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千葉県松戸市・流山市といえば東京近郊のベッドタウンです。そんなところに城跡があるとは、思いもよらないでしょう。 しかし、「城跡は日本全国どこにでもある」と言っても過言ではありません。今回は、交通の便利な住宅地の中に保存されている三つの城跡を紹介します。いずれも、下総の国衆・高城氏が築いた城です。 根木内城(ねぎうちじょう) 常磐線北小金駅から南東へ徒歩15分ほどで、根木内城址公園につきます。戦国時代に高城氏の居城でしたが、天文6(1537)年に小金城に本拠地を移しまし
言わずと知れた世界遺産・姫路城。白亜の国宝天守はあまりに有名です。 姫路城の天守は、複数の建物が連なった「連立式天守」という形式です。ひときわ目立つ「大天守」の周りに、三つの小さな天守が付属しています。西小天守、東小天守、乾小天守です。 天守の建物群のうち、大天守はいつでも入場可能、東小天守や乾小天守は定期的に特別公開されていました。しかし、西小天守はこれまで公開されたことがありませんでした。 2024年2月、世界遺産登録30周年を記念し、西小天守が初めて公開さ
箕輪城は、群馬県高崎市にある城で、日本百名城に選定されています。上野(こうずけ)国の中央部にあり、戦国時代には北条氏や武田氏、上杉氏がしのぎを削りました。 箕輪城を築いた長野氏 永正9(1512)年、上野の豪族である長野業尚が箕輪城を築きました。長野業正の代には武田信玄の侵攻を何度も受けますが、撃退しています。信玄は強敵であった業正の死後、ようやく箕輪城を攻略しました。 豊臣秀吉による天下統一後、徳川家康が関東に入ります。この時に箕輪城を与えられたのが井伊直政ですが、
奈良県で唯一「日本100名城」に選定されている高取城は、高市郡高取町にあります。標高583メートル、比高(麓からの高さ)約350メートルという堂々たる規模の山城です。 高取城の歩み 城が築かれたのは南北朝時代の頃ですが、総石垣の近世城郭となったのは豊臣秀吉の時代です。天正13(1585)年、秀吉の弟・秀長に仕えた本多利久が高取城の改修を命じられました。 17世紀後半には植村氏が旗本から大名に取り立てられ、幕末まで高取城主となりました。植村氏の当主は代々「家」の字がつい
大友義鎮の祖父として名君とも呼ばれたこの人物の紹介をしないわけにはいきません。生誕は1478年(文明10年)、豊後国の大友氏18代当主・大友親治(おおとも ちかはる)の子として誕生。幼名から名前の改めは6回。塩法師丸(しおほうしまる)、五郎(ごろう)、親匡(ちかまさ)、親元(ちかもと)、義親(よしちか)とある。 先代の父子対立による家中の混乱を鎮めた父の親治により、1497年(明応6年)、当主として擁立。治世の大半は隠居した父・親治との共同統治だった。義長(このとき親匡)、