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幕末エピソード14 巨大な権力、下から頼むか?横から倒すか?

幕末エピソード14ということです。
では、おさらいよ!

幕府、また長州を攻めようとする。

みんなそれに呆れて、薩摩と長州の仲直りを希望。

龍馬たち、仲直りに全力投球。

《薩長同盟》成立。

薩摩と長州を仲良くさせた、お手柄龍馬くんの忙しさはまだまだ続く。
ちなみに薩長同盟から2日後

寺田屋事件(《寺田屋遭難》とも)

です(“薩摩の同士討ち”が起こったあの宿。だから事件の呼び名もカブっちゃってる)。

龍馬はこのとき、奥様のお龍(りょう)さんと、お友達の三吉(みよし)さんとで、「寺田屋」に滞在中でした。

深夜、お龍さんがお風呂に入っていると、外に怪しい人影が……。
危険を察知したお龍さんは、裸のまま浴室を飛び出して、そのまま階段をダダダダダダダッ!

お龍「龍さん気をつけて! 敵が襲って来た!!」

龍馬「!」

三吉「!(裸だ!)」

薩摩と長州の周りをウロチョロしていたために、幕府からマークされていた龍馬。

京都奉行の役人「テメーか、あぶねー浪人てのは?」

龍馬「おいは薩摩藩士ぜよ。あ、薩摩藩士でごわす」

役人「ウソつけー!!(襲いかかる)」

バキューーーーン!

龍馬は拳銃をぶっ放し、三吉も槍で応戦。
手の親指を負傷した龍馬ですが、危機一髪その場を切り抜け、近くの材木屋に隠れます。

やがて、薩摩藩士に救出してもらい、伏見の薩摩藩邸でかくまってもらったのでした(寺田屋事件で龍馬が使った拳銃は、晋作にもらったやつです)。

龍馬はこのときのことを、お兄ちゃんに宛てた手紙の中で、

「嬉しかったのは、京都の藩邸にいた西郷がこの事件を聞きつけ、短銃に弾を込め、伏見にいるオレを助けに来ようとしてくれたこと!」

なんて語ってるんです。
その西郷さんや小松さんのすすめで、ケガの療養のため、お龍さんと出かけた薩摩旅行が、日本初の新婚旅行なんて言われております(小松が先って説もあるけどね)。

さて、薩長同盟は完成したわけですけど、むしろ本番はここから。
長州VS幕府の決戦はもう目の前。

でも幕府……本当はそれどころじゃないんです。


◆幕府のトラブルその1
家茂ちゃんが大坂にいることを知った、英・仏・蘭・米の4ヶ国は、兵庫の港にきてこんなこと言い出します。

イギリス「賠償金の300万ドルを1/3にしてやるから、条約の勅許(天皇の許可)を今すぐ持ってこい! それと、兵庫の開港も、2年前倒ししろ!」

痛いところいっぺんに突いてきた。 
そう、長州からトバッチリを受けた賠償金はまだ払えてないし、確かに、朝廷はいまだに外国との条約認めてないし、実は、兵庫の港まだ開いてません(京都に近いって理由で孝明天皇にちょー反対され、予定より5年遅らせてもらってるんです)。

幕府と朝廷はこれでもかってモメた結果、

幕府「兵庫の開港、前倒しはやぱ無理でした! でも朝廷は、やっと条約のことを認めてくれました!」

イギリス「やりゃできるじゃねーか。じゃ300万ドルはちゃんと払えよ。あーそれと、関税率も変えるぞ」

このあとまた「やっぱ兵庫港だけは開きたくない!」と朝廷がゴネて、モメることになります。また、……ちなみに関税率をイジられましたが、これがガチでしんどい条件でした。これで日本は、本気の不平等条約に突入して行くのです。

◆幕府のトラブルその2
長州やっつけるために大軍を動こせば、ドバッとなくなるのがお米(大人数の兵士に大量の食料がいるからね)。
米なくなる。値段はね上がる。みんな怒る。イェー。
すると、こんな騒動が。

主婦「お米が高すぎて買えないんです! どうか安く売ってください。お願いします!」

お米屋さん「無理だね」

主婦「キィエーーーー!!」

西宮の主婦が米屋ブッ壊します。

これ、“打ちこわし”って言うんですが、兵庫から発生して大坂にまで広がっていっちゃう。
民衆の怒り大爆発です。

外からも中からもトラブル起こって、幕府グラグラ。
マジで戦争なんかしてる場合じゃないのに、

幕府「長州ぶっ潰す!!」

これしか言わない。
で、薩長同盟の存在を知らないから、

幕府「おい薩摩! 兵出してくれ!」

薩摩「やだよ」

って拒否られてんのに、まだ言います。

幕府「長州ぶっ潰す!!」

ダメだこりゃ。次いってみよー。

第二次長州征討、始まります。


長州に4方向から攻め込んでいく幕府軍(長州では4つの国境から攻め込まれたので《四境戦争》って呼んでたよ)。
高杉晋作は、自ら軍艦に乗り込んで縦横無尽に暴れまわり、誘いを受けた龍馬もユニオン号に乗って長州のために戦うんですが……

長州軍約4千 VS 幕府軍約10万。
笑っちゃうくらいの兵力差。

さらに笑っちゃうことに、連勝していくのは、長州です。


インタビュアー「今日は、長州の大村益次郎さんをお招きして、長州の勝因について語っていただきたいと思います」

大村益次郎「よろしくお願いします」

インタビュアー「まず、前年からの大村さんの手による西洋式戦術への大改革と、薩長同盟による最新式の銃の大量導入。この2つはホントに大きな要素でした。ただ一番は、武士から農民まで一丸となって、『ここで負ければ、長州は終わる』という思いで戦いに挑んだ、モチベーションの高さだと思うんですが、大村さん、勝因はなんでしょうか?」

大村「………もうねーよ。あんたが言ったのでだいたい全部だよ」

インタビュアー「なるほど。かたや、幕府の敗因を幕府の人に聞いてみましょう」

幕府の人「よろしくお願いします」

インタビュアー「いろんな藩がそれぞれのやり方で戦うから、連携一つもとれてなかったね。武器古ぃーし。おまけに『長州に恨みなんてねーけど、幕府に言われたから仕方ねーしなー』って参加してる藩ばっかだから、モチベーションもマジ最悪。そのへんどう?」

幕府の人「そのとおりだけど、アンタとっても態度悪ぃーな!」


そんなヘロヘロ幕府軍に、追い討ちをかける知らせが届きます。

将軍・家茂ちゃん、死去。

「トップがいなけりゃ戦う意味ねーよ!」となり、バラバラと引きあげる藩が続出です。
しかし、唯一勝負を諦めてない男がまだここに……。

幕府の若きリーダー、一橋慶喜。

一橋慶喜「ここから大逆転! 勝つのは幕府……なぜなら、この私が自ら出陣するからだ!」

報告ちゃん「ご報告します! 小倉城(幕府側のお城)燃えました!」

慶喜「何!? じゃ、出陣はやめだ!」

すぐ諦めます。で、

慶喜「朝廷さーん、戦いやめろって命令だしてくれ! (くるっとふりむき)長州! 今回はこのへんにしといてやる!」

まるで吉本新喜劇(by池乃めだか師匠)。

慶喜くんの謎だらけの行動が入りましたが、この戦い、長州が完全大勝利を収めたのでした。

ちょっと話をズラしてもいいですか。
家茂ちゃんのエピソードを紹介したいなと。

家茂の習字の先生に、戸川さんという70歳をすぎたおじいちゃんがいました。ある日の書道の時間の話です。
いつものように戸川さんから教えを受けていた家茂が突然立ち上がり、墨を磨(す)るための水を、戸川さんの頭の上からぶっかけたんです。

それを見ながら家茂は大爆笑。

家茂「wwwww なんか疲れたー。あとは明日にしよう!」

その場を後にする家茂。
家臣たちは度がすぎる悪フザケに驚きと不快感を示し、当の戸川老人は泣いてしまいました。

こんな屈辱、情けなくて涙も出よう。まわりの者は気にするなと慰めますが、戸川さんの涙の理由は、情けなさや怒りからくるものではありませんでした。

実は、70を過ぎた彼は、ふとした弾みに“おもらし”をしてしまったんです。

戸川さんは焦っていました。将軍の前でそんな失態を犯せば、どんな厳罰が待っているかわからない……。
しかし、その異変にいち早く気付いた家茂は、おもらしが誰にもバレないように頭の上から水をかけ、戸川さんを守ったんです。そして、

戸川「“あとは明日に”とおっしゃってくれた……私の粗相(そそう)を許し、“明日も来い”と……」

“あとは明日に”……これは、「お前の罪は問わない」という家茂からのメッセージだったんです。

激動の時代に将軍職についた家茂。
政治力を発揮した人物ではなかったかもしれませんが、それはトップに似つかわしくない優しさを持っていたためかもしれません(似たような話が色々ありますが、これ、好きな話なんで書いてみました)。


では、本編戻りましょう。

長州に負けちまって、全員苦笑い真っ最中の幕府ですが、とりあえず次の将軍を決めなきゃ。
最有力候補はやっぱり慶喜くんなんです。
当然、まわりのみんなは慶喜くんに「将軍やってくれ!」とお願いするんですが、彼の出したひねくれ回答がこれ。

慶喜「徳川宗家(本家)は継いでもいいですけど、将軍はやりませんよ」

ちょマジなんなんコイツ!?
って、みんな思ったと思います。

やはり何考えてるかよくわかんねー。けど、これにはなんとなくの理由が……。

今のボロボロ幕府で、将軍やるのはかなりの貧乏クジ。ただ、有力候補が慶喜くんしかいないこの状況で、いったん断れば
「お願いだよー! 将軍やってよー!」
と熱望されるに決まってます。慶喜くんとしては、いっぱいお願いされて、味方がたくさんできて、自分の立場がちょー強力になったところで、
「ま、……………そこまで言うなら」
のスタンスを取って、将軍になろうという考えだったんです(って言われてます)。

学級委員決めるときの、「〇〇くんがいいと思います!」「えー!? オレー!? 別にやるつもりないけど、そんなに言うならしゃーねーなー!」と、そんな変わんない気がする。
で結局、「最初っからスッとやれよ!」の眼差しを体いっぱいに浴びながら、

第15代征夷大将軍・徳川慶喜

の誕生です。


慶喜「今日から将軍になりました徳川慶喜です! これからは幕府を頼りにしてくれている孝明天皇のもと、強い幕府を作っていきたいと思います! よろしくお願いします!」


と気合を入れた20日後、

孝明天皇、崩御(亡くなる)。

将軍に就いてすぐ、慶喜くんは大きな後ろ盾を失ってしまったのでした(孝明天皇の死因は、いまだ病気説と毒殺説の論争に決着がついてません。約2週間後、のちの明治天皇が即位します)。

時代の中心に身を置いた者たちが次々と亡くなっていく中、幕末の世を極彩色に彩った“あの志士”にも、終わりの時が迫ります。

そう、高杉晋作です。

幕府との大決戦のさなか、肺結核という病魔に侵され、血を吐きながら戦っていたんです、高杉晋作は。
長州にとって、とてつもなく大事な一戦を勝利へと導いた晋作。
まるでその代償かのように体は弱り果て、晋作は逝きます。

高杉晋作、享年29(満27歳)。

「おもしろき こともなき世を おもしろく」

という歌を残してこの世を去った晋作(「こともなき世“に”」の説もあります)。
そこに、野村望東尼(のむらぼうとうに。晋作と仲良し)さんって女流歌人が下の句をつけ、

「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなすものは 心なりけり」
(心の持ちようでこの世の捉え方は変わる)

という歌が、今に伝わってます。
キレイな歌です。ただ……。

ここからは、完全に個人的な意見なんで無視してもらってけっこうです。

ただ、下の句いらねーと思ってます。

「心の持ちようで……」、確かに大切です。それによって自分が変わり、世の中を楽しむことが出来て、いずれ外部にも影響を及ぼす……こんなところでしょうか。

ホントに大切な考えだと思いますが、ことこの歌に関しては、余計です。

晋作を一番近くで見てきた伊藤博文は、彼の激しい生き様を
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」
と表現しました。
そして、晋作はそのとおり、とにかく動いた人です。何をさておいても”行動”した人です。
だとしたら、「この世をおもしろく」するとは、リアルな行動で世界を変えることなんじゃないでしょうか。世の流れが本当に変わってこそ、「おもしろく」ってことじゃないでしょうか。

「心の持ちようで」変わるのは自分の内面だけです。個人だけです。今その精神世界なんてどーだっていい。実際の世界は何も変わっていませんから。
「内面が変われば、いずれ外の世界にも影響が……」って意味合いもあるのかもしれませんが、これもこの歌にそぐわない。”いずれ”なんて悠長な感じは晋作に似合いません。内面を変えるなんてウダウダ言ってる暇があったらまず行動です。
信念確認したら2秒後に行動。心の持ちようなんてあとで考える。乱暴だけど、この歌にピッタリなのはそんな感じ。
だから、下の句いらないです。スケールダウンが否めない。あと、上の句だけの方が不完全な感じして、そこがまたカッコいい。

ちょっとスッキリしました。本編戻ります。


さ、このあたりからです。
このあたりからみなさんご存知、

薩摩・長州 VS 幕府

みたいな構図が浮き彫りになっていくんですね。

ここまで描いた感じを見ると、
「幕府なんて激弱りじゃん。薩長のがヨユーで強ぇんじゃねーの?」みたいな印象を受けると思いますが、そうは問屋がまったくおろさない。

マジでよくわかんねー将軍・慶喜くんですが、もともとのスペックはちょー高い。

慶喜「薩摩や長州がイギリスと仲良くしてんなら、こっちはフランスだボンジュール!」

って言って、イギリスに対抗意識を燃やすフランスの力を借り、幕府を大改革。
内政面も軍事面も、か・く・だ・ん・に! パワーアップさせます。

これには、薩摩と長州もスーパー危機感。
桂小五郎あらため、

木戸孝允(きどたかよし。細かいこと言うと、この時は”木戸準一郎”って名乗ってたかな)

は、

木戸孝允「幕府のリニューアルヤバっ! 慶喜のポテンシャル侮っちゃダメだ! あいつ家康の再来になるかもだぞ!」

と、最上級の警戒レベルを発令。

西郷、大久保、小松の、薩摩三羽ガラスも、慶喜くんの力を封じ込めるため動きます。
会議で政治を進め、慶喜くんがでしゃばるのを防ごうとしたんです。

3人は、パパ光、春嶽、容堂、伊達の「この人たち、もうカルテット組んだら?」メンバーを京都に呼び寄せ、
《四侯会議(しこうかいぎ)》
ってのを開催。

そして、慶喜+4人は会議に突入します。

慶喜「兵庫の港を開く期限が迫ってます。早く朝廷に許可してもらわな……」

パパ光「ちょっと待て! 長州の問題を解決する方が先だ! まず長州の立場を回復してやるべきだ!」

伊達「そうだそうだ!!」

慶喜「まあまあ落ち着いて。どうです? みんなで記念撮影でもしませんか?」

4人「わ! 写真撮るー!!」

記念撮影でごまかされるおじさんたち(慶喜くん、写真撮影が趣味なんで。実際に記念撮影はしてますが、モメてるから喜んではなかったかな)。

会議が終わってみると、すべては慶喜くんが望んだ通りの結果に。やはり、彼の方が一枚も二枚も上手。《四侯会議》は大失敗に終わります。

これで、薩摩は悟ります。

大久保「もはや平和的な会議じゃ、慶喜も幕府も押さえつけることができない……」

そして、

西郷「ならば、“武力”で幕府を倒す」

薩摩代表たちはついに

倒幕(もっと言えば“討幕”)

を決定。
薩摩は幕府と徳川をぶっ壊すために動き始めたのでした。

そんな薩摩のもとに、早速、倒幕の友達申請が。
土佐脱藩浪士の中岡慎太郎の仲介で現れた、

板垣退助(いたがきたいすけ。板垣死すとも自由は死せずおじさん)

さんたち土佐藩メンバー。

板垣退助「ゼーッタイ倒幕参加します! 30日くれたら兵を連れて戻ってきます! それができなかったら……生きてあなたに会いません!」

西郷隆盛「勇者だね! 最近こんなツーカイな言葉を耳にしたことがないよ!」

中岡慎太郎「じゃ、オレは西郷さんの人質になる! もしガッキー(板垣)が約束を守れなかったら、腹を切る!!」

みんな「くぅーーーー!!」

この3人、かなり男の子な盛り上がりを見せて、薩摩と土佐の間に

薩土密約(さっとみつやく)

ってのが結ばれます(内緒のやつね。藩同士の正式なお約束じゃないよ)。

これで、土佐メン全員倒幕派……になったかと思いきや、じゃないんですこれが。
土佐藩には、“もう一つの考え”が生まれるんですよ。

では、別角度から土佐藩の動きを追ってみましょう(時間巻き戻すよ! 何度もごめんよ!)。

土佐藩の幹部クラス

後藤象二郎(ごとうしょうじろう)

は悩んでました。

後藤象二郎「土佐藩ってば影うすい! 中央の政治から遠ざかっちゃって、しょぼぼんだ! 土佐をもっと強く豊かにしたい! オレは何かに目をつけるぞ!」

と言って目をつけたのが、土佐出身の坂本龍馬。

貿易やるわ、薩摩と長州仲良くさせるわで大活躍の、龍馬&亀山社中に大注目したんです。

でも、後藤と龍馬にはなかなかの因縁が……。

龍馬の友人の武市半平太や土佐勤王党メンバーを処刑した張本人は後藤です。
一方、その後藤は、義理の叔父である吉田東洋を、龍馬が所属していた土佐勤王党に暗殺されています。

まっすぐに敵同士。
という2人が、話し合いをしたわけです。

亀山社中メンバー「坂本さん、後藤のヤローどうでした!?」

龍馬「おもしろいやつかも! オレらむちゃくちゃ敵同士なのに、過去には一切触れず、これからのこと、未来のことしかしゃべらないんだよ!」

亀メン「いろんな人見てきた坂本さんがアリなら、アリなんでしょうね!」

後藤は龍馬の脱藩の罪を許し、亀山社中ごと土佐藩に引き入れます(ちなみに龍馬くん、1回目の脱藩は勝さんのおかげでチャラになってるけど、もう一回脱藩してたんす)。
と同時に、亀山社中はメタモルフォーゼし、

海援隊

って名前に大変身(土佐藩を”海”から”援護”するって意味ね)。
龍馬と後藤、ガッツリ力を合わせ始めます。

で、そこからすぐです。

《四侯会議》まっただ中の山内容堂(土佐の殿)さんから後藤に、

「後藤ー! 京都きてー! 会議がグダグダなのよー! 力貸してーー!」

との呼び出しが。

後藤は龍馬を誘い、京都へ出発。この行きの船の中で、龍馬と後藤の、いや土佐藩の、いや幕府の、いや日本の、いや幕末の、もうどれでもいいんですが、運命を決定づけるアイデアが龍馬から披露されます。

龍馬「あのさ、“この国の政権を朝廷に返して”、国の命令は朝廷から出すことにしたらいいと思うんだ。2つめ。上院、下院の議会を作って、そこに議員置いてさ、ぜんぶ会議で決定したらどうかな」

後藤「……なんかスゲーこと言い始めた!」

長岡(海援隊の人)「メモります!」

龍馬「3、能力ある公家や大名、世の中の優秀なヤツに官位あげてさ、お飾りの官位やめよ。
4、外国との付き合いは、ひろーく会議してさ、新しくていい感じの条約結ぼうぜ。
5、昔からの法律生かしてさ、新しい完ペキな憲法つくろ。
6、海軍強くしよ。
7、天皇を守る兵を作って、京都を守ろ。
8、金銀物価は、外国と平均にする法律をつくろ。
これからの日本、こんな考え良くない?」

後藤「………最高かよ」

龍馬がぶっ込んだ、議会、人材、新条約、憲法……新時代の構想がパーフェクトに入ったこの“船の中の八つの策”は、

船中八策

と呼ばれるもの(《船中八策》は文書として残ってないから「これはフィクションだ!」っていう説も根強いよ)。

んで、船中八策にある“この国の政権を朝廷に返して……”って考え。
「幕府が政治する権利を朝廷に返しちゃう」これこそ、幕末クライマックス最重要ワード、

大政奉還(たいせいほうかん)

と呼ばれるやつでございます。
勝海舟、大久保一翁、松平春嶽、横井小楠……といった龍馬の仲良しさんたちがずっと唱えてきた「もうこれしかねーだろ」理論です。

後藤「これ、殿(容堂さん)に言おう! で、殿の許可もらって幕府に行こう! この案が採用されれば、土佐藩は脚光浴びまくりだ!」

龍馬「政治の権利を朝廷に返せば、幕府をぶっ倒す理由がなくなる……すべてが平和に解決できる!」

龍馬&後藤「やるっきゃねーだろ大政奉還!」

土佐藩と日本の明るい未来に、胸が踊る龍馬と後藤。
これが土佐藩で生まれた“もう一つ”の考え。

『《大政奉還》で、平和に革命しよう!』です。


つづく。




本当にありがとうございます!! 先にお礼を言っときます!