその欲望を、あくまでも女性同士の関係性を重視する百合に持ち込むのは、筋違いとしか言いようがない。
流石に、「百合の門をくぐる者、一切の煩悩を捨てよ」とまでは言わないが、棲み分けということについて、少し考えてもらえないかなぁ……と思う次第。
――とまあ、以上三点になります。
別段、問題の解決に役立つものでもないと思いますし、ただ私の考えを整理したかっただけなので、無理があるところなんかはご容赦ください。
あくまで「私見」に過ぎないので、鵜呑みにはしないでくださいね!
ただまあ、なにがしかの参考になれば幸いです。
拙文失礼いたしました。
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百合小説なんかも書いています、よろしければ。
『どうせ転生するなら空気になって百合カップルを見守りたい!』
異世界転生百合コメディです。
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