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幕末エピソード8 スレ違い、カン違い、ウソ、ケンカ。 コメディでもラブストーリーでも100点

幕末エピソード8、いきますよ。
そしておさらいいきます。

ズタボロ経済で、庶民にまで尊王攘夷広まる。
   
↓
 
安藤さん『公武合体』頑張る。
   
↓
 
家茂ちゃんと和宮さんの結婚決まる。
   
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尊攘派からちょー反感買う。
   
↓
 
うたさんの『航海遠略策』注目を集める。
   
↓
 
安藤さん襲われる&"あるウワサ"のせいで『公武合体』ダメになる。

"あるウワサ"の正体をお伝えするので、ちょっとだけ時計の針を戻しますね。
幕府、朝廷、長州藩で、『公武合体』がまだトレンド入りしてる頃、

薩摩「長州に先越されてる場合じゃなくね!? オレたちなりの『公武合体』見せてやる!!」

てことで、薩摩藩が動きます。
その指揮をとったのは、藩主・島津忠義……じゃなくて、父親の

島津久光。

薩摩の実権は、忠義のパパ・久光が握っておりました。
で、このパパ光がやろうとしたのも公武合体。
その方法がこちら。

兵を引き連れて京都行く。→ 朝廷から「おい幕府! 改革しろ!」っていう勅命(天皇の命令)もらう。→ 勅命と兵力でプレッシャーかけて、幕府を改革させる。→ あれ、これって朝廷がリードする形で2つが繋がってない? →めでたく公武合体じゃん!

てな作戦なんですが、「兵を引き連れて京都行く…」っていうこの感じ、どこかで見た気がしませんか?
そうです。パパ光の兄・斉彬さんが計画して、志半ばでぶっ倒れたあのクーデター、”率兵上京計画"です(エピソード5だよ)。

パパ光は斉彬さんの遺志を受け継ぎ、天国の兄のために、どうしてもこの計画を実現させたかった……というわけじゃなく、

パパ光「これで国の政治に関わってやるからな! 『公武合体』成功させて、都会デビューだ!!」

という、自分の野心のためだったんですけどね(この説強め)。

パパ光は、とにかく公武合体をキメるため、家臣の

小松帯刀(こまつたてわき。この人も有名よ)

さんや、
そばで仕えるようになった、大久保利通さんと、率兵上京計画の準備を頑張ります。

そんな中、


大久保利通「この上京計画には、"朝廷と交渉した経験"を持つ人が必要だと思います!」


パパ光「今いるメンバーで大丈夫だろ」


大久保「西郷さんです! 彼には斉彬さんの上京計画のときの実績があります! 奄美大島から呼び戻しましょう!」


パパ光「……オレの言葉をスルーしたのはワザと? それとも天然?」


大久保さんからモーレツなプッシュが入り、西郷さんが約3年ぶりにカムバック。
すぐ上京計画が伝えられるんですけど、ここでいきなり一波乱です。


パパ光「亡き兄の"率兵上京計画"を実行することとなった、よろしく頼む。まずは朝廷……」


西郷「やめた方がいい」


パパ光「……………え?」


西郷「斉彬公が上京しようとしていたときとは状況が違うし、今は公武合体が最善の策とも思えない。それに、大軍を連れて上京することによって"ヤバいこと"が起こる気がする……。ですので、計画は中止してください」


パパ光「……………まぁ、そんなこと言わず…」


西郷「お話を聞いた感じでは、準備も十分じゃない。甘すぎる」


パパ光「…………いや…」


西郷「それに、パパ光様は薩摩じゃエラいかしんねーけど、これといった地位や役職があるわけじゃない。藩を出たら、ただの"一人の武士"だ。他の大名との付き合いもねーから、改革なんてうまくいくはずがない」


パパ光「………でも…」


西郷「パパ光様は田舎者なんで、京都行こうが江戸行こうが、何にもできない」


パパ光「……」


西郷「あんたは斉彬公に比べて人望がねーし、器が小っちゃすぎんだよ」


パパ光「……(あーキレるタイミング逃してるわー。とりあえず……なんじゃコイツ!!!!)」

2人のムードは最高潮。
もちろん、険悪な方で、です(諸説ありますが、西郷さん、ガチでこんなようなこと言ったらしいす)。

しかし、なんっとか大久保さんが2人を説得。どうにかこうにか西郷さんのプロジェクト参加が決定します。

光の速さで仲の悪くなった2人ですが、これ、プロローグです。
見といてください、このあと犬猿レベルがマックスになる事件が起こるんで。
もっと言えば、その事件を引き起こしたのが"あるウワサ"の正体です。

事の発端は、パパ光が西郷さんに出した命令から。

パパ光「西郷! 薩摩以外の九州が今どんな感じか、先に行って見てこい。そのあと"下関"で、オレらの到着待ってろ!」

この命令で、九州→下関に向かう西郷さん。
その道中で驚きの事態が発覚します。
「薩摩が大軍で上京する」というのが、志士たちの間で話題になっちゃったらしく……
その噂が回り回った結果……。

志士「薩摩、幕府たおすってよ!!」

幕府倒すことになってました。
パパ光は幕府を改革しに行く人です。幕府を倒す人じゃないんです。
それなのに、

尊攘派「今が立ち上がるときだ! 薩摩と一緒に幕府ぶっ倒すぞ!!」

志士たちのまっすぐなカン違い止まりません。

久留米の真木和泉(まきいずみ)
庄内の清河八郎(きよかわはちろう)

長州の久坂玄瑞

など、有名な志士(この人たちまた出てくるよ)が、一斉に京都・大坂を目指し、さらに

薩摩志士「パパ光様と幕府を倒す!!」

"薩摩藩の志士"までもが京都へ向かう始末……。
というわけで、尊攘派を元気にした"あるウワサ"の正体とは、

『カン違いされた薩摩上京物語』

のことだったんです。

現代から見れば、大がかりなすれ違いコントです。
だけど、観客の西郷さんはまったく笑えません。

西郷「やっぱり"ヤバいこと"起こったじゃねーかよ! カン違いって教えてやらねーと、どんな騒動が起こるかわかんねーぞ!」

尊攘派の暴走を止めるため、西郷さんも京都・大坂へ向かうことに。
はい、この行動で事件確定。
パパ光が下関に到着すると、

パパ光「西郷、なんでいねーんだよ(キレ笑い)」

こうなっちゃいますから。
ただでさえ嫌いなヤツが、今度は命令無視……MajiでKireそな5秒前。

そこへ、西郷さんともガッツリ交流ある、海江田さんて人が、

海江田「なんか尊攘派の志士を『いいぞ! もっとやれやれ!』ってあおるために、京都・大坂行ったらしいっす」

なぜかおもくそ間違った情報を提供し、

パパ光「な……(キレすぎて後ろに倒れかけたけど、ほぼイナバウアーで踏ん張り、体を起こすその反動で)薩摩帰らせろーーーー!!」

完全ブチギレ強制送還。からの、

パパ光「島流しだーーーーー!!!」

ダメ押しをお見舞いしたのでした(最初『徳之島』、次に『沖永良部島(おきのえらぶじま)』に島チェンジされてるよ)。 

あの西郷隆盛、意外にも表舞台からドロップアウト経験あり、それも2度……でした。


そんな西郷さんへのガチギレがありながらも、パパ光は無事京都に到着。
ですが、今度は尊攘派志士がウザすぎる。

尊攘派志士「薩摩が京都に到着したぞ! 幕府を倒すまであと少しだ!」

だから薩摩は、幕府を倒す気なんてねーって……。
こいつらマジで公武合体の邪魔なんだよ……。 
ピキッ! ……ピキピキッ……!
募るイライラで、パパ光からイラ光に脱皮しようとしていたそのとき、


朝廷「脱皮してるとこ申し訳ない。最近、志士が過激になりすぎて困ってる。どうにかしてもらえないか!?」


パパ光「(ピッ……)します!!」


朝廷から「尊攘派をおさえつけろ」という、渡りに船ってる命令が下るんです。

気にくわないヤツらを、堂々と蹴散らせることにパワーみなぎるパパ光。
それとは逆に、薩摩の雰囲気に「?」を感じ始めた尊攘派志士は、とうとう気付きます。

志士たち「なんか……薩摩の動き変じゃね? もしかして幕府倒すとかってのは……ないのかよオイチゲーのかよーーー!!!」

勝手に盛り上がり、全力で意気消沈。
尊攘派志士、「17歳、夏。青春真っ只中!」みたいな感じ。
だけど、


志士1「こうなったら、京都所司代(っていう幕府の部署)のヤツ殺して……」


志士2「関白(っていう朝廷の役職)のくせに幕府寄りのアイツも殺して……」


志士3「2人の首をパパ光さんに見せてその気になってもらい……一緒に幕府ぶっ倒す!!」


考える内容が思春期じゃない。
志士たちは、このヤベー計画を、京都伏見の『寺田屋』という宿で密談。

しかし、密談しちゃってるという情報はパパ光の耳にも届き……。

パパ光「アイツらのやることは全部止めろ! で、寺田屋にいる薩摩藩のヤツらは、この薩摩藩邸(京都の薩摩のお屋敷)に連れ戻せ! もし説得に応じなければ……臨機の処置を取れ」

薩摩志士を連れ戻すため、腕の立つ剣士を8人集め、寺田屋に向かわせます(あとで1人加わって合計9人)。 

「臨機の処置を取れ」、すなわち


「斬っても構わない」——。


ロングショットで見ると"喜劇"だったスレ違いも、衝突が起これば、"悲劇"。
寺田屋にいる薩摩志士が久光の命令を拒否すると、薩摩藩同士の凄絶な斬り合いが始まったのです。

乱戦の中、有馬という志士は、薩摩剣士の身体を壁に押しつけ、仲間に向かって叫びます。


有馬「おい(オレ)ごと刺せ! おいごと刺せーー!!」


志士「………あああぁぁーーーー!!」


壁に折り重なった肉体を貫く刀。まもなく2人は壮絶な最期を遂げます。
薩摩剣士と、薩摩志士との間に待っていたのは、同士討ちという惨劇でした。

これ以上の争いを避けるため、剣士たちは新たに2階から降りてくる薩摩志士を必死に説得。
やがて、その想いは伝わり、志士たちはようやく薩摩藩邸に行くことを承諾したのでした。

この痛ましく悲壮な出来事。宿の名前から

寺田屋事件(寺田屋騒動とも)

と呼ばれています(薩摩以外の志士たちは、自分の藩に帰されたり、逃げたり、処刑されたり、いろいろ)。


さ、『寺田屋事件』で尊攘派を一掃したパパ光。朝廷の信頼を勝ち取り『勅使(ちょくし。天皇の命令を伝える使者)』って人をゲットします。

この勅使と1000人の薩摩兵で江戸に乗り込んだパパ光は、
「朝廷の指図で政治を変えたことなんてない」
「外様のパパがキッカケとかありえない」
と、ゴネまくる幕府をぶん殴り(プレッシャー与えただけね)、ついに念願のリフォーム、

文久の改革

ってのをスタートさせたんです。

では、この改革で紹介したいところを1、2点、いや、5、6点記しておきます。

・『参勤交代』を、2年に1回→3年に1回に変更。

・西洋システムの軍隊『幕府陸軍』っての創る。

・蕃書調所を『洋書調所』って名前に変える。

・榎本武揚(えのもとたけあき。この人幕末のラストに大暴れ)などをオランダへ留学させる。

で、ここからは人事なんですが、これが重要。

井伊直弼によってハジかれていた、改革大好き『一橋派』が復活して、

一橋慶喜が、将軍後見職(将軍を後見するんだろうね)、
松平春嶽が、政事総裁職(大老とほぼ一緒くらいエラい)

という、とにかく偉いポジションで帰ってきます(おかえりなさい)。

でね、次に触れる人選こそ、幕末と"彼"にとって、分岐点となったものなんです。

幕府は、京都で増殖した、過激でアブねー尊攘派の志士を取り締まるため、
『京都守護職』
っていう、新しいポジションを作ります。

その候補に挙がったのが、

会津藩藩主・松平容保(まつだいらかたもり。今後最重要人物の1人)

さん。

幕府を動かし始めた慶喜&春嶽は、
「会津は強ぇーから、ぜひとも京都守護職やってくれ!」
って頼み込むんですが、これに会津の家臣は猛反対。


会津の家臣「殿、この話請けちゃダメ! うちはすでにいろんな地方の警備やらされてるからお金ない! それに尊攘派を取り締まる役目なんて、あいつらの恨み一気に買うよ!」


松平容保「そだな……断るわ。(春嶽さんとこ行って)というわけで、今回は辞退したいと思い……」


松平春嶽「あれー、なんて言いましたっけ? ほら、会津さんの初代が作った家訓」


容保「……会津家訓十五箇条……(エピソード0のやつ)」


春嶽「それそれ。あれの第1条って確か……」


容保「……徳川将軍に一生懸命尽くせ。もし裏切るような者がいたら、私の子孫ではない……」


春嶽「ふむ……どうします?」


容保「ずっりーなー!!」


鉄のオキテを持ち出された容保さんは、『京都守護職』をシブシブおっけーすることに。
容保さんと会津にとって、これが悲劇の始まりだったとわかるのは、まだ先のお話です……。


それでは、エピソード8。最後の事件へと参りましょう。

改革が成功し、気分上々ヘイDJなパパ光は、"大名行列(庶民は道をあけて「ははー!」のやつ)"で、江戸から京都に戻ります。

今夜は手巻き寿司だなーなんて言ってると(言ってないです)、向こうの方から"トラブル"が馬に乗って歩いてくるんです。

それは、大名行列のルールなんて全く知らないイギリス人4人組(男3女1)……。



薩摩側「なんだあいつら……(『馬降りてよけろ』のジェスチャー)」


イギリス人「ん? はしっこ通れってか?」


薩摩側「違う、まず馬を降り……わ! 行列の中まで来やがった! だから馬降りろ!」


イギリス人「なんか騒いでる。あ、引き返せってことか!」

馬をUターンさせるイギリス人。

薩摩側「大きく動くな! ちょ、邪魔、だか、降り…ちょ、邪…ちょ……」


斬ります。 

1人のイギリス人を、ズバッ! と斬って、そのあとまた数人がズバズバズバッ! と斬る。

最後に薩摩藩士の1人(おそらく海江田さん)が、「もう助からないだろう」との一言を添えて、そのイギリス人にとどめを刺します(あとの男性2人も斬られて重症。女性は帽子と髪の毛をちょこっと斬られただけで無傷)。

これ、生麦村(神奈川県ね)ってとこで起こった

生麦事件

っていう大ハプニングなんですが、当然イギリスはバチギレます。


イギリス「あの辺は条約で、外国人が通っていい範囲だろ? なのになんで斬られるんだ!」


薩摩「条約? そんな幕府が勝手に結んだもん知らねーなぁ。無礼なことしたら"斬る"っていうのがルール。外国人だろうが日本人だろうが関係ない」


イギリス「……そういや、まず幕府から『大名行列がある』、なんてお知らせきてねーな……。おい幕府、10万ポンドよこせ」


幕府「ええぇぇーーー!? ちょ、え、こっちっすか!? 薩摩のヤロー……幕府困らせるためにやったんじゃねーのか!?」


幕府に賠償金のとばっちり(1両が現在のいくらかってのが非常にムズいんですが、10万ポンド=40万ドル=30万両=90~135億円くらい? なのかな?)。

ただ、この事件で麦とホップが香ったのは(影響を受けたのは)幕府だけじゃありません。
薩摩も、全く望んでないリアクションを収穫しちゃうんです。

尊攘派がね、「堂々と外国人を斬るなんてさすが薩摩!」ってな感じでむちゃくちゃ盛り上がり、パパ光が京都に着く頃には、


尊攘派「薩摩が攘夷のお手本を示してくれた! オレたちも見習うぞ!」


と、完全に勢いを取り戻していたんです。
自分で鎮めた尊攘派を、自分の手でまた盛り上げてしまった……私は一体……何がしたいんだ?

パパ光「ホントそんなんじゃないのに! 違うのに! 私…私……もう知らない!」

かわいそうに、イジけちゃった。
もうどうしよーもねーよと、パパ光は薩摩へ帰っちゃいます。 

こうなると、尊攘派もう止まりません。
ますます危険に、どんどん過激になる彼らが行ったのは、テロリズム。
残忍な殺戮に京都の町は震撼しますが、それに対抗する幕末で最も有名なグループが誕生します。

すっごく意外な始まり方でーー。




本当にありがとうございます!! 先にお礼を言っときます!