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幕末エピソード7 第七話「オレたちが? 合体!?」
~忍び寄るエコノミッククライシス~

幕末エピソード7だよ。
おさらいだよ。

勝海舟さんたちアメリカ行く
 
↓

桜田門外の変で井伊直弼さん死んじゃう

(おさらいあっさり)


開国しちゃうわ、井伊さん死ぬわ、ドタバタ続きで泣きたい幕府。
それなのに、泣きたい夜が追加されます。


庶民「ちんたらやってんじゃねーぞ幕府! もう朝廷の言うこと大人しく聞いとけ!!」


とうとう一般庶民からも嫌われちゃうんです。
もともと幕府を嫌ってる尊王攘夷派ってのは、今で言う"意識高い系"(あくまでたとえよ)。
ところが、あることがキッカケで、ノーマルに暮らす庶民にまで尊王攘夷が浸透します。

そのキッカケってのが……経済。

欧米と貿易やり始めちゃったもんだから、
輸入、輸出、お金、
それぞれで大問題が発生して、庶民の生活がおびやかされまくったんです。
ということで、このときの経済がどうなったのかを、詳しく説明させていただきます(詳しくってのはウソですね。せいぜい"なでる"程度)。

開国して、欧米との貿易を始めた日本。
「自由な貿易しよー」って条約で決めたので、その通りに幕府が入ってこないから、ちょー自由(ちなみに、アメリカは『南北戦争』てやつで忙しかったので、このころ、一番のお得意様は、イギリス。で、条約では"神奈川"を開くってなってたけど、"横浜"に変更。これが場所的に最高だったらしく、横浜は人気スポットになります)。

このときのやり取りの中で起こった問題、まずは"輸入"からいっちゃいましょう。

輸入品の中で一番多いのが、毛織物や綿織物というグッズでした。
でも、今回の条約には関税自主権がない……つまり日本が勝手に税をかけられないんです(わかんなかったらググって!)。

ここぞとばかりに、外国から、ハイテク機械で大量生産した、安ぅーーい毛織物や綿織物がダイレクトで入り込んできます。
たとえるなら、『ユニクロ VS ちょっと高ぇー小洒落たブティック』みたいな構図。
すると……。

綿織物業の人「あんな安いのが外国から入ってきたら誰も買ってくれないよ! 商売あがったりだ!!」

ってことになり、日本の綿織物業などが大ダメージをくらいます。

では続いて、"輸出"いっちゃいます。

嬉しいことに、日本の、生糸(絹っす)や茶や海産物が、外国で大人気。
特に生糸がスマッシュヒット!
売れる売れる! 売れる売れる売れる売れる売れる売れ…る……売……れ……
とんでもない品薄状態になっちまいます。
すると……

生糸マニア「最近、生糸が全然手に入んない! しかも数少ないから値段がメタクソに上がってる! で、なんかそれに引っ張られるみたいに、いろんな商品の値段も上がってる!!」

物が少ねーから、値段が上がる。
経済用語いっちゃいましょう(ン、ン……コホン)。

インフレです(物の値段上がる、お金の価値下がる)。

幕府「これはマズいよ……。てか、江戸の問屋さんに卸してた商品を、直接横浜とかに持っていっちゃうから売れすぎるんだ……。で、物価があがる......。みんなー! せめて、生糸、雑穀、水油、呉服、ロウは、いったん江戸の問屋さんに持っていって!」


外国商人「おいコラ。『江戸の問屋を使え』って幕府が命令するのか!? これのどこが自由な貿易だ? あぁ!?」


幕府「……僕も今そう思ってたんすよー」

五品江戸廻送令(ごひんえどかいそうれい)

ってのを出すんですが、外国からの大ブーイングで、この法令も効果ナシ。
インフレまったく止まりません。

最後は決定打、"お金"です。

幕府がハリスさんと交渉したとき、「貿易するなら、『為替レート』決めないと!」ってなったんです(「1ドル=〇〇円」みたいなやつ)。
当時、日本には、

『1両』(金の小判)
『1分銀(いちぶぎん)』(銀貨)

っていうお金がありました。 
で、これは、「1分銀を4枚集めれば、金の小判1枚に替えてもらえるよ!」というシステムです(のちにカンヅメが当たるとかではないです)。

"4分銀=1両"

でございます。
1つここで注意点なんですが、1分銀の"素材"自体にはですね、1両の1/4の価値なんて……ありません。
素材はそんないいもんじゃないけど、

「銀貨のサイズが小さかろうが、価値が低かろうが、『一分銀』て書いてあったら、それは1両の1/4ってことにするからな!」

って、幕府が決めていたんです。 
昔の幕府にも、
「お金は国家が作んだよ。たとえガレキでも、国がそれをお金だっつったら、そりゃお金だ!」
と、断言したおじさんがいたほど。

乱暴な感じがするけど、なんか似てませんか?

そう、現代のお金の理屈とほぼ一緒。――ちなみに、"1万円札"の原価は約20円くらいなもん。でも国が、『この紙には1万円分の価値があります!』って言い張って、国民全員が『ある!』って納得してるから、1万円札として成立しております。
江戸幕府、通貨(お金)に関してはちょっと進んだ感覚持ってたんです。

さて、外国には『1ドル銀貨』というお金がありまして、話し合いはお互いの銀貨におよびます。


岩瀬(岩ちゃん)「1ドル銀貨調べたら、小判の1/4の価値なんすね! うちの1分銀と一緒だ!
ということで、『1ドル銀貨=1分銀』でいきましょう!」

ハリス「(それぞれの銀貨を天びんに乗せてみて……)全然釣り合わねーじゃねーか! 条約に『同じ種類を同じ量で交換』ってあったろ!」


岩瀬「いや、『一分銀』て刻まれてれば、その銀には価値があって……」


ハリス「なんじゃその論理! 重さ全然違うのに、『これ一緒の価値ですねー』って、詐欺のやり口じゃねーか! 1…2…ようやく釣り合った! 1分銀が3枚で、やっとうちの1ドル銀貨と一緒の重さだよ! てことで、『1ドル銀貨=3分銀』でいかせてもらう!」


岩瀬「えーー! やだーー!!」


リアルな銀の重さで話を進めるハリスのやり方は、この時代の“世界の”常識。
幕府のちょっと進んだ価値観は、まったく受け入れてもらえず、

"1ドル銀貨=3分銀"

となってしまいました。
ちなみに、海外では、日本より金の価値が高く

"1両=4ドル銀貨"です。

いいですか? まとめますよー。

1ドル(銀)=3分(銀)=0.75両(金)=3ドル(銀)

小数点がない、わかりやすい数字にすると、

4ドル(銀)=12分(銀)=3両(金)=12ドル(銀)

薄々お気付きでしょうか?
つまり……、

ハリス(仮)くんが、日本に4ドル銀貨を持ってきたとします(日本来たよ)。
で、日本の銀に替えたら12分になる(日本で両替だよ)。
それを小判に替えたら3両です(日本で"金"に両替だよ)。
で、海外にその3両を持って帰って、銀貨に替えたら12ドル(帰国して両替だよ)。

出かけに持ってた4ドルが、両替繰り返しただけで、12ドルになっちゃう……。
魔法です。
たたいて増えるビスケットとなんら変わりない(大きく違います)。

外国人「両替するだけで金持ちになれる……日本に行って、"金"持って帰るぞーー!」

てことになり、日本から金がブヮーー! っと出ていっちゃったんです。
もう日本経済大混乱。

幕府「ヤバー!! とりあえず"金"の価値下げるべ! そうすれば外国人も金に食いつかなくなる! 新しい小判作るぞ!」

テンパった幕府は、前より価値の低いニュー小判を作って、金が出て行くのを防ぎます(『万延小判(まんえんこばん)』てんだ)。
おかげで、金の大量流出はストップ(ホッ)。
しかしホッとしたのもつかの間! 今度はお金の価値が暴落しちまい、物価がググンッ! と上がってしまう……。

これぞ、恐怖のハイパーインフレ。

コンビニ行ったの想像してください。
昨日150円で買えたアイスが、今日は450円になってたら、「おい、ハーゲンダッツより高ぇーじゃねーか」って愕然としませんか?
幕末では、そんなようなことがリアルに起こり、ついに国民大爆発。


怒りの庶民「なんでこんなに生活苦しい? そうだ、幕府が勝手に開国したからだ……。もう幕府なんかに任せてらんねぇ! 朝廷に従え! 外国人を日本から追い出せ!」


とまぁ、こんな感じで、庶民の尊王攘夷につながったわけです(「なるほどねー!」ってなりました? 
ホントはね、『1ドル=3分』にされたあと、幕府はとんっ…でもないカラクリ考えて、外国に対抗するんですけど、文字数ハンパないことになるので、やめときます。あなたにお会いしたとき、直接お話します)。


さ、井伊さん亡きあと、幕府の政治を動かす安藤信正さん。
この尊王攘夷の強風を、まともにくらいます。

安藤信正「く……なんてえげつない攻撃……立ってるのがやっとだ……。こうなったら、あれを使うしかない。いくぞ! 公武合体!!」

ナレーション「

説明しよう! 公武合体とは——

"公"の『朝廷』、"武"の『幕府』。2つの機関が力を合わせ、国のピンチに立ち向かおうという大作戦のことであーる。朝廷と仲良くなれば、尊王攘夷派もダマるだろうと思ったのであーる」

藁(わら)の家となってしまった幕府を、もう一度レンガの家にするため、朝廷と仲良くしようと目論む子ブタさん。いや安藤さん。
ガッツリ手を組むには、家同士がつながるのが一番。家がつながる方法と言えば……結婚です。

そこで、幕府は孝明天皇の妹、

和宮(かずのみや)

さんに目をつけます。

14代将軍・徳川家茂(いえもち。跡継ぎ問題を制した、あの"よしとみ"ちゃんです)

のお嫁さんになっていただきたいと

安藤信正「おねしゃーーーーす!」

朝廷に頼み込むんです。
ただ、和宮さんには"有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)"という長い名前のフィアンセがいるし、何より本人が、

和宮「江戸に行くなんて絶対に嫌どすえ」

めーっちゃくちゃ嫌がっている。

孝明天皇も、「嫌がる妹をムリには…・・・」となり、これでスリーアウト、ゲームセッーート。になる直前でした。
意見を求められた一人の公家のアドバイスによって、様子が変わるんです。


岩倉具視「幕府は自分たちに力がないのを痛感した上で、朝廷のブランド力を欲しがってます。和宮様と将軍の結婚を望むのなら、叶えてやりましょう。そのかわり! ……交換条件を出すんです。まず、政治の決定権は"朝廷"で、その命令を聞くのが"幕府"。この形を認めさせる。さらに、外国との条約をブッ壊して、攘夷することを約束させるんです」


駆け引きうますぎ、岩倉トモミン。
ほとんどの公家さん=政治オンチっていう中で、なぜか抜群の政治力を発揮するトモミンのこの案が採用されます。


幕府「やったー! 和宮さんお嫁に来てくれるーー!」


朝廷「喜ぶのはいいですが、和宮さんをお嫁に出す条件聞いてますよね?」


幕府「…………優しくする」


朝廷「それは当たり前です。じゃなくて?」


幕府「…………攘…夷…だったかな」


朝廷「だっかなじゃなく、それです。約束してくれるんですよね?」


幕府「…………10年以内になんとか」

幕府は10年以内に条約をチャラにして、鎖国を復活させることを約束したのでした。

泣きたいのは和宮さんです。
この約束により、江戸へ行くことが決定するんですから。
儚い乙女ゴコロなんてガン無視。
婚約者と引き離され、慣れない土地へ送られる10代の女の子。
かたや国のトップを背負わされ、人生を選ぶことが許されなくなった少年。
家茂と和宮……奇遇にも同い年の15歳、結婚したときでさえ17歳。
幕府と朝廷に翻弄され、強制的に一緒になった2人に救いがあったとするならば……、

仲の良い夫婦になれたこと。

似たような境遇に、鏡を見てるような気持ちになったのかもしれない……会ってみたら好意を抱いたのかもしれない……詳しいことはわかりませんが、とにかく心が通じ合った……。
たくましさと愛情に、年齢なんて関係ないんですね。

若い二人のモヤモヤと引き換えだけど、これでめでたく! 公武合体……


尊攘派「おい幕府! 和宮様を人質に取って、朝廷にいろいろ要求するつもりだろ!? やることが汚ねーぞ!!」


合体、しないんすよ。見事に裏目に出ちゃって。 

和宮さんが幕府に嫁入りすることによって、尊攘派は激怒も激怒。
そのせいで攘夷熱がスーパーヒートアップです。

ハリスさんの通訳を務めていた、ヒュースケンさん殺害(ヒュースケン殺害事件)。
東禅寺(とうぜんじ)というお寺にあった、イギリスの公使館、襲撃(第一次東禅寺事件)。

尊攘派による外国人襲撃のオンパレードです。
事件が起こるたび、外国の方からの猛抗議を受けるのは幕府。そのつど"賠償金"を支払うのも、幕府です。

やっぱりもう無理なんだろうか? 尊攘派とは分かり合えないんだろうか?
そうよ、そうなんだわ、私みたいな幕府が高望みしちゃダメだったのよ……しょせん公武合体なんて、うたかたの夢……。

ネガティブ幕府が崩れそうになったその時。

長井雅楽「あきらめないで!」

遠く離れた長州藩から、奇跡の助け舟が登場します。
キッカケとなったのは、長井雅楽(ながいうた)さんていう藩士が提出した

航海遠略策(こうかいえんりゃくさく)

という意見書でした。それは、

「攘夷なんて、条約やめるなんて無理です! むしろ貿易ガンガンやって日本を強くして、世界のトップに立ちましょうよ! こんな感じで朝廷が幕府に命令してくれたら、この国うまくいきますよ!」

てなことが書かれた、公武合体応援コメント(要約したらこんなの)。

これを見た朝廷は「いずれ日本が世界のトップになるなら!」と、外国との貿易を認めようとするんですね。
一方の幕府も「貿易するならオールオッケー!」と拍手喝采。
なんとこの意見書で、朝廷&幕府の意思が統一され、ようやく、これでようやく公武合体、

安藤「グワァ!!!!!」

……絶対アクシデント起こった声。

幕末あるある『何かに反対してるヤツ、だいたい過激な事件おこす』

が発動して、公武合体の中心メンバー安藤さん、襲われちゃいます。

尊攘派の水戸浪士6人に、江戸城坂下門外(さかしたもんがい)で襲われた安藤さん。
やり方は、ほぼ"桜田門外の変"(名前も『坂下門外の変』)。
幸いなことに、ケガはしたけど命に別条なし。でも……傷を負った"部分"がよくなかった。


安藤の部下「安藤さん大丈夫ですか!? でも命が助かってよかったー。ところで、どこをケガしたんですか?」


安藤「背中」


安藤の部下「!」


安藤「!」


安藤の部下「!」


安藤「!」


安藤の部下「!!」


安藤「なになになになに!? みなまで言って! 背中ケガしたらなんかヤバ………あヤベーわ」


政治の話ばかりで忘れがちですが、みんな"武士"なんです。侍なんです。
背中なんかやられたら、

『背中の傷は武士の恥だ!』=『テメー、武士のくせに、敵に背中向けて逃げようとしたんじゃねーのか!?』
てことになるんです。

背中やっちゃった安藤さんに「サイテー!」「それでも武士か!」という嵐のような批判が飛んできて、最後は「背中キズ野郎」のレッテルを背中に貼られ、なんと老中に背中を向けることになります(辞めさせられたってことね)。

さらに間の悪いことに、"あるウワサ"が原因で、尊攘派がバーリバリ活気付いちゃう。
安藤さんいなくなって、"あるウワサ"で尊攘派元気になって……紙袋から落としたオレンジが坂道を転がり落ちて行くように、公武合体の人気はなくなっていったのでした(オレンジの表現はどうしても入れたかったんです)。

そして、特に尊攘派が勢いづいたのが長州藩。

久坂玄瑞(松陰センセーの愛弟子)

桂小五郎(かつらこごろう。ちょー有名人。西郷隆盛、大久保利通と3人合わせて『維新の三傑』なんて呼ばれたりしてます)

といった、吉田松陰のDNAが暴れ出します。


久坂玄瑞「『公武合体』なんてクソくらえだ! 時代は尊皇攘夷なんだよ!!」


長井雅楽さんの影響で公武合体に染まっていた長州にドロップキック。
藩全体の方針や意見を"藩論"て言うんですが、なんと藩論を尊王攘夷に変えてしまい、「長州藩まるごと尊攘派」という状態にもっていったのでした。

のちに、全国の尊王攘夷派のリーダー格となっていく長州藩。
この頃から、松陰の意志を受け継ぐ者たちが、藩の中心を担っていくことになります。
 
 

それはそうと、尊攘派を活気付かせ、公武合体が弱まるキッカケとなった"あるウワサ"とは……。
 
実は、あの藩がまた動き出したんだけど、ちょっと事情がややこしくて……えーと……

説明に手間取るので、次回!




本当にありがとうございます!! 先にお礼を言っときます!