街道ウォーク 東海道 その7
東海道 その7 藤沢→平塚
東海道その7は、藤沢→平塚を歩きます。
距離は17,6Km、所要時間は4:27時間 22,889歩、消費カロリー2714kcal
藤沢→茅ケ崎
本日は、小田急藤沢本町駅からスタート。
改札から街道に出てすぐ向かい側、階段を登れば「真源寺」。街道に戻ると「藤沢宿京見附跡」の案内があります。江戸方が遊行寺の東門付近にありましたので宿場の範囲が広かったことがうかがえます。
しばらく街道歩きが続き、引地橋を渡ると人だかりが見えます。どうやら藤沢七福神めぐりのようで、こちらが「養命寺」となります。
街道の反対側にお顔が真っ白なお地蔵さまがいらっしゃいます。「おしゃれ地蔵」と呼ばれており、満願のあかつきには、白粉を塗ってお礼をすると伝えられているそうです。お初にお目にかかりましたが不思議な感じ。
お隣には大きな貯蔵タンク。フランス語の感謝を意味する「メルシー」と人を意味する「アン」をプラスして「メルシャン」、お客様への感謝という意味が込められていたんですね。お世話になってる、メルシャンワイン。
街道は「聖観世音菩薩碑」を過ぎて、創業70余年の老舗和菓子屋さん「御菓子処 丸寿」までやってきました。明治神宮献上銘菓「大庭城最中」を買っていきましょう。大粒の粒あんがお城の中に詰まっています。
街道はそろそろサーファーに人気の辻堂に入ってきました。茅ケ崎や鵠沼と違ってロコな感じが魅力的な街。
本日のゴール、平塚はまだまだ先です。
街道は国道1号線との合流、ここ四ツ谷の交差点を渡ると祠が見えます。「四ツ谷不動」、大山不動とも呼ばれ道標も建てられています。「これより大山みち」と側面に書かれており、右手の通りには大きな鳥居が。
大山阿夫利神社の一の鳥居で大山詣での人々が通った道、明神鳥居の額束には「天狗様」がいらっしゃいました。
羽鳥交番前の交差点を過ぎ「四ツ谷の一里塚跡」を確認、松並木を歩いていけば「二ツ家稲荷神社」に到着です。
松並木の街道が続き、いよいよ茅ケ崎に入ってきました。サザンとえぼし岩の街、ユーミンの詩にも登場しますね。「ゴッデス」にも寄ってみたいけど時間が。。。残念。
湘南っていう響き、なぜか気持ちが高ぶります。誰もが一度は暮らしてみたいと思うあこがれの地。
「明治天皇御小休所阯碑」を確認して進むと山門が見えてきます。浄土真宗本願寺派「上正寺」です。上野寛永寺からもたらされた「石灯籠」もあり、家綱の墓前に奉納されたものとありました。葵のご紋も見て取れます。
奥に進むと小和田村の鎮守、「熊野神社」。参道入口の右側にある鐘楼は珍しく朱色で彩られています。魔除けの狛犬、迫力あるいいお顔。
歩道の脇に少し登りで「旧道の痕跡」が残されており、江戸の旅人気分に浸りながら松並木の街道を更に歩いていくと「牡丹餅立場跡」。ここからは「富士山」が綺麗に見えます。旅人も茶屋で休みながら、この富士山を眺めていたことでしょう。今日は天気も良くて最高な気分。
茅ケ崎高校前の交差点を過ぎると「東海道の松並木碑」があり、街道を本村の交差点を過ぎて先へ進むと、右手奥の方に茅ケ崎の鎮守「八王子神社」が見えてきました。多くの武士が訪れ、あの新田義貞も立ち寄ったとされていますから、歴史を感じます。
茅ケ崎→平塚
相模線の高架を超えて、茅ヶ崎駅前までやって来ました。交差点角に大きな松の木があります。こちらが「茅ケ崎の一里塚」で江戸より十四里、昔は道の両側にありました。思えば、既に50km以上歩いてきたわけです。
東横インの前、歩道の真ん中に「クロマツの切株」が残されており説明書きがあります。この切株は高さ20m、太さ2,5m、樹齢が約200年で、腐朽による伐採されましたが、シンボルモニュメントとして残し記憶を継承するとあります。
今度は街道の左側へ移動します。真言宗高野山「円蔵寺」の社号標が見えてきました。護摩堂、同行二人の石柱と大師像、「乃木大将像」と護国忠魂碑が境内にあります。像の横には203高地、血染の岩片、日露戦争の停戦条約が結ばれた水師営にあったナツメの木が奉納されています。
少々お疲れ気味の太ももを気遣いながら先へ進めば「第六天神社」に到着。元々は第六天魔王(仏道修行を妨げている悪魔)を祀る神社として創建。
神仏分離の際に、その名前から日本神話にでてくる神世七代における第六代の、「おもだるのかみ・かしこねのかみ」に祭神が変更されました。
広い境内を進むと狛犬に迎えられて本殿となります。梁の彫刻が見事なのと、本殿周りの松の木に目を奪われます。
南湖入口を過ぎて、少し左に南湖通りを進むと高野山真言宗「金剛院」、芝生の中の石畳先に本堂があります。境内には六角形の朱色が美しい「長生殿」、金文字の扁額が掛かる大師堂もありました。
街道は緩やかに右にカーブして、先には橋。「関東の富士見100景」、茅ケ崎市からの富士と書かれたプレートが掛かっています。
橋の向こうのど真ん中、見事な富士山の姿が現れました。
橋を渡ると「南湖の左富士之碑」、富士山と言えば常に街道の北側、東海道の上りでは右側に見えるはずですが、ここ南湖と静岡の吉原二カ所が左手に富士山が見える有名な場所。広重の浮世絵にも描かれています。
向かい側には朱色の大きな鳥居「鶴嶺八幡宮大鳥居」が建っています。相模の国茅ケ崎の総社として平安時代から続く総鎮守。参拝したいところですが、街道からかなり先になってしまうので今回は断念。
鳥居の先には「弁慶塚」。頼朝が落馬したのは義経の祟りとして、弁慶塚を築いて霊を慰めたものとか。平安時代の陰陽師、安倍清明が喉の渇きを癒したと伝わる清明井戸がある「下町屋神明神社」を通過します。
歴史の授業で習った覚えのある名前が色々と出てくるな~なんて考えながら歩いていると「でかまん」と気になる文字の看板が目に入ってきました。
東海道の名物まんじゅう、と書かれています。「でかまん菓子舗」さん、なかなかの店構えで歴史も感じさせてくれるウインドウには大きなでかまんが並んでいます。一番大きなものは30cm以上はありそうです。
「旧相模川橋脚跡」を左に見て、新湘南バイパス高架をくぐり街道を進んでいくと、日蓮宗の寺院「上国寺」の南妙法蓮華経と見事に彫られた社号標があります。本堂へ進むと法事でしょうか、時代劇でしか聞いたことがなかった、日蓮宗の太鼓をたたく音と南妙法蓮華経のお経が聞こえてきました。
続いて、同じく日蓮宗の「信隆寺」が並びます。山門をくぐると大きな本堂と左手に「日蓮上人像」が建っています。こちらにも木造日蓮坐像があり、古いもので本堂にまつられています。
こちらも市の指定重要文化財となっており、龍ノ口の法難でこの辺りに縁が深いせいなのか、日蓮宗のお寺が目立ちます。
相模川を越えてくる悪霊を見張っているという「道祖神」を見て、いよいよ馬入川に差し掛かります。川幅も広く、「馬入橋からの富士山と丹沢山系」が見事な眺めです。
橋を渡り終えると「陸軍架橋記念碑」、向かい側のホテルサンライフガーデンの敷地内には「明治天皇馬入御小休所阯碑」があります。
お隣に目を移すと、本日3軒目の和菓子屋さんがあるではありませんか。それも「ちょんまげ最中」なる興味深い看板。こちらは「弘栄堂」さんで、ちょんまげ最中が看板商品のお店。
ちょんまげの男の子の顔がデザインされた最中で、粒あんと白あんの2種類があります。このちょんまげ、このような騒動からきているそうです。
祭りの帰り道、一之宮寒川神社のみこしを担ぐ若者と平塚八幡宮のみこしを担ぐ馬入村の若者がけんかを始め、馬入の若者たちが一之宮の神輿を馬入川の深瀬に投げこんでしまう事件が起こりました。
乱暴をはたらいた馬入村の若者16人は打ち首断罪の判決を受けます。処刑の日、代官は若者たちの大切な丁髷だけを斬りおとし打ち首に代えたといいます。罪を憎んで人を憎まぬ名さばきに、みんな感謝したことでしょう。
お店の裏手の方に、この丁髷を埋めたところがあり「丁髷塚」があるというので見に行きます。
馬入の交差点に戻り、本日のゴール平塚駅方面に向かいます。交差点のすぐそばには「馬入の一里塚」が。お江戸日本橋から十五番目。北側の塚には井戸が、馬入の渡しに向かって東側に川合所や川高札があったようです。
平塚駅前の交差点を左折して進めば平塚駅に到着です。駅は大きくビルには平塚駅とLUSCAの表示。ラスカ平塚は食料品、ファッション、レストランと魅力がいっぱいの駅ビルです。
デパ上シリーズでレストランめぐりをしている私としては気になるところですが、時間も遅いので帰路を急ぐことに。
富士山を眺めながらの街道歩き、歴史ある神社仏閣、美味しい和菓子屋さんが3軒も。疲れも忘れる楽しいウォークでした。次回は平塚宿の中心部を歩き、いよいよ大磯へ向かいます。行ってみたかった旧吉田茂邸や島崎藤村邸などもあるので楽しみ倍増です。
詳しくはブログをご覧いただければ幸いです。↓↓
甲州街道 中山道 東海道 シーズン1
前編・後編でkindle本にまとめてみました。
Kindle Unlimited 会員の方は無料でご覧いただけます。
よろしくお願いいたします。
記事をご覧いただきありがとうございます。いただいたサポートは、活動費として使わせていただきます。