マガジンのカバー画像

戦国note

155
編集メンバーの価値観で記事を追加いたす 好きに記事投稿/追加とかを申請すればできるフリーマガジンです。 普通に歴史団欒を楽しみたい人もどうぞ 20人以上のメンバーを目指すぞ!
運営しているクリエイター

2022年10月の記事一覧

【書評】柴裕之『徳川家康 境界の領主から天下人へ』(平凡社)

 来年の大河ドラマの主人公である徳川家康。創作の中では、「人質から天下人になった苦労人」「信長や秀吉に信頼された律儀者」「豊臣家を滅ぼした陰険な狸親父」など、一定のパターンで描かれているようです。  しかし、近年の研究の進展により、古い家康像は書き換えられています。2017年刊行の本書も、そうした成果の一つといえるでしょう。 「境界の領主」としての徳川家康 本書の副題で、繰り返し出てくるキーワードが「境界」です。異なる勢力が接する境界では、領土紛争が頻発します。  戦国

細川藤孝で考える🤔したたかなプリンス(貴公子)とは?~後編~

さていよいよ後編だが、ここまで、前編で彼の家柄(貴公子であること)を、中編でそのしたたかさを記事にしたが、今回後編では彼の人生の山場とも言える、文化人としての教養が戦場において歴史を変える程の結果(戦力)になった話しをご紹介したい。 突然だがあなたには趣味や特技があるだろうか?最近では価値観の多様化から他人から見れば「はぁ?」と言うようなものを集めていたり、凝っていたりするようだが、この藤孝(幽斎)も戦国時代という血で血を洗う時代にありながら、歌道(和歌、古今和歌集の解釈)

「清須会議」の嘘~秀吉は三法師を傀儡にしたのか

 天正10年(1582年)6月2日、明智光秀の謀反により、織田信長・信忠父子は自害しました。しかし、ほどなくして羽柴秀吉が中国地方から帰還し、明智光秀を討ち取ります。  その後の6月27日、尾張国清須城において、織田家の重臣が集まって権力の方針を話し合った「清須会議」が開かれました。参加者は羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興です。 「清須会議」とは何か 一般に、清須会議の模様は次のように理解されています。  信忠が死んだため、次男の信雄、三男の信孝が家督を争った。勝

観音寺城~山上の巨大石垣群

 観音寺城は、滋賀県近江八幡市にある山城です。近江国守護を務めた名門・佐々木六角氏の居城でした。  この城は、繖山という標高440メートルほどの山に築かれました。観音正寺という寺院の背後にあり、かなり広大な城域を誇ります。  JR安土駅から登城口まで、徒歩で約1時間ほど。レンタサイクルの活用を勧めます。  観音寺城の特徴は、郭のまわりに石垣が高く積まれていることです。  近世城郭の先駆けとなる安土城(織田信長が築城)より早く、「日本最初の本格的な石垣の城」とも言われま