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マッチングアプリで出会った人と3ヶ月で事実婚するまで#17 〜彼の誕生日旅行(下)〜

彼と1泊2日の仙台旅行中。
これから書くプレゼントへの思い入れが強すぎて長くなってしまったので、急遽2部作となりました。
ホテルに到着して誕生日プレゼントお揃いのパジャマを渡したところまでが前回。



入浴を済ませ、お互いパジャマに着替えた後に再び座ってもらう。
まずは彼が持ってきてくれた交換ノートを読んでくれた(正直この時点で気が気じゃなかった)。手紙や交換ノートは書き手が読んであげる文化がある。
彼の27歳という年と、わたしたちの関係性とが書かれたそのノートにすでにうるっとしたけれど、わたしに取っての本題はここじゃない!と思って満を持して取り出した。


バースデーカード。
LOFTで見繕おうと思ったけれど、カードの壁を眺めているうちに自分で作るアイデアが浮かんできた。
わたしは絵もうまくないし(子どもに描いてあげるような絵しか描かない)、手先も不器用なのだ(仕事が向いていなかった理由の一つでもある)が、こういうやつを人に作ってあげるのが大好きなのである。
以前には元彼に交際3年記念で10ページ以上のアルバムを作成し、知り合いの誕生日祝いにストップモーションアニメを作成したこともある。
不器用がゆえ、時間はかかる。今回は表紙含め計6ページを7時間かけて作った。

テーマは「わたしと出会う前の人生、出会ってからの人生」。
1枚目にHAPPY BIRTHDAYの文字と飛び出す仕様のケーキ、お気に入りのツーショットをプレゼントの形に切り抜いた。
2枚目にはわたしと出会う前の彼の写真を10枚以上貼り付けた(彼は自分の写真をGoogle Photoで全部共有してくれている)。
めくって3枚目にはわたしが撮影した彼の写真。期間はずっとずっと短いはずなのに、思い入れがある分選びきれなかった。
4枚目には封筒。その中には手紙。
100均でかわいいくすみ色の画用紙と花の形のクラフトパンチを買ってきて、貼り付けて冊子にするところから。

ほぼ丸1日かけて完成して、辺りを見たら日が沈んでいて、ゾーンに入っていたことに気づいた。パソコンから流していた竹内まりやの歌声と、配置するたびに「かわいい!」を連呼したことは覚えている。
作った後に愛しいが溢れ出してしまって、この日まで1週間このことを秘密にしておくのがかなり大変だった(たぶんおおよそはバレてた)。

用意していたものが予想以上だったようで、彼はすごく喜んでくれた。
3枚目から見始めたので前のページを見せた。最後の手紙はやっぱりわたしに読んでほしがった。
書きながらと読み返しながら何度も泣いて、よし、もう泣かないだろうというところまで読み込んだのに結局泣きながら読んだ。交換ノートも手紙も毎回泣きながら書いていたし、読みあげてもらうと泣いている。涙もろさが筋金入りのわたし。

作ってる間すごく楽しかったし、彼への愛も勝手に深まったし、作らせてくれてありがとうの気持ちだった。急に重めのもの作っても喜んでくれてありがとう。



さてとさてと。
そんなこんなで1日目は終わり、2日目は観光。
彼は市内観光をほとんどしたことがないというので、循環バスを使って名所巡りをすることになった(松島で彼の好物である生牡蠣を食べるプランもあったのだけれど、わたしが苦手なので今回はなくなった)。


るーぷる仙台の1日券を買って最初に向かったのは、仙台市戦災復興記念館。
彼に「ここどう?」と言われたので、戦災を震災と勝手に見間違えたわたしは「いいね!」と東日本大震災の被災エピソードをお互い話しながら向かった(歳の離れた人と話すと年齢差を感じて楽しいけれど、彼と話すと同い年を強く感じるのでそれも楽しい)。ちなみにバスを降りた後に「戦災ね」と修正された。

仙台駅とバスの中は混雑していたのに、この場所で降りる人はわたしたちの他にいなかった。
少し歩くと施設が見えてきて、資料館には見えない、会社でも入っていそうな見た目にちょっと慄いた。むしろ引き返すか検討した。建物に入ると吹き抜けのエントランスには人気がなく、休館日かな?と思うレベル。
どうやら展示室だけではなくホールや会議室が入っているようで、「資料展示室はこちら」の目印をたどるとチケット売り場が警備員の窓口だし、わたしは正直怖かった。
しかし彼に迷いがない(彼は旅行先でその場所の歴史を学ぶのが大好きな人間なのだ)。

警備員の男性に料金を支払い、緩やかな階段を下るとモニターとベンチがあった。DVDが待機中になっていて、リモコンで自由に操作して好きな映像を流せるようになっていた。
それがまあ、とてもよかった。仙台がどんな場所で、どんな被害があったのか、空襲のときの話を当事者のインタビューを使って作っている。
1つだけ再生して、彼と話をした。少し前に作られたもののようで、空襲があったときに大人だった人はもういないのだろう。みんな子どもの頃の話だったから、誰かが見せないように、苦労させないように配慮してくれた場面も多かったと思う。だからその頃大人だった人の話がもっと聞きたい。
結果的に展示の後半でこの証言を見つけることになる。

わたしたち以外に誰もいなかった部屋はしんと静まり返っていて、どこかでときどき水が垂れる音がするのが絶妙に怖い(防空壕の展示だと後からわかった)。
センサーで始まる音声に飛び上がって逃げる(リアルにトムとジェリー)ほどおったまげたエリアに、小学校の先生や2人の子を連れて逃げる母親の証言が文章で残されていた。
わたしはそれを読んで、こらえていた涙がこぼれてしまった。30分以上そこにいて資料全てを読み込んでいたら、わたしの心はとっぷりと浸かりすぎてしまったようだ。涙がこぼれると、心の疲れにも気づいた。その一番深いエリアから離れて、展示のずっと終わりの方を見るでもなく立ちぼうけていると彼が来て、わたしは「ごめん、わたし泣いちゃう。もう疲れちゃった。」と言った。これ以上は自分にとって厳しいので、残念ながらあとは流し見した。
それくらい、色褪せない素晴らしい展示でした。120円でこれは安すぎるくらいよ。


戦災復興記念館を出るといい時間だったので、ランチを食べることにした。
探したのは前日に引き続き、牛タン。近くのお店を見つけて、今日はタンシチューまで食べた。日曜なのに並ばず入れて、昨日のお店とは大違いだ。
しかし牛タンってどこで食べても変わらず超おいしいのすごい。
ご飯を食べたらわたしの心もすっかり回復。


次に向かったのは瑞鳳殿。わたしは以前来たことがあったけれど、彼は初めてなので寄り道しながらゆっくり歩く。
伊達政宗公の希望でこの場所に建てられたという霊廟。4月中旬の仙台ではまだ桜が咲いていて、見上げるとはらはらと花びらが散り、ホトトギスの声が静かに響く。のどかで、桃源郷のようで、ずっと佇んでいたいとすら感じて、ここで眠りたいと願った伊達政宗公の気持ちがわかるような気がした。

近くの景色もよかった


新幹線の時間までもう少しだけありそうだったので、仙台城跡へ。
宮城縣護國神社で絵馬を書いた。贅沢にもお願いを2つ書き、1つは叶ったけれどもう1つは叶わなかった。
わたしが前回来たときは虹が出てたんだよ、なんて話して、撮った写真は彼がギャルみたいな顔をしていてお気に入りの1枚になった。


駅でお土産と、軽めの夕飯を買う。
次の週に彼の両親、その次の週にはわたしの両親への挨拶が控えているので、お酒好きな双方の両親のためにお持たせを見繕う。
彼のご両親にはワイン、わたしの両親には日本酒にして、彼の家に送った。住んでいる3人全員在宅勤務だから指定日かけないのすごいなと一人暮らしは思った。

新幹線での移動時間は半分以上眠った。東京に着いたときに、「せっかくだから(?)東京に着いた写真も撮ろう」とわたしが言い出して、ホームで看板を背に写真を撮った。後日写真を見返していたら、この写真の彼の目が潤んでいることに気づいて「東京帰れたのがよっぽど嬉しかったんだね」と2人で電話で爆笑した。
駅に着いたら写真を撮るのはわたしたちの定番になった。

いつもなら電車の中で解散だけれど、今回は彼が次の日に誕生日休暇を取得してくれていたため、わたしの家に2人で帰ることになった。
今気づいたんだけど、帰りが一緒じゃなかった旅行って最初だけだったんだな。この1ヶ月後には同棲を始めているので、この後の旅行は同じ家から出発して同じ家に帰る。それがすごく嬉しいけれど、やっぱり別々の家からの旅行もちょっぴり恋しくなるもんだ。


ちなみに次の日は家でのんびり過ごした。
家で過ごす1日は1人だと長すぎるくらいに感じるのに、彼といると足りないくらいだ。一緒に住んでいてもそう感じる。

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