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幕末エピソード0 敷かれたレールの上を歩いてたら
ブッ壊れ始めたんです

幕末について書いてみますね。

その名の通り、江戸幕府の末期を指して"幕末"って呼びます。この時代、すっごく魅力的なんですが……その分、ちょいとややこしい。
戦国時代なんかは、おおざっぱに言うと、「攻めるぞー!」「勝ったー! 土地もらえたー!」「負けた〜」これだけです(これだけじゃないです)。

ところが幕末になると、武士だけの話じゃなくなり、"朝廷"や"外国"って存在がねっとり絡みついてくる上、政治要素もてんこ盛り。

もう、ぐちゃぐちゃです。

でも、
ぐちゃぐちゃだからこそ、おもしろい。

では、“幕末エピソード0”と題しまして、ここでは、

「聞いたことあるような、ないような……で、これ何?」

って事柄を、説明していきたいと思います。
 今からお話しすることを知っとかないと、幕末というゲーム、一面もクリアできない…かもしれません。

まず最初は

「江戸時代とか徳川幕府とかって、マジ何のこと?」

です。
 

話は、今から500年以上前までさかのぼります(さかのぼらせてね)。
 
日本全国に"戦国大名"と呼ばれる武士が現れて、『日本国内ずっと争いが続いてる』ジョータイの、"戦国"という時代がありました。
 
で、そんな時代にピリオドを打ち、「これに勝った方が、天下治めるんじゃね?」の戦いが行われたんです。それが
 

関ヶ原の戦い
 

って呼ばれてるやつ。
 
これでバトったのが、
 
徳川家康さん率いる"東軍" 
 
と
 
石田三成さん率いる"西軍"
 
です。
 
その結果は、
 
勝者=家康さん率いる東軍
 
でした。 
そこから、戦いに勝った家康さん、「土地を分けるよー」の作業を行うんですね。


家康「はい西軍のみんな並んでー。君たちは戦いに負けたから、土地をケズります。もしくは全部ボッシュー」

西軍のみんな「え~~~! マジかよーー!」

家康「はい今度は東軍のみんな。みんなは頑張ってくれたから、土地を増やしてあげます」

東軍のみんな「イッエーーーーイ!」

 

ま、こんな感じ(カンタンに言うとですよ)。
 
そして、関ヶ原の戦いから3年後、家康さんはドラマなんかでもよく聞く、やたらエラいやつ

征夷大将軍(武士のトップだよ)
 
に任命されます。
 
で、"江戸"ってところに、

幕府(今でいう政府だねー)
 
を開く。
 
これで『徳川幕府』完成。
 
『江戸時代』のスタートです。

 

ただ、『幕府』がわかっても、これ知らなきゃ、幕末が前頭葉を上すべりしていくので、覚えといてほしいのが

藩
 
ってやつです。
 

こちら、今でいう"都道府県"みたいなもん。
 
支配するエリアと、そこの組織のことを、"藩"って言ってたんです(長州藩とか薩摩藩とか言うアレ。当時、公式には"藩"って使ってなかったらしーけど)。
 
なので、藩と幕府を現代に置き換えると、
   

藩→地方自治体
   
幕府→行政はもちろん、法律も作るし、裁判もやる、とにかく権力がここに一点集中の、スーパー内閣
 という感じになります(あくまでたとえね)。
 

藩と幕府の関係性は、「全国にそこそこ強ぇーやつらがいて(藩)、それをまとめてるイッ……チバン強ぇーやつ(幕府)がいた」でほぼあってます。
ちなみに、このシステム『幕藩体制』っていうよー。
 

んで、声を大にして言いたいのはここから!
 
さきほど藩は、「都道府県みたいなもん」とほざきましたが、あくまで"みたいなもん"です。
 
現代の都道府県と違って、そこには"種類"があり、"差"がありました。
 
その種類は、"徳川家康基準"で作られており、家康の……
 

一族んとこ!→ 親藩(しんぱん)!
 
家来んとこ! →譜代(ふだい)!
 
ごく最近家来になったとこ! →外様(とざま)!
 ってカテゴリー分けがされています。


《親藩》
こちらは、徳川家康のお子さんや一族が藩主(=殿ね!)の藩です。
中でも、家康の子供が初代をつとめた
徳川御三家(とくがわごさんけ)
ってところは、特別扱いスペシャル親藩(尾張藩、紀州藩、水戸藩だよ)。
なんでスペシャルかって、「おい! 今の将軍に子供いねーぞ!」って緊急事態のときは、この御三家から養子が届いて、将軍になっちゃうからです(デリバリーされてたわけじゃないよ)。
 
さらに、江戸時代の途中に、「おい! 養子出すとこ、増やしといた方がいいんじゃねーか!」って理由で、御三家みたいな"家"が3つ増えます。

「聞いたことねーよ」って言われるの覚悟で書きますが、
 
御三卿(ごさんきょう)
 
というやつ(田安家、一橋家、清水家だよ)。
 
あまり知られてない御三卿かもしれませんが、この中の一つが、実は幕末に深く関わるお家なんです……。
 どーれだ。


《譜代》
譜代は、家康さんのお家にむかーしから仕えてきた家来が、藩主(=殿だよ!)になった藩です。


《外様》
一方、関ヶ原の戦い前後に、家康さんに従ったとこを"外様"って言います。
現代でも「よそ者」みたいな意味で、"外様"って使われますが、まさにそれ。

おんなじ外様でも、
関ヶ原の戦いの前や最中に「やっぱ家康さんスゴいや! 家来にして!」ってとこと、
関ヶ原の戦いに負けて「負けたんで……仕方なく従いまーす……」ってとこは多少違いがあるんですけどね。


でね、幕府の政治をやっていのは、将軍と、この中の藩のお殿様なんですが、さて、どの藩でしょうか? 
それは……譜代なんですよ。

なんか親藩の方が偉いっぽいから、幕府のことやってそうなイメージですけど、実は譜代なんです。
 
譜代は
 
老中(今で言う〇〇大臣)
 
や、

若年寄(老中の次に偉い)
 
というポジションになれる資格がありました。
 
かたや、親藩と外様の藩主は、幕府の政治にいーっさい関わらない。てか関われない。
 
これ、なーんでか?
 
それはね、徳川家が、

〈地方大名の頃からのやり方を、天下取ったあとも続けてた〉
 
から。
 

戦国時代、徳川の家の政治や経営をやってたのは、当然、家康とその家来ですよね?
 
徳川さんてば、全国統一したあと、そのやり方をそのまま大きくしちゃいます。
 だから、幕府の政治をやるのは、徳川家のトップ(将軍)&家来(譜代)になった、というわけです。
 
これ、現代で考えても「あ、まーね」となります。
 
どこぞの社長を想像してみてください(社長の方はご自分を当てはめて)。
 
会社を動かすのは、社長(将軍)と社員(譜代)。
 
社長の子供たちや親戚の人(親藩)は、当然その会社の経営とは無関係ですよね(一族経営やコネ入社は別ね)。
 
ましてや、最近知り合った外部(外様)の人になんか、経営を任せるわけありません。
 
これとまったく同じ原理です。
 
幕府の政治をする権利を、親藩、外様に、一切与えない。口出し無用。
 
このルールを守り続け、200年以上むっちゃくちゃ強い権力を保っていたのが、徳川幕府という機関……声を大にしたんで、是非覚えといてください(文章なんでカロリー使ってませんが)。
 
以上、『幕府と藩。切っても切り離せない互いの慕情』でした。


さて、ここまでは全部"武士"のお話。 
幕末には、そうじゃない人たちも大いに絡んできます。 
お次は、


「『朝廷』って………………なに?」

です。
朝廷(ちょうてい)ってのは、天皇をトップとした、公家(くげ。貴族さん)たちがいる政府のこと。
 ん? 幕府も政府で、朝廷も政府? 
 
政府が2つあったの?
 
あったんです。



おじいちゃん(誰かの)「遠い昔、政治は朝廷が行ってた。でもね、日本の歴史に武士が登場すると、政治をする権限が、武士のほうに流れていっちゃったんだ。ショギョームジョーだね」

孫(どこかの6さい)「じゃ、朝廷ってなくなったの?」

おじいちゃん「いいや。朝廷はちゃーんと残ってたよ。役職や地位……これを官位っていうんだけどね、官位を授けるのは、朝廷であり、天皇だったんだよ。それは、戦国でも幕末でもずっとそう」

孫「そうなんだー。今でも、内閣総理大臣は、民主主義的に選ばれるけど、任命するのは天皇だもんね。そんな感じ?」

おじいちゃん「そ……すごいね……確かにそんな感じだよ。幕末でも、朝廷は政治をやってなくて、幕府に任せてたんだ。言い方悪いけど、当時の朝廷は、『勢いはなくなったけど、ずっと残ってる老舗ブランド』、そんな感じだね」

孫「では……」

おじいちゃん「では!?」

孫「では、本来でいえば、『将軍も、幕府という政府機関も、全国の武士全員も、みんな朝廷に仕える身で、天皇の家来』ということですね」

おじいちゃん「……もう気持ちわりぃよ……大正解だよ……。本来はそうなんだけど、政治をしてたのは幕府で、権力を振りかざすのも幕府だったんだ。学校の部活とかでも、『定年間近、かつスポーツの知識ゼロの美術の先生が、バスケ部の顧問』みたいなことあるでしょ? 形上、先生はバスケ部の監督だけど、ホントにその部を仕切ってるのはキャプテンなんです、的な。練習メニュー考えるのも、試合中の指示も、そのキャプテンが全部やる。 まあ、それと似てるかもね」

孫「んー……部活よくわかんない……」

おじいちゃん「そこは6歳かい」

孫「あ! スラムダンクの藤真ってこと?」

おじいちゃん「おじいちゃん、それ知らねーや」

というのが、朝廷と幕府の関係性でした(わからなかった方、ここですよ、ネットの出番は)。
 


続いては、とんでもねー頻度で登場する"単語"。


こいつらだけは、もー先に解説します。

『尊王(そんのう)』
天皇を敬うという考え。これメッチャ出てきます。

『攘夷(じょうい)』
“夷”っていうのは、"夷狄(いてき)"っつって、外国人のことです。外国人を攘(はら)う。つまり、「外国人を追っ払え!」ってことですね。
「外国人を襲撃しろ!」も攘夷だし、「結んだ条約を解消しろ!」も攘夷です。
いろんなパターンの攘夷がありますが、とにかく「外国や外国人を入れないし、入ったら追い出す!」って考えを攘夷と言います。
これもメッチャ出てきます。

『尊王攘夷(そんのうじょうい)』

尊王と攘夷の合体技。「王(天皇)を尊び、外国の人を追い払え!」って意味。まんまです。何を隠そう、これが一番出てきます。
この考えを持った人を

『尊皇攘夷派』
とか、略して
『尊攘派』
なんて呼んだりするんで、要チェックです。

 

幕末ってのは、やたら
「攘夷だ! 攘夷!」
 って言葉が飛び交い、
「もう幕府なんかに政治を任せてらんねー!」
 という展開になっていきます。
 
ネタバレちっくですが、そもそも歴史って全部ネタバレしてるもんなんで。ええ。
ちなみに、『鎖国』や『倒幕』といった重要ワードは、エピソード1以降でご説明したいと思いますので、乞うご期待。


それでは最後に、幕末を色濃く彩った"藩"のバックボーンをご紹介して、エピソード0に終止符を打たせていただきます。

【薩摩藩(さつまはん)】
 

現在の鹿児島県あたりや、沖縄県(琉球王国)も支配下に置いた藩です。
 
藩主の「島津」さんてのは、戦国時代に、九州統一目前まで迫ったちょーやり手。関ヶ原では西軍についちゃったんで、負けた側です。
なので、家康さんから土地を減らされることに……なってません。
 
これが、なってないんです。
 
ハイレベルな交渉を繰り返し、家康さんに、

「もう……じゃいいよ! 島津くんとこの土地はそのまま!」
 
と言わせちゃいました。
 
西軍の大名がバシバシ土地を減らされる中、唯一自分たちの領地を守りきったミラクル集団……。
 
そのおかげで、薩摩は全国の中で、No.2の石高を持つ藩になります(とにかく"でっけー藩"て覚えれば大丈夫です。ちなみにNo.1は加賀藩ですよ)。
 
それが幕末まで続き、特に力を持つ藩となった……。
 
これが、薩摩藩です。
 


【長州藩(ちょうしゅうはん)】

現在の山口県を治めたのが長州藩です。
戦国時代、安芸(広島県)に毛利元就というカリスマが登場して、中国地方ほぼ全域を治めちゃいます。
 
その孫の輝元ちゃん、関ヶ原では西軍の総大将をやっちゃったから、
 

家康「はい、減らすー」


フツーに土地減らされます(もしかしたら減らされないかも? って瞬間はあったんですけどね。やっぱダメー)。
 
しかも、グヮバッ! と減らされて、元の領地の約4分の1になってしまいました。
そのことがあってか、外様の藩として江戸時代を過ごす長州藩には、「これよっぽど恨んでるよ……」ってエピソードが。
 
毎年の年始の挨拶になると必ず交わされるのが……。



家臣「殿、今年はいかがいたします?」

殿「いや、まだじゃ」

 

これはつまり、



家臣「殿、今年は徳川を討ちますか?」

殿「いや、まだその時期ではない」

 

という意味。
 
何代にも渡って、なんと200年以上このやり取りをやってたわけで、もう褒めてあげなきゃのレベル。
 
でも、この話はウソかもなんですって。

「長州藩、こんな気持ちだったんだよー」って表すために、誰かが作ったのかな?
 


【土佐藩(とさはん)】

現在の高知県を治めたのが土佐藩です。
もともと土佐を治めていたのは、長宗我部(ちょうそかべ)さんて大名。
しかし、こちらも関ヶ原の戦いで西軍についたため、土地を減らされ……るどころじゃなく、なんとボッシューされちゃいます。
 
そう、土佐から長宗我部さんいなくなるんです。
 
で、その土佐を、家康からもらったのが、山内さんて大名。
 
山内さんは徳川家に恩がありますから、「代々、幕府LOVE」ですっていうのを覚えておいてもらうと助かります。
 
そして、土佐藩といえば、日本史の中でも1位、2位を争う、人気の"あの人物"を生んだ場所……。
 
それは本編が始まってからのお楽しみです(ま、バレてるでしょうが)!
 


【会津藩(あいづはん)】

現在の福島県あたりを治めたのが会津藩です。
2代将軍徳川秀忠には、静という女性にこっそり産ませた男の子がいました。


秀忠「おい、言うなよ! 別に、江(ごう。秀忠ワイフ)が怖いってわけじゃないぞ。とにかくお前らだけで止めとけ! 最悪、他のヤツにバレたとしても、江が怖いってわけじゃないけど、江にだけは知られるなよ!」

家臣「……別に誰にも言わないすけど……素直に怖いって言えよ」



江が怖かったどうかは定かじゃありませんが、この男の子のことは、数名しか知らない事実。
 
しかし、秀忠の息子である3代将軍徳川家光はあるとき、



家光「え? オレに腹違いの弟いるの? ……親父ぃ~」



知っちゃいます。

その後、異母弟

保科正之(ほしなまさゆき)

に会った家光は、



家光「すっごいいい感じの異母弟じゃん。気に入ったよ異母弟! じゃ異母弟は会津藩の藩主!」

お気に入りすぎて、会津藩の藩主にバッテキしちゃいます。
家光は、亡くなる直前でも正之に「異母弟……宗家(本家だよ)を頼む」と伝えるほど、弟を信頼していたのでした。
自分を取り立ててくれ、頼ってくれた家光に深く感謝した正之は

『会津家訓十五箇条(あいづかくんじゅうごかじょう)』
 
というものを作ります。
 
その第一条には、

『徳川の将軍に、一生懸命尽くすべきで、それは、他の藩と同じ程度で満足するようなものじゃダメだよ! もし、将軍家にそむいたり、裏切ろうとする藩主がいたら、そんなヤツは私の子孫じゃない! みんな、そんなヤツに従ってはダメだからね!』
 
って感じのことが書かれてました。
 
何があっても徳川幕府に忠誠を誓う――。
 
この家訓を代々ちゃーんと守り続けていったのが会津藩なんですが、幕末では、これが思わぬ障害になっちゃうのでした……。

 

というわけで、主要な藩の性格を、むちゃ簡単にご紹介したところで、エピソード0終了。
 
そして次章から、本当のエピソードが動き出します……。
 

幕末は、江戸時代の末期、幕府の末期です。
 
どんなに揺るがないものでも、時を重ねれば、ほころびが生じてきます。
 
200年以上という長い時間を経過した幕府にも、あちらこちらにほつれが出ていたのです。
 
そこへ、ダメ押しとなる存在が登場。
 

"彼"が、大きな船を4艦従えてやってくるところから、それはスタートします……。




本当にありがとうございます!! 先にお礼を言っときます!