乳がんの履歴書:1
笑ってなきゃ、って無理に思うより・・・
喜怒哀楽、その時その時でジックリと噛みしめつつ
無理ない感じで、ゆるゆる~っと、付き合っていけたら良いかなぁと思っています♪
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【座右の銘】 後ろ向きな楽天家☆
遺伝性は認めるけれど、家族の癌と私の癌は別物!!!
* 家族歴から治療法選べるわけじゃないんでね
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【本人の乳がんと、職歴プロフィール】
トリネガ(ER/PgR、HER2は全て0%)だけど『HER-family(HER3陽性)』であり、BRCA1(遺伝性乳がん卵巣がん症候群/HBOC)も陽性
*それ以外にもトリネガのため、念のために行われた神経内分泌性腫瘍の病理検査の殆どに陰性でした。
乳がんであり、希少がんです。あるプレジション・メディスンの臨床試験に生検見本として登録されています。
元:女子もどき(職人系)→元:音楽屋→元:美容部員もどき→自由人(イマココ、つまり無職)
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【家族の病歴】
祖母:原発不明、腹膜(播種?)のがん:他界(40年ぐらい前)60歳ごろ
母 :乳がん
術前化学療法(飲み薬)中に左側に多発、手術をするも術後不良
* M山(有償治験)とコバルト照射治療中に心不全で他界(25年前)49歳でした。
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◆ わたしの治療歴 ◆
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【手術】 2回
2016.01:初発の右乳房全摘、腋窩リンパ節郭清
2016.08:左腋窩(対側/遠隔転移)リンパ節郭清
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【抗がん剤】5種類目(合計18クールは越えました)
2015.08.18~2016.01.21
1:EC /4クール
2:アブラキサン /3クール目PD(4クール予定)、腫瘍径最大17cmまで再増悪
2016.2.23~2016.08.02
3:TS-1 /4クール目PD(約半年/2年予定、3クールで左腋窩リンパに異変あり)
2016.09-2017.01
→:無治療期間 /経過観察のみ (毎月治験など検討、オピニオンを取りに行くなど)
2017.01末~2017.03初旬
4:ハラヴェン /3クール目PD(長くやる予定だったが、やはり呆気なかった)
2017.07~
5:治験 /4クール経過 (HER⭐︎抗体薬物複合体)
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【放射線治療】
4種類目の抗ガン剤の効きが悪く2017年4月に初めての放射線。
*手術が続いたのと、初発の傷が17cm以上と大きかったので、それまで放射線は出来ていなかった。
【1.胸部】(右腋窩奥、鎖骨下、傍胸骨リンパ節の3箇所に直線)
20×2.5gray=50gray(2017.03末~2017.05初旬まで)
【2.全脳】(脳幹横が1番大きく、小脳にも計7箇所近くて小さめ)
カンファレンスで意見が割れたらしいが、転移の予防効果も期待して全脳照射に。
10×3gray=30gray (2017.06.初旬~中旬)
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【言い訳…】
どうせ自分も30後半から40歳くらいで癌になって死ぬんやわ~、と思ってて41歳の誕生日に乳がん発症に気づく。
が。
母の発症から手術までの間、私自身が海外にいて、何の治療をやっていたか知らず。
戻ってからは大学受験で、母からは治療のことは何も聞いておらず・・・
その上、術後不良の末期をそばでは見ていたトラウマがあり。
(当時は遺族ケアどころか、心療内科やカウンセリングが気軽にできる時代には、まだ少し早かった)
正直、手術が怖くってしかたなかったんです!!!
私の場合は医療不信よりも「自分ちの癌は、多分どんな名医にも治せない系」という絶望感しか、なかったのです。
それに
1.自身がクリスチャンであったため、宗教が病気を治したりしないのは知っていたし
2.祖母亡くなってから、母が健康食品的なものに傾倒した時期もあったし
3.私自身も販売員歴が長く、いわゆる「代替え療法」は「代替え」でしかないことは理解していたため
どこにも救いどころがなく・・・
病院に行くしかない、と頭では分かっていたものの
ズルズルと仕事が忙しいのを理由に、病院に行くのを1年も放置
乳房の腫瘍が外に出て「握りこぶし大の潰瘍」を作り、自壊し始めて手に負えなくなり
最初に行ったのは救急外来です。
なので4期だろうなーと思っていたところ、幸か不幸か?
検査の結果、腫瘍15cm超えにもかかわらず、3c期からの治療となり2年・・・
気づいてからだと3年経過しました。
自分の祖母や母のたどった経緯から比べると、長く生きられていることに改めて驚き、いまは感謝しています。
BRCAと現在の治験のスクリーニングで見つかった因子しか、治療に対して陽性の因子がなかったので、先生方からは「生粋のトリネガ」と太鼓判を押されているほどです。
地元病院がメイン、都内病院かけもち
→7月より治験入りで都内がメイン、地元がフォロー(経過報告)となりました。
どの先生にも、ほんとうによくしてもらっていると思っています。
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