秀吉のその後

さて、明智光秀が亡くなりました。

前回までのなんとなーくの流れは、

『本能寺の変』で光秀が信長をぶっ倒したら

『中国大返し』で秀吉が戻ってきて

『山崎の戦い』でバトル。

秀吉が光秀をぶっ倒す。

って感じでしたね。

じゃあ、秀吉のその後をダーーっとご紹介していくので、ここでは流れだけをつかんでください。
途中で起こった出来事のちょっぴり詳しい説明は、

また今度ね。


では、ダーーっとご紹介。

秀吉が光秀を倒した2週間後。
織田家の重臣は清洲城(愛知県)に集まり、「清須会議」ってミーティングを開くんです。
そこでは、

・織田家の跡継ぎは、信忠のムスコちゃんの三法師ちゃん(3さい)、つまり信長ちゃんの孫ちゃんでいこう!
・秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興、信長次男・織田信雄、信長三男・織田信孝などで領地をわけわけしよう!

みたいなことが話し合われ、

「まだ幼い三法師ちゃんの面倒を、叔父の信雄・信孝が見て、重臣たちがそのフォローをしながら、話し合いで織田家をまわしていこうね!」

という体制が出来上がったのでした。

でもね、もめます。

光秀倒して勢いガンガンの秀吉に、柴田勝家が「あん?」となって、
それに秀吉も「おん?」となり、

『賤ヶ岳の戦い』

ってバトルで大ゲンカするんです。

で、秀吉が勝ちます。

さらにこの年、

大坂城

という、とんでもなく豪華なお城をつくり始めた秀吉は「信長の後継者」、”次の天下人”として注目を集めていくようになるんですね。

それに対し、

信雄「秀吉のやつ、織田家の家臣のくせに天下人気取りってか…ふざけんなよ!!」

信長の次男・信雄くんがイラッとして、徳川家康を誘い

『小牧長久手の戦い』

という戦がスタート。

するんだけど、

これも結果的に秀吉の勝利に終わったので、飛ぶ鳥を落としたら鳥が起き上がってきて急に走り出した、あ、また飛んだ…というくらいの勢いは、まだまだ止まりません。


そこから秀吉は、
紀伊国(和歌山県あたり)を攻め、
四国の長宗我部元親さんを下し、
その途中になんと、公家のトップ

関白

になっちゃいます。
さらに、

越中国(富山県)を手に入れ、
朝廷から『豊臣』の姓をもらい、
ビミョーな関係なままの"あの人"に……

秀吉「家康さん! お願いだから家臣になって! 妹を嫁がせますし、母親も人質として差し出しますから!」
家康「アプローチが独特すぎます! わーかりましたよ! 家臣になります!」

積極的にアタックして、家康が秀吉の家臣になります。

そしてさらに、

九州の島津義久さんが頭を下げにきて、
関東の北条氏政・氏直親子が降参し、
東北の武将たちを従わせた結果、ついに……

秀吉「しゃー!! 統一したぞー!!」

秀吉は、全国統一を成し遂げたのでした。


「明け暮れたのはなんですか?」という誘導尋問に「戦っすかねぇ…」とカンタンに引っかかりそうなくらい、戦いばっかやってきた秀吉。

ですが、実際にその問いをぶつけてみれば、

「戦…と、政治っすね」

と、返ってくるでしょう(知らねーけど)。

秀吉は、全国統一の前後で

「太閤検地」

ってのと

「刀狩」

ってプロジェクトを進めて、日本のシステムにざっくりとメスを入れてんすね。

ただ、日本を統一したあと、

秀吉「お次は明(中国)を攻めるぞ!」

と、海外遠征までやろうとしてるので、やっぱり戦はライフワークみたい。

でも……

秀吉「朝鮮さん! 今度明を攻めるんすよ。そこまでの案内よろしくお願いしますね!」
朝鮮の人「え、やだけど」
秀吉「じゃあまず朝鮮攻めたらぁぁーー!!!」

朝鮮に明への案内を断られたので、ターゲットを変更。

朝鮮出兵

が決定するんです(文禄慶長の役)。

このあと、文禄(って元号)、慶長(って元号)と、2回に渡って朝鮮に攻めこむんですが、2回目の朝鮮出兵のとき、秀吉は亡くなってしまったのでした。


以上! ことさら雑な秀吉のその後でした。

では、もう少し、あとほんの少しだけ秀吉さんにまつわる出来事を解説したいと思うので、引き続きご覧ください。
ピックアップするのは、

『賤ヶ岳の戦い』
『小牧長久手の戦い』
『太閤検地』
『刀狩』

です。

続きはまた!




本当にありがとうございます!! 先にお礼を言っときます!