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釣り合っている恋愛なんてこの世にあるのか

付き合って2回目のデートで、彼からこう言われた。

「僕の期待に応えようと思わないでほしい。僕はこなと一緒にいられてすごく幸せで、一緒にいるだけでこなからたくさんのものを受け取っているから。」

これは、彼が元彼女に「私はあなたには釣り合わない」と別れを告げられたために、わたしには最初からいろんなことを負担に思ってほしくないと考えた彼なりの言葉だった。

今のわたしたちはどうだろうか。
釣り合うか、釣り合わないか、期待に応えられるかどうかなんて考えてはいない。
でも、わたしが彼と釣り合わないかもしれないと一切悩まなかったわけではないので、その過程をまとめたい。
あくまで立派で素敵な人に対して自分が勝手に引け目を感じてしまう場合を想定しているので、不倫や浮気性、クズなど状況が違う場合は当てはまらないと思ってほしい。




元彼女とわたしのスペック差

わたしがこんなことを言うからには、「あなたとは釣り合わない」と言い放った元彼女よりもわたしの方が彼とのスペック差が小さいに違いない。
・・・そんなわけがない。

彼は有名私大卒で、ちゃんと収入がある。元彼女はたしか大卒で、仕事もしている。
他方わたしは誰でも入れる専門を留年ののち卒業して今は無職。精神疾患で年金ももらっている。

スペックだけ見れば、わたしと彼の方が明らかに釣り合ってない

しかし、(話を聞いただけだが)元彼女とは2週間に1回しか会わなくても満足していた彼が、付き合いたてでも10日会えなかっただけでめちゃくちゃ寂しがって毎日電話し、一緒に住んでいる今は行ってきますとおやすみの挨拶すら名残惜しそうにしている。

つまりわたしが言いたいのは、問題は本当に釣り合っているかどうかではなくて、それを感じる自分側の問題だということ。
どんなに素晴らしい相手が自分を想ってくれたとしても、それを疑って手放してしまってはいつまでも幸せになれない。



「釣り合わないかも」は自分が下だと感じるときの言葉

釣り合わないかもしれないと不安になるということは、どちらが上か下かを評価してしまっているのだと思う(便宜上、上側と下側と呼ぶことにする)。
しかし、これは自分が下側だと思ってしまう人の妄想だと、彼と話していて感じる。


わたしが「釣り合わないかも」と感じたこと

わたしたちの場合はスペック(特に学歴と収入)にもかなり差があると感じるが、お互いにスペックで人を評価しないのでこれ以上言及しないことにしたい。

わたしが悩んだことは、

  • 感情が安定している彼と安定していないわたし

  • 彼の方が愛が大きい気がする

  • わたしの体力がないので連絡や会う頻度・時間に制限をかけてしまう

わたしが彼に対して迷惑をかけている・我慢をさせているように感じて、彼が他の人と付き合っているならもっと普通の恋愛をさせてあげられるのに、と思ってしまっていた。


”上”側は対等だと思っている

一方で上側の人はそんなこと考えていないというのが、わたしが彼と一緒にいて感じることだ。
その人と一緒にいて、楽しくて、安心して、発見や学びがあるから一緒にいる。

自分の友達で、「嫌なことを言ってくるな」「この人と一緒にいると自分が嫌いになるな」と思えば離れるはず。今仲良くしている友達は、話が聞きたいから連絡するし、一緒にいて楽しいから会いたいと思う。

まして恋人となれば、1人しか選べない分その視点はシビアになると思う。仕事でもないのだし、自分のためにも自分が幸せになれない人とは長時間一緒にいないはず。
自分は相手と対等で、相手にも学びや発見があるからわたしと一緒にいる。常にこのマインドで接していい。下側だと感じてしまう人は自分を卑下しやすいから、むしろもっと強気でもいいかもしれない。


では、下側が持っている劣等感を、上側はどう思っているのだろうか。

例えばわたしには精神疾患があって、それを引け目に感じている。けれど、彼からしてみればそれも可愛いわたしの性格の一部らしい。
「病気があるけど好き」「メンタルが安定しないけど好き」みたいな「マイナス要素もあるけどそれでも好き」ってことなんじゃなくて、むしろそれはマイナス要素ですらなくて、それも含めて最初からわたしの全部を好きなのだ。
もしこの考えを受け入れられないなら、我々は素直に受け取れない気持ちや疑ってしまう気持ちを認めてあげることから始めなくては。



釣り合っている恋愛は存在しない説

結局厳密に言ってしまえば、釣り合っている恋愛なんて存在しないと思う。収入でも、学歴でも、愛の大きさでも、見た目のよさでも、全く同じカップルなんて存在しないから。
自分が上だと思おうが下だと思おうが、双方にメリットがあるから付き合おうと思うのだ。
疑ってしまいたくなるけど、そんな考えは割り切って捨ててしまって、わたしはその人に見合う人なのだと虚勢でも胸を張るしかない


「わたしは好き、あなたも好き、それが幸せ」が全てであれ

他人との比較はどこまでも悲劇しか生まない。
友達の恋人と自分の恋人を比較したら、理想の恋愛を押し付けてしまうかもしれない。
自分と相手を比較したら、釣り合わないとか重いと感じて疲れてしまうかもしれない。

わたし的理想の恋愛は、お互いが好きならそれでいいじゃんってこと。
好きだからやってあげたい、見返りはいらない。好きだからもらって嬉しい、お返しはわたしのやり方で。
理想からの引き算じゃなく、純粋に相手を見ていたい。
好きの大きさが違ったとしても、両方が同じマインドだったら「相手にもっと愛してほしい」とか「相手の愛が重い」とか思うことはないと思うんだよなあ。

理想論ではありますが、2人ともこう思っているわたしと彼は今とっても幸せです。



まとめ:幸せになる自分の準備

「あなたの期待に応えられない」と言って彼と別れた元彼女。
彼を世界にリリースしてくれたことに対して元彼女さんには大変感謝しているが、人を愛することに長けたこんなに素晴らしい男を自分の事情で手放してしまうなんて何事!?と思うので、幸せになりたい人間には精神の成熟が急務です。

わたしは、理想を通して相手を見ることをやめて、相手には全部を知ってほしいと思うのをやめて、自分には愛される資格がないと感じる呪縛を解き放って、成長した今だからあなたに会えてよかったよ。


おまけ:ちょっと違う視点で「重い」「釣り合わない」について書いてある前の記事。


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