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第6回:戦後処理・国際連合憲章と日本国憲法

第二次世界大戦と米ソによる「戦後世界」の分断(1939年~1950年)】
【第6回】戦後処理・国際連合憲章と日本国憲法              

 ≪問い≫
1.テーマ:新たな戦争犯罪の観念と国際軍事裁判
 ・第2次世界大戦はどのような戦争犯罪観を生み出し、戦争犯罪はどう裁かれたか?
 2.テーマ:戦後処理プロセスと国際連合構想とその憲章
  ・国際連合はどのようにして成立し、どのような特徴と限界をもったか?
 3.テーマ:日本の戦後処理と日本国憲法の成立過程
  ・誰が、誰に、なぜ、日本国憲法の、何を、どう「押し付けた」か?
≪問題提起≫
 1.第2次世界大戦はどのような戦争犯罪観を生み出し、戦争犯罪はどう裁かれたのか?
 第2次世界大戦で大量の非人道的行為がおこなわれるなか、国際刑事裁判所設置の準備が進められ、戦争犯罪についても、従来の戦争法違反に加えて、新たな戦争犯罪の観念が登場した。
戦後、米英仏ソはドイツの戦争犯罪を裁くためニュルンベルグ国際軍事裁判所を設置し、日本に対しては、マッカーサー命令により極東国際軍事裁判所が設置された。
この2つの裁判を通じて、「平和に対する罪」が定式化され、「人道に対する罪」の概念が形成された。また、一般住民・文民から多数の犠牲者を出した反省から、戦争法規や人道法規を検討する作業が進められ、ジュネーブ条約改定会議で4つの条約が採択された。
極東国際軍事裁判はアメリカの意向に左右された。アメリカは日本の支配を効果的にすすめるため、天皇・政府・官僚など戦前の仕組みを残し、これを最大限に利用する方法をとった。天皇は免罪され、戦前の政治を動かしてきた多くの政治家・官僚・財界人の責任も問われないままとなった。
戦争責任の追及は、東京裁判で一件落着となり、判決後、釈放されたA級戦犯容疑者たちが政界などによみがえった。                      

 2.国際連合はどのようにして成立し、どのような特徴と限界をもったのか?
 国際連合は、第2次世界大戦における連合国の団結を基礎に、戦後世界の平和と安全の維持を目的として発足した。
国際連盟とは異なってアメリカの主導下で創設が準備され、ソ連も深く関わった。大戦がファシズムと軍国主義の侵略戦争に対抗する戦争であったことを反映して、国連憲章は国際関係における武力の行使と武力による威嚇を禁止するとともに、違法な武力行使を抑止するための集団安全保障の仕組みを設けた。
また、加盟国の主権平等に基礎をおくと定め、国連の目的として、平和の維持と国際紛争の平和的解決などを掲げた。
しかし、大戦が植民地と勢力圏の再分割を目的とする帝国主義戦争でもあったことを反映して、国連憲章には国際社会における権力政治の要素も現われた。
そして何よりも、大戦の勝利に主要な役割を果たした5大国は、安全保障理事会の拒否権を認められるなど、多くの特権的地位を与えられた。       
                              
 3.誰が、誰に、なぜ、日本国憲法の、何を、どう「押し付けた」のか?
敗戦後、日本は連合国軍によって占領され、非軍事化・民主化がすすめられ、日本国憲法が公布・施行された。日本国憲法は占領下、GHQが提示した原案をもとに成立した。
そのためGHQに「押し付けられた」という主張もある。しかしGHQ原案に先立って政府案や各種の民間案・政党案が起草されており、政府案確定後も、帝国議会の審議・修正を経て公布に至っている。
日本国憲法の誕生を考えるためには、このような複雑な経緯を正確に理解することが大切である。誰が、誰に、なぜ、何を、どう「押し付けた」のかを、天皇制の維持をはかろうとする日本の支配層の動向、対日世論の厳しい国々が入った極東委員会の動向とアメリカの立場(日本占領への天皇利用)などを踏まえながら、第一条(象徴天皇)と第九条(戦争放棄)の関係性を解明することが必要である。
また、戦争放棄の規定が、なぜ、どのように登場したのか、国民は憲法をどう受け止めたかなどもきちんとおさえたい。
さらに、憲法の適用から除外された人々が存在したことにも注意したい(国籍条項による在日朝鮮人の排除、アメリカの支配下の沖縄の排除)。
   
            


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