戦国時代……って?
プロローグの中のプロローグ
たとえば、あなたにすっごく大好きなマンガがあったとします。
メチャクチャおもしろいから友達にも伝えたいんだけど、いかんせんそのマンガは単行本で30巻越え。
かなりのストーリーが進んじゃってるので、見どころありすぎてどこをどうピックアップしていいのやら……。
そんなとき、あなたならどんなプレゼンの順序をたどりますか?
おそらく、ストーリーが複雑で壮大であったりするほど、まずは設定…そのマンガの
"世界観"
から伝えていきますよね。
時代はいつで、架空の国の話で、そこには当たり前のように魔法が存在して……といった具合に。
もしも、最初に世界観を伝えず、
「主人公がさ、3話に1回は龍の化身か、aroundthirtyに変身するんだけど、ロスタニア王国でリジェクトされたときだけ情熱的な恋愛をするのよ」
と、知らねぇー単語を並べて地獄のキャラ説明をしたならば、相手は鼻水出て終わり。
下手すりゃ憎悪の感情を向けられるでしょう(興味が湧く可能性もありますが)。
物語の世界観は、どんなキャラや出来事もアリにしてくれる土台の部分。
家で言えば土地。人で言えば骨。ピザで言えば生地です(鍋で言えば鍋です)。
なので、長いストーリーであればあるほど、まずは設定の説明から入ったほうが、相手からの理解、興味を勝ち取れる…というのは、なんとなく頷いてもらえますよね(アニメ、映画、ドラマ、お芝居、なんにでもあてはまるものだと思ってます)。
と、こんなことを書いたのには理由がありまして、僕にもみなさんに伝えたいお話があるから。
それが、
『戦国時代』
という物語なんです。
戦国時代の見どころ、いろんなキャラや名シーンをお伝えして、この時代の大まかな流れを知ってほしいと思ってるんですが、もうおわかりの通り、まずお届けしなければならないのは”世界観"。
なるべくポップに綴っていくので、少しだけ付き合ってもらえないでしょうか? 戦国という歴史話に。
それでは、了承を得たと勝手に解釈して、説明を始めたいと思います。
あらためまして、これが『戦国時代』です。
時をさかのぼること約400年〜500年、日本にも国内で戦争やっちゃってる時代がありました。
いきなりざっくりと言ってしまえば、
《槍や刀、甲冑(鎧)を装備した"武将"たちが、日本各地いろんなところで、すっげー戦ってた時代》
それが、戦国です。
世界観だの設定だのと言ってますが、僕たちのご先祖さまが「わー!」と戦ってた時代が本当にあったんですね。
でも、なぜ戦乱の世になってしまったんでしょう?
このQに対する解答はもちろん用意されていて、ややカタめの表現にはなりますが、より丁寧に正式な言葉で言うと、
A.もめた。
です。
ではこの「もめた」という生地をもう少しだけ引きのばすため、時計の針を巻き戻して話を進めていきますね。
大昔、日本の政治ってのは
『朝廷』(ちょうてい)
ってところが行ってました。
これは、天皇を頂点とした、公家(貴族だね)たちのいる、言わば”政府”です。
ところが、今から1000年くらい前、
『武士』
と呼ばれる「武器を扱って戦闘やりまっせ」って人たちが登場したことにより、そのシステムがちょいと変わるんです。
武士たちは、どんどんどんどん力をつけていき、朝廷に取って代わって政治を行うようになります(平清盛さんとかね)。
そして、源頼朝さんて人が、
『幕府』
という"武士の政府"を鎌倉に開いちゃって、頼朝さん自身が、
『征夷大将軍』
という、”武士のトップ"のお仕事についたもんだから、日本の中央がガラリと変化しちゃう(当時の人たちは『幕府』って単語を使ってないけど)。
カタチの上では、
"天皇に仕える武士が、日本の政治を任されてる"
って感じなんで、朝廷の権威は残されてます。
が、
逆に言えば、あるのはブランド力だけ。
実質的に日本を動かしていく存在が
朝廷→幕府
へと移動し、すっごく武士ファーストの世の中が訪れるんです。
その後、頼朝さんがつくった"鎌倉幕府"はなくなっちゃうんですが、お次に登場したのが、
『室町幕府』。
こちらも、足利尊氏さんて人が征夷大将軍になった"武士の政府"で、言ってみれば"幕府パート2"です(今度の幕府は京都がホーム)。
室町幕府は、初代の将軍が足利尊氏さんで、その後も2代3代と順調に続いていく……かと思いきや、
6代将軍・足利義教
って人が、赤松さんて"守護大名"(←あとで説明しまーす)に暗殺されるという大ハプニングが起きちゃって室町クライシス。
「あれ? 室町幕府ヤベーんじゃね……?」
という雰囲気が漂い始め、ついには、
8代将軍・足利義政
のとき、
大事件が起こります。
それこそが、”戦国時代の幕開けイベント”として有名な、
『応仁の乱』(おうにんのらん)
なんですね。
この『応仁の乱』がキッカケで……
と思ってたら、
さらに事件は止まりません。
『応仁の乱』のスタートから26年後、最近では
「ホントはこっちが”戦国時代の幕開けイベント”なんじゃね?」
と言われている
『〇〇〇〇〇』
がボッ発するんです。
というわけで、『〇〇〇〇〇』を謎にしたまま、いったん休憩。
次回からは「へー! そういうことだったのか!」の連続をお届けします(個人差ありますが)。
で、戦国大名……って?
さて、プロローグの続きです。
前回のおさらいをしながら、そのまま本文にいきますよ。
なんで戦国時代に突入したの?
↓
『応仁の乱』が起こったから。
↓
それとね……
最近では
「ホントはこっちが”戦国時代の幕開けイベント”なんじゃね?」
と言われている
『明応の政変』(めいおうのせいへん)
という、とんでも事件までもがボッ発したからなんです。
では、戦乱の世の扉を開いた2つの「マジで大もめ事件」、ざっくりと説明しときましょう。
『応仁の乱』は……
〈8代将軍・足利義政が、弟に将軍の座をゆずろうとしたら、
「あ、子ども生まれた…」
となり、弟派と子ども派による後継者争いが起こった〉
というものです(最近では「そんなストーリーじゃねーよ」となってますが…)。
子どもくんにたーくさんの武士がついて(西軍)、
弟くんにたーくさんの武士がついて(東軍)、
戦ったり裏切ったりが10年以上繰り広げられたのが、
『応仁の乱』という出来事。
『明応の政変』は……
〈室町幕府No.2の細川政元って人が、10代将軍を追放しちゃったクーデター〉
です。
10代を追い出した細川さんは、自分が推してる足利を11代にしちゃって実権握りまくり(『応仁の乱』も『明応の政変』も、ホントはとてつもなく複雑な出来事なんで、大まかにこれぐらいで)。
こんな大きな事件が立て続けに起こり、室町幕府はどうなったか?
お察しの通り力を失い、終盤のジェンガよろしくガッタガタのグッラグラ。
そうなると、各地にお住まいの武士たちは、
「もう幕府は頼りになんねー! 自分の領地(支配する土地)は自分たちで経営していくぞ!」
と、それぞれが独自の道を歩み始め、土地が隣り合うところでは戦争がボッ発。
さらには、
下の地位のやつが上のやつをぶっ倒す
〈下剋上〉
という"身分秩序の崩壊"も起こり、ついに、
『戦国大名』
という、新たな支配者まで生まれ、争いの世の中『戦国時代』がスタートしていったんですね。
お届けしたように、室町幕府が世の中を仕切ってた室町時代の"途中"から、戦国時代は始まります。
なので、ここ勘違いしやすいポイントなんですが、
”室町時代が終わって、戦国時代が始まった”
というわけじゃありません。
ヘロヘロになりながらも室町幕府はあったので……
・室町時代……1336年〜1573年(←終わりは諸説あり)
・戦国時代……1467年(応仁の乱)or1493年(明応の政変)〜1590年(←終わりにバリバリ諸説あり)
といったように、2つの時代はガッツリとかぶっております。
もちろん、将軍も12代、13代と続いていったし、全国の武士の中では、
「(基本的に)将軍様は偉いよ! (形の上では)将軍様の言うこと聞かなきゃね!」
という認識がちゃんと残ってるんです。
残ってるんですが、
やっぱりそこは本音と建前というか、実態と形式がズレまくっていて……
将軍をお飾りにして、幕府の実権を握る武士もいれば、自分の推し足利を将軍にしようと、現・将軍を引きずり降ろそうとする武士もいる。
そのため、10代以降の室町将軍には、
将軍「敵が襲ってきたー! ひとまず京都を出るぞー!!」
なんてことがたびたび起こり、政治の中心地・京都に、"将軍不在"ってのが珍しくないほど、室町幕府はハチャメチャだったのでした(14代将軍にいたっては、一度も京都に入れてません)。
そんな、ハチャグラ幕府と反比例するかのようにキラメキはじめたのが
『戦国大名』
と呼ばれる、各地の『武将』たちなんですね。
武将ってのは、「軍勢をまとめるリーダー」って感じなので、「武士の中でもすごめの武士」みたいなことです。
ポテチの中でもしょっぱめのポテチってことですね。
それじゃ今度は、『戦国大名』について、ちょっぴり詳しく説明していきましょう。
突然ですが、いまと昔じゃ”地名”が違う…っていうのは、なんとなくご存知ですよね。
たとえば、
新潟県は「越後国」
だし、
高知県は「土佐国」
みたいに。
でね、むかしの地名には"国"ってついてることからもわかる通り、当時の人にとって"国"というのは、その地域のことなんです。
「あなたはどこの国の人ですか?」
という質問をされたなら、現代だと
「日本!」「アメリカ!」
と答えるでしょうが、昔の人は
「甲斐国(山梨県)!」「肥後国(熊本県)!」
と答えたんです(たぶんね)。
なので、ここから記す”国”っていうのは、日本全体のことじゃなく、
国=地域(例:尾張国(愛知県西部))
のことです。
それを踏まえた上で……
鎌倉幕府や室町幕府が、国単位(=地域ごと)で置いた職業に
『守護』(しゅご)
ってのがありまして、まずはここからお話しさせてください(面倒くさがらず頑張って)。
この守護ってのはね、当初、軍事的なお仕事や警察的なお仕事をしてたんで、今でいう
"〇〇県警のトップ"
みたいなもんだったんです。
ところが、
室町時代に入ってしばらくすると、守護の"お仕事の範囲"が、大幅に広がっていきます。
幕府から、
幕府「現地の裁判とか、法律関係のお仕事、そういうのもやっちゃってよ」
とか
幕府「んー、税の徴収もさ、そっちでやっていいよ!」
とか、
次々にいろんな権利を与えられ、さらには地元の武士を家臣にしていって、なんだかどんどんカスタマイズされていくんです。
司法権、経済力、軍事力を手に入れ、国の中を"ちょいと支配"するようにまでなった守護。
こうなってくると、
「鎌倉時代の守護と、室町時代の守護ってさ、名前は一緒でもやってること違いすぎない? もう『県警のトップ』とかじゃないよね? 昔よりアップデートされまくって、"守護バージョン4"くらいになってるよ。だったら『守護』って呼び方変えて区別しないと、ややこしくない?」
となった後世の歴史家の方々は、室町時代の守護バージョン4のことを、
『守護大名』(しゅごだいみょう)
って呼ぶことにしたんですね(後世の人がつくった歴史用語ってやつですね)。
そのあとも、守護大名のパワーアップ具合はしゅごくて、室町時代も中盤の頃には、
「室町幕府ってさ、守護大名たちのおかげでもってるよね。守護大名みんなで幕府を運営してるようなもんじゃん」
というところまで、その力は膨れあがります(幕府=守護大名の連合政権、みたいな)。
それぞれの国を抱えて、大きな力を持った守護大名たち。
しかし、
そこに守護大名は、いません。
お墓の前で泣かないでくださいとか、千の風になってるとかってことじゃなく、
なんと守護大名、
”自分が担当する国にいない”
ってのが通常営業だったんです。
有力な守護大名は幕府の政治にも携わっていたので、京都や鎌倉にしょっちゅうお出かけして……というか、ほぼそっちに住んじゃってたからなんですね(国をいくつも持ってる守護大名もいましたし)。
そうなると、国を支配する人がいませんわね。
だから守護大名は、
守護大名「あ、やば。だれかに頼まなきゃ、うちの国の経営」
と、シャンプー買い忘れたときのトーンでつぶやき、自分の代わりに国のことをやってくれる、”代理人"をたてたのでした。
守護大名の代理人となったのは、親戚か分家か重臣(えらい家臣)。ほかにも、家臣になった『国衆』(←このあとすぐ説明!)。
などなど、まぁ要するに『守護大名』の家臣にあたる誰かが代理をつとめたんですね。
んで、この、"守護大名の代理で国の経営"をやった家臣のことを
『守護代』(しゅごだい)
って言ったんです。
ここまではオッケーですか?
オッケーじゃなくても進まざるを得ないのが、文章というものの潔いとこでもあり、美しいところでもあります(何が?)
ではお次は、
「『守護大名』『守護代』はわかったけど、さっきチラッと顔をのぞかせた『国衆』ってなに?」
という話。
『国衆』(くにしゅう)
というのは、もとからその土地に根ざした"地元の武士"です。
国の中の一部の地域、今で言えば、町や市をたばねる
"町長"や"市長"
みたいな武士のことを、国衆と呼んだんです。
地元のプチ支配者『国衆』は、幕府から派遣された正統な支配者『守護大名』の家臣になるパターンが多かったんですが、中にはまるで刑事ドラマのように、
国衆「外からやってきたキャリア(国家公務員)に従ってたまるか! ノンキャリア(地方公務員)にはノンキャリアのやり方ってもんがあるんだ!」
と、守護大名の家臣になることを拒否る国衆もいたのでした。
さ、というわけで、ここまでの肩書きをカンタンに整理しておきましょう。
『守護大名』=幕府から国を任された人(大きさレベル=都道府県知事)。
『守護代』=守護大名の代理人(都道府県知事の部下)。
『国衆』=地元にいる市長のような武士(大きさレベル=市区町村長)。
という感じで、なんとなく当時のシステムをわかっていただけたんじゃないかと思います。
が、
これまで説明してきたものが、戦国時代のせいで全部
ブッ壊れます。
Hello実力者、Goodbye政府関係者
はい、これがプロローグの最後。
おさらいしときましょう。
『応仁の乱』やら『明応の政変』やらで戦国時代始まる。
↓
『守護大名』『守護代』『国衆』ってのがいたんだけど、
↓
戦国のせいで、その立ち位置が……
全部ブッ壊れるんですよ。
守護大名とか守護代とかそんなのグッチャグチャのベコボコの国衆グニョングニャンのルールビリッビリ秩序ダガドゴ全部ジジジジ全部全部ジジジジ…ジジキューーーンのパーーーーーーーーン!
と、
弾けたんです。
そして、煙がくゆる中そこに現れた、エネルギーを凝縮したような生命体こそが、
『戦国大名』
です。
さんざんふってきましたが、結局のところ『戦国大名』ってなんなのでしょう?
こちら、一言で言ってしまえば、
"王様"
なんですよ。
もひとつおまけに一言で言うと、
"独自の力で国を治めた王様"
です(独裁とかじゃなく、ね)。
守護大名には、幕府という権力の後ろ盾がありました。
それに対して……
幕府によるバックアップのあるなしに関わらず、
自らの力でオリジナル国家を築き、
そこに本拠地をかまえ、
いーっぱいの国衆を従え、
おのれの手腕で家臣や領民をガッツリと統治した存在。
もちろん、その支配力は守護大名を上回る、それが、
『戦国大名』
です(戦国大名には「こうだ!」という定義がないんですが、基本的にはこんな感じです)。
そして、長々と『守護大名』『守護代』『国衆』の説明をしたのにはわけがありまして、このうちのどれかが、乱世の世を駆け抜ける『戦国大名』へと進化したからなんですが……
では、この中のどれが戦国大名になれたのか?
『守護大名』『守護代』『国衆』、どれが戦国大名になったと思います?
答えは、
全部です。
戦国大名には、
元・守護大名、
元・守護代、
元・国衆、
すべてのパターンが存在するんです(全員戦国大名になれたバンザーイってことじゃありませんよ)。
幕府や守護大名同士がバチバチに争って、乱やら変やらを起こした結果、守護大名のパワーはガクンッ! と落ちこみます。
となれば、
頭角をあらわしてくるのが『守護代』です。
なんてたって、実際に国を動かしていたのは守護代。主人である守護大名が衰えたのなら、実質的な権力をもった守護代が、
「オレが国を統一する!!」
と、立ち上がるのは必然。
でも、戦国の下剋上はこんなものじゃありません。
『国衆』だってのし上がります。
小さな領地しか持たない国衆も、戦いを繰り返したり、一発逆転で強い勢力を破れば、一国を支配するほどの力を持つことになり、
「これからはオレが国のトップだ!!」
と、名乗りをあげることも起きます。
そしてさらに、『守護大名』も黙ってません。
力を失う守護大名がいる一方、以前よりも多くの国衆を家臣にして、領国の支配強化に成功し、そのまま戦国大名へとスライドした守護大名もいたのです。
いくつもの名門家が没落し、姿をあらわすニュージェネレーション。
元の身分は関係なしに、新たなリーダーがズラリと出そろいます。
《守護大名→戦国大名》
・武田信玄
・今川義元
・島津義久
《守護代や守護代の家臣→戦国大名》
・織田信長
・上杉謙信
・朝倉孝景
《国衆→戦国大名》
・徳川家康
・毛利元就
・真田昌幸
《幕府官僚→戦国大名》
・北条早雲
《武士以外→戦国大名》
・豊臣秀吉
・斎藤道三
(活躍した年代、戦国大名になった時期はバラバラ)
ほかにも、まだまだたくさんの戦国大名が、全国各地に出現。
自らの力で"国のトップに立った武将"とその家臣たちは、合戦で死力を尽くし、国の政治に心血を注ぎ、家を守るため、民を守るため、大きな繁栄を勝ち取るため、長い長い戦いを繰り広げていったのでした。
と、いうわけで、以上が『戦国大名』の解説、そして、戦国時代の"世界観"についてでした。
日本の歴史にずーっとあった"身分制度"が、大きくひっくり返った戦国時代には、庶民だった豊臣秀吉が日本全国を統一するという奇跡まで起こります。
そんな、あまりにも激しい時代の中でも、さらに激しさを増すのが、戦国時代の後半。
次回からお届けするのは、戦国時代のターニングポイントととなった、いくつかの大きな出来事です。
それに関係する武将たちと、エピソードの背景を知って、どうか戦国という世の大まかな流れをつかんでください。
まず最初にお伝えするのは、
戦国時代に生きる人々をことごとく驚かせた、"あの武将"の大逆転劇からです。
本当にありがとうございます!! 先にお礼を言っときます!