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動力を使った乗り物が発達する前、水上交通は人や物を運ぶための大動脈となりました。河川同士の合流点などが交通の(つまり軍事的な)要衝とされ、城が築かれた例も多々あります。 京都盆地の南西、宇治川・桂川・木津川が合流する地点に築かれた淀城はその代表例です。 秀吉時代の「淀古城」 豊臣秀吉の時代までは、現在の城址公園の北数百メートルにあったとされます(淀古城)。現在は妙教寺という寺院です。 秀吉は、淀城を側室の茶々の居所として与えました。そのため、彼女には「淀の方」「淀
愛媛県大洲市にある大洲城は、伊予大洲藩6万石の藩庁でした。江戸時代には藤堂高虎・脇坂安治が近世城郭として整備。元和3(1617)年に加藤貞泰が入封し、幕末まで加藤家が大洲藩主を務めました。 肱川を天然の水堀として利用 大洲城は、市内を流れる肱川(ひじかわ)を天然の水堀として築かれました。 肱川のほとりから見上げると、このように見えています。2018年、大洲市は肱川の氾濫で大きな被害を受けましたが、城は水害に強い高台に築かれていることがわかります。 JR伊予大洲駅前