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賭けだと思っていた私は想像力が足りなかった

人へ親切にすることを特別なことにしちゃいけない、と思っている。
電車で席を譲ること、エレベーターの開くボタンを押して待つこと、困っていそうな人がいたら声をかけること。

東京は人口が多いためか必然的に「人へ親切にする」機会が増える気がする。暮らすようになってすぐの頃は困っていそうな人へ、なんて声をかけようか考えて一呼吸置くようなこともあったけれど、今はもう考える前に第一声が出るようになった。悩む前に即行動、そんな精神を心掛けている。

けれど私はどうにも引きが悪い。

人助けのつもりで声を掛けても迷惑そうな返事をされることが多いのだ。
例えば電車でお年寄りに席を譲ろうとして声をかけると、「え?結構です!!!」とちょっと怒った返事をされる。まだ声をかけられる年齢じゃない、と怒鳴り出しそうな勢い。

ベビーカーを手で支えながら掴まる場所もなく、電車の走行に合わせて大きく体が動いてバランスを保てずにいたお母さん。声をかけたら「大丈夫なんで!!!」と怒った返事がくる。

他にも電車内の話で言えば、「子供がいて逆に大変なんで。」とか、「もう次だからいいですっ。」なんて返事もあった。

あまりに断られすぎて、それもちょっと怒ってくる人が多くて、体験談を周りへ話すとみんな信じられないと驚いた。そんな反応する人がいるの?と。
私は「なんで私がいやな思いをしなくちゃいけないのだろう」とずっと思っていた。それなら声をかけなければいいわけだけど、ほんの少しの割合でも「心底助かった」とでもいうように感謝を伝えてくれる人がいる。それに私の中にある親切心を自ら放棄したくなかった。

だから毎回、いやな気持ちになるか人助けが成立するかという賭けをしながら困っていそうな人へ声をかけていた。

ある施設の多目的トイレのドア付近で、車椅子に座ったおばあちゃんとその車椅子を押す女性が中に入ろうとしていた。でもドアがうまく開かなくて困っているご様子だった。

私は「お手伝いしましょうか?」と声をかける。
返答は「え、いいですっ!!!」と声を荒げ、ドアをバンッとして大きな物音を出し、明らかに怒り気味。

またこのパターンか。もう慣れっこだ。いつものこと。
うんざりしながらもそんな風に流したけれど通常ではやはり非常識な反応だったようで、私と一緒にいた人は「声をかけてあんな返事をされることがあるの…?」とひどく驚いていた。

それから少ししてまた多目的トイレの前を通ったとき、さっきのおばあちゃんと女性が中で言い合う声が聞こえてきた。

「まだ怒ってるね…。」
こちらでそんな話をすると、「さっきも怒ってた」らしい。

様子を詳しく聞いてみると
「だから声かけてもらったときにお願いすればよかったのに!!!」と車椅子に座ったおばあちゃんが怒鳴り、
「そうなんだけど頼みづらいじゃない!!!」と車椅子を押す女性が言い返す。そんな会話が通路まで丸聞こえだったそうだ。

本当に頼めばよかったのに。

そんな風に一瞬考えて、「ちがう」と思った。
もしかして声をかけても断る人の中には「頼みづらい」という理由から怒りという拒否反応が出てしまう人がいるのかもしれないとふと思ったのだ。

電車で声をかけたお年寄りは「元気じゃなさそう」と気を遣われたと感じたのかもしれないし、ベビーカーを手で支えきれていなかったお母さんはフラフラしていたことを心配されたと感じて恥ずかしかったのかもしれない。
車椅子を押していた女性は一人でサポートできていないと指摘されたように感じたのかもしれない。

人の気持ちは本人にしか分からない。だから全て憶測にしかならないけれど、頑張っている手を緩めることが容易でない心境やさまざまな感情に葛藤を抱える人、手助けを求めたくない人だっているのかもしれない。

そんな「かもしれない」を深く考えてみることはなかった。
人助けのつもりで声をかけても断られ、さらには怒った反応をされることが多くて、引きが悪すぎて親切を「賭け」だなんて思ってきた。

これまで表面的なものでしか判断できていなかったことを恥ずかしく感じた。人の言葉や見える範囲、はっきりと分かる気持ちのその先に、もっと別の何かがあることを知った。私は想像力が足りていなかったのだ。

だから親切心をへし折られたと感じてきたし、断られ怒った反応をされることでいやな気持ちになっていたのだろうと思う。

人へ親切にすることを特別なことにしちゃいけない。

「親切にする」「親切を提供する」感覚ではなくて、私自身が親切心を持った人でありたいと思うようになった。
大事なのは相手が親切心を受け入れることではなくて、私が何をするか、どう行動するかということだけ。

そのスタンスは決して「賭け」にはならない。「特別なこと」にもならない。私がしたいことをするだけだから、相手の反応は関係ない。そして私の行動ひとつで少しでも「助かった」と思ってくれる人のために動けばいいと思える。

私と相手の考えは違うかもしれない。
常にそんな想像力を働かせて、人の気持ちを多角的にとらえていたい。
自分の中にはない感情を想像する。
耳にするはずじゃなかった「人の本心」を偶然聞いて気づいた、大切なこと。


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パーソナルスタイリストChiharu
内面も外見も満たす「自分だけのファッションスタイル」を見つけるスタイリングサービスを行っています。魅力を引き出し個性を活かす、前向きファッションをご提案!

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