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同棲における金銭管理の認識差

誰かと一緒に住んだことのある皆さんに問いたい。
金銭の管理はどのように行なっているだろうか。
そしてそれは、どのような考え方からだろうか。

今わたしたちは、金銭管理の背後にある個人の考え方についてもう一度考え直さなければならない、岐路に立たされている。

金銭感覚に個人差があるように、金銭の管理の考え方にも個人差があると思う。そしてその背後には自分の主義や偏見が隠れているのだ。
誰かと生活をするときにはそのすり合わせが必要になる。


金銭管理の理想と実際

わたしは恋人とは自立した対等な立場でありたいと願う人間である。
お前呼ばわりは絶対に嫌だし、奢られるという行為も関係性によるがあまり好きではない。

なのでわたしは2人のお金の管理を図のように考えていた。

わたしの金銭管理のイメージ

基本的には各々が自分の財産を管理し、2人の生活に必要な食費・生活費・物品の購入に関しては費用を出し合って賄う(この比率は半々でもいいし、収入に応じた割合でも構わない)。ここにはもちろんだがお互いの金銭感覚のすり合わせや相談が必要である。

一方で個人的な消費や投資はこの共有財産には含まず、自分の財産から支払う。
これによって自分がお金をかけたいところには相談する必要がなく、知られる心配もなく、口出しされる筋合いもなく、自由にお金を使うことができる。


しかし、収入のないわたしと働いている彼の現在の経済状態は下記のようである。

現在の金銭管理イメージ

生活費は基本的に彼が出している(わたしは親からの仕送りを彼にそのまま渡して生活費の足しにしてもらっている)。
収入がなく、貯金もほとんどないわたしは、彼とのデート代や外食代を彼に支払ってもらっている。それどころか、わたしの欲しいものまでときどき彼が支払ってくれる。
わたしはこの状態がめっちゃ嫌である。
彼にはとても感謝しているが、それとこれとは別。

しかし、住民票の上で我々は世帯を同一にする夫婦のはず。わたしの肩書きは専業主婦で、保険も年金も夫の扶養に入っている。
夫の貯金を食い尽くす専業主婦も世の中にはいる(らしい)というのに、わたしはどうしてこの状態を不快と感じてしまうのだろうか。


お金は誰のものか

わたしは実家に帰省したとき、スーパーに寄って消耗品などをよく買ってもらっている。
親に親に何かを買ってもらうことに心が痛まないのはどうしてだろうか。
親とは生計を一にしていないから、いくら洋服や消耗品を買ってもらったところで最悪感は生まれないのかもしれない。

しかし彼の場合は違う。
わたしがお金を使う分、彼の財産が減っていく。つまり自分の財産を減らしていくことにもなるので罪悪感が生まれる。

彼は、生計を一にしているのだからわたしの欲しい化粧品や洋服も彼のお金で買っていいという。
彼の考え方はこうだ。

彼の金銭管理イメージ


わたしは現在共有の財産にほとんどお金を入れていない。だからといって、わたしが共有の資産に関して何も貢献できていないと感じるとしたら、それは間違いだという。少なくともわたしが存在することによって彼の仕事への意欲は上がっているので、その点ではこの共同体に対して貢献していると彼はいう。
なんだかフィットしない。わたしが気にしているのはもっと金銭的なところだ。

わたしには、自分で稼いだお金は自分の裁量で使えるという感覚がある。
一方、わたしの資産は共有の資産だという感覚もあるので、自分で稼いだお金を使うとしても大きな出費をするときには彼に相談するだろう。
しかし、いくら彼が反対したとて自分が本当に欲しいと思ったら自分の意思で購入を決めたい。

しかし彼のお金では、わたしが自由に使えるお金がない感覚がある。
2人にとって必要だと思うものの購入を提案したとして、自分が強く欲しがっていても彼の反対があれば自分は簡単に引き下がってしまうだろう。
彼が欲しいと思うものを相談された場合も、意見は伝えるが最終的な決定権はお金を稼いでいる彼にあると考える。

この思考の根底にあるものはなんだろうか。


提案から傾向をつかむ

さまざまな状態を提案しあい、自分がどこに違和感を感じているのか突き止めることにした。

もしも逆の立場なら

逆の立場なら、自分のお金をどのくらい自由に使ってもいいか。
→趣味にお金を使うのは構わないと思うけど一声はかけてほしいかも

口座を統一して財産を完全に同一にする

どちらかのお金という概念をなくしてしまうことで、自分のお金じゃないからという罪悪感をなくすのはどうか。
→買うものを話し合う必要は変わらないので効果はあまりないかも

生活費無期限貸付

毎月決まった額を彼から受け取り、自由に使えるお金とする。これを出世払いの無期限貸付にしてはどうか。
→人にお金を借りることに抵抗がありすぎる!今ですら引越し費用を折半にしたいとごねて立て替えてもらっているのに

お小遣い制度の導入

2人ともお小遣い制度を導入する。貢献度の問題なら、子どものお手伝いのように成果報酬型のお小遣いにしてもいい。
→毎月決まった金額を自分の裁量で使えるお金にできれば、前項の悩みが減りそうな気配がする
→成果報酬にすると体調に左右されて働くことができない今の状態を家庭で再現するだけであまり意味がなさそう

ということは、わたしは自分が自由に使っていいお金が欲しいだけなのか。


金銭感覚の相違

そもそも、金銭感覚に相違があるようだ。
食材へのこだわりや外食に関しては大きく変わらないが、もともとの収入に7倍ほど差があったためなのか考えずに出せる金額には違いがある。
彼は2000円くらいだったら許可を取らずに勝手に使っていいと考える。わたしは200円だったとしてもよく吟味して話し合いのテーブルに出す。
この200円がわたしの心を窮屈にさせるのか。

わたしはほとんどのことに対して自分の収入をわきまえて生活のレベルを下げてきたけれど、譲れないものもある。
例えば、基礎化粧品だけはデパコスを使いたいというこだわり。
高くて良い化粧品を使うことで、「高い化粧品で肌を良い状態に保つわたしは良い女」といったように、なんとなく自分がエレガントに見えてきて自己肯定感が上がる。
欲しいものを諦めてばかりの質素な生活の中では、自分のことも卑下してしまいやすい。だから、そのこだわりを続けることで自分の尊厳を保っている。

わたしにとってこれは贅沢品。自分のお金で買うべきだと思う。誰かに買ってもらうなら、基礎化粧品自体は生活に必要だから買うのをやめる選択肢はないが、もっと安価なものに切り替えるべきだと思う。
しかし、彼にとって自分が幸せになるための出費は必要経費だ。生活費から出していいという。この違いにわたしの無駄な抵抗が生まれてしまう。

この金銭感覚の相違は、わたしの方が現在の生活と乖離があるので修正していかなければいけないと思う。


自分の考え方に気づく

ここまで考えてみて、自分の中には

  • 趣味や贅沢品は自分のお金で買うべきだ

  • そういったものは誰かに許可や報告なく自由に購入したい

という考えがあるようだ。
なんとなくモヤモヤしていたものがここまでシンプルになった。
わたしにはいくつか選択肢があるので、どれを取るべきか慎重に検討していく。

金銭感覚、奥が深い。
収入の違いはわかりやすいけれど、育ってきた環境や自分の固定観念もあるんだろうな。


誰かと一緒に住んだことのある皆さんに、どのような考え方からどう金銭の管理をしているか、聞いてみたい。

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