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桶狭間の戦い

戦国史最大のバカが起こした戦国史最大の大逆転

”おけはざまのたたかい”って、聞いたことあります?

「いや、それくらい知ってるよ」
という反応が、ちょっとムッとしながら返ってくるのを覚悟で書いてみたんですが、人によっちゃ少し半ギレになるくらい有名な戦いですよね(「知らねぇ…」って人はここで知って)。

なんでそんなに有名かって、答えはカンタンで、時代が流れても歴史の教科書にずーーっと居座ってる戦闘だから、かなりの人が知ってるんです『桶狭間の戦い』って。

でも、教科書にずっとのってるってことは、歴史的にかなり重要な”何かがあった”。。。ってことになります。
じゃあ、その”何か”は何? って話ですが、ギュッ! とすると、

「織田信長(って武将)が今川義元(って武将)をたおして、みんな驚いた」

って内容。ギュッとするとね。
これだけだと、なぜ重要かの意味がまったくわからないと思うので、もう少し丁寧に、テキトーに概要を説明しますと……

《1560年。まだ駆けだしの織田信長が、ムッチャクチャ強い今川義元を、桶狭間(愛知県)ってとこでたおすというサプライズが起こっちゃいます。
鮮烈な全国デビューを果たした信長。
この戦いで、本人とまわりの運命は大きく変わっていったのでした。》

という感じになるわけです。
そう、織田信長のおかげで、その周辺の相関図がガラっと変わる"大逆転バトル"だったから、『桶狭間の戦い』は重要とされてるんですね。

さて、この桶狭間さん。僕と同世代以上(2019年時点のアラフォー以上)の方の中には、

「知ってるよ。今川義元が天下を目指して京都へ行く途中に、織田信長をたおそうとした戦いでしょ。で、桶狭間ってくぼんだところで酒盛りしてたら、信長に後ろから奇襲でやられたやつだ」

という、大体のあらすじを知ってる方も多いと思います。学校なんかで習って。
でも、この大体のあらすじ、

大体違います。

「違う」というと言いすぎですが、最近じゃこのストーリーの可能性は低いって言われてるんです、はい。

それじゃ、本当はどんな戦いだったのか?

では、ここから『桶狭間の戦い』のことを、ちょっとだけ詳しくお話ししていきたいと思います。
ですが、けっきょく知っておいてもらいたいのは、さっきの《1560年。まだ…》の中のことだけ。
あとは、ゴチャゴチャうるせーなと思いながら読んでいただいてけっこうです(ホントに思ったらショックです)。

ではいきます。『桶狭間の戦い』。

舞台となるのは、いまの東海地方。主人公は、とうぜん織田信長です。
戦国時代と聞いて、「わたしダメなのよー。アレルギーなのよー」と苦虫かみつぶしてペッとはく人も、この名前だけは知ってるんじゃないでしょうか。
と同時に、
「信長ってなんか革命的で、強かったんでしょ?」
というイメージをお持ちの方も多いと思いますが、それはまだ先の話。

『桶狭間の戦い』が起こる前の信長は、強くありません。

強くないって言うと、少し語弊がありますね。

「まだ安定した力を持っていなかった」

と言った方がしっくりくるかも。

織田信長の出身は、尾張国(愛知県西部)。
お家の「織田家」は、尾張国をおさめていた大名……
じゃあないんです。

信長の実家・織田家は、『守護大名』

の、家臣の

『守護代』

の、家臣だったんです(以前投稿した【戦国時代……って?】というやつを読んでね)。

現代で言えば、

「県知事の部下の部下」

というのが、信長さん家のポジションだったんですね(あくまでイメージね、イメージ)。

なので、織田さんは、その地域に"王国"を築けるような家柄ではなかったんですよ。

ところがどっこい、時は戦国。
身分関係なく、おのれの力と才能だけでのし上がれる時代です。

信長のパパ・信秀は、グイグイと勢力を伸ばし、上司たちをしのぐほどの力を手に入れ、
「尾張で一番強ぇーといったら、織田信秀だよ!」
と言われるくらいまでになったんですね。

そんなパパが亡くなり、信長が家督(家のトップ)をついだのは19歳のころ。

子どもの頃の信長くんは、
上半身裸で友達の肩に寄りかかり、餅や瓜を食べながら街中をうろついたり、
お父さんの葬式さえもすっぽかして……と思ってたら、途中からズカズカと入ってきて、お焼香の粉(抹香)をパパの位牌に投げつけたり、
と、アグレッシブなバカで有名。

とにかく、大うつけ(=超バカ)という信長ですから、

「うつけだし、まだ全然若いし、ありゃダメだろ」

と、織田家のトップになっても、まわりからはナメられまくりでした。

しかも、敵からナメられのはギリわかるんですが、身内まであなどってきたから、状況はかなりのドロ沼状態……。
何人かの家臣が

「うつけより、弟さんの方が織田家のトップにふさわしいだろ!」

と、信長の弟・信勝と一緒になって歯向かってきたから、もうてんやわんや。
中も敵、外も敵、360度テキダラケビューだったんですね。

ただ、フタを開けてみれば信長ヤバかった。

パパと同じ、いや、それ以上の実力を持っていたんです。
信長という新時代のカリスマは、弟もまわりの敵もなぎ倒し、織田家の家臣団もまとめ上げ、なんと、尾張国を"ほぼほぼ平定"するまでになったのでした。

これで、やっと胸を張って、

織田信長「オレが、尾張国の戦国大名だぁーー!!」

と言えるようになった……ところへ、

全国トップレベルの超スーパー戦国大名、

今川義元

が攻めてきちゃうんです。

終わりました。




桶狭間イヴ 〜 織田家最悪前夜 〜

『桶狭間の戦い』パート2です。
では、前回のおさらい。

昔、尾張という国に、織田信長という"うつけ"(バカ)がいましたとさ。

しかし、そのうつけ実はすごいやつ。

なんと尾張国をほぼ統一しちゃいます。が……

今川義元というスーパー大名が尾張に攻めてくるらしい……!

終わりました。

いや、まだ始まってもいませんが、終わったも同然です。

今川義元=バケモン大名。
尾張国を統一するかしないかという、足元おぼつかない信長に対し、義元が支配する国は3つ。
駿河国(静岡県中部・東部)、
遠江国(静岡県西部)を持ち、
三河国(愛知県東部)も従わせてる大大名です。

そんな、海道一の弓取り(東海道で一番の大名)という異名を持つ義元自身が、大軍をひきつれて尾張国に攻め込んでくるというんですから、ヤバイなんてもんじゃありません。いや、ヤバイなんてもんです。

ドラマで言えば……設定は「部活」でも「町工場」でもなんでもいいんですが、

「あんなにバラバラだったチームがやっと一つにまとまった。しかし、喜びもつかの間、新たに巨大な敵が出現…!」

という、前半部分のクライマックスシーンみたいなもんが、このときの状況(個人の見解です)。

ただ、ここで一つ注意点。
今川義元は、
”新たな敵"
ではなく、パパ・信秀のころからの、
"因縁の相手"
なんですね。

だからね、すでにね、織田と今川って、ちょこちょこ戦ってんの。

でね、パパ・信秀が死んだらね、織田の家臣が信長を裏切ってね、お城ごと今川のほうについちゃってね、いくつかのお城が、今川のものになっちゃったの(さっきからタメ口すみません。お城は、「鳴海城」「大高城」などです)。

前回、信長の尾張国統一を
"ほぼほぼ平定"
と表現したと思うんですが、その理由はここにもあったんですね。

となれば、そのお城たちを今川から取り戻したい信長さん。

奪われたお城のまわりにいっぱい砦(ちっちゃい城)を築いて、そこにいる今川のやつらの行動を監視したり封鎖したりしたんです(一応、書いときます。「鳴海城」の近くに、丹下砦、善照寺砦、中島砦。「大高城」の近くに、丸根砦、鷲津砦。全部で5つ。覚えなくていいよ)。

そしたら、

今川義元「織田んとこのうつけのせいで、大高城と鳴海城に兵糧(軍隊の食りょう)が届かない? うっとおしい……。全部の砦をぶっこわして、信長もつぶしてやる!!」

と、義元本人が本腰を入れて、2万〜2万5000という大軍で乗り込んできちゃった、ということだったんですね。

遅かれ早かれこんな状況は訪れていたでしょう。が、とにかく信長が大大ピンチなことに変わりはありません。
あわてふためく織田家では、ホームの清洲城で緊急会議が開かれることになるんです。

家臣A「どーーーすんだよおい!! 籠城(城にこもって戦う)か!? 討って出るか!?」
家臣B「そりゃおまえ、籠城に決まってんだろ!!」
家臣C「決まってはねーだろ!! 援軍も見込めないんだから討って出た方がいいに決まってんだろ!!」
家臣B「テメーも決めつけてんじゃねーか!! はぁ!?」
家臣C「はぁ!? はこっちだ!! はぁ!?」
家臣A「あ、信長さまがこられたぞ!」
家臣B「はあ!? じゃない間違えた…(ははぁー)」
家臣たち「(ははぁー)」
信長「(登場)いやー、最近さぁ…(ペチャクチャペチャクチャ)」
家臣A「ハハハッ……それは大変でしたね……で、籠城…」
信長「さて、と……今日はもう遅い。解散!」
家臣たち「!」
信長「(スタスタスタ……)」
家臣A「(去ってゆく信長を見ながら)……お、終わった……会議も……織田も……」

世間話をして会議終了。
すぐそこに今川という恐怖が迫ってるのに、信長はなんの作戦も決めません。
みんな

「運が尽きるときは知恵の鏡もくもるって言うけど、今がまさにそのときだな!」

と言って、信長をバカにして笑ったそうです。

そして、翌日早朝。

信長家臣「の、信長さま!! 今川軍が、丸根砦と鷲津砦に攻撃を……!!」

ついに今川軍の攻撃が開始されてしまったんです。

その報告を聞くやいなや、ガバッ!! と飛び起きた信長は、

信長「……人間50年〜…下天のうちをくらぶれば〜…」
信長家臣「???」

急に、「幸若舞」という舞の、お気に入りのプログラム「敦盛」を舞い、

信長「具足(甲冑)を持ってこい!!」
家臣「(え? え?)」

カシャン! カシャカシャ! カシャン!

信長「湯漬けを!」

ズビッ! ズビッ! ジュビビビビビビッ……!

甲冑を身につけながら、立ったまま湯漬けを食らったあと、

信長「出陣だ」
家臣「え? え? え???」

馬にまたがり、

信長「ハッ!!!!」
家臣「行った行った行った!! 出て行っちゃったぞおい!!!」

パカラッ! とお城を飛び出していったんです。

突然の出来事とスピードに、ついていけたのは5人の家臣のみ(兵士は200人くらい)。
その後、熱田神宮で戦勝祈願をした信長は、砦から砦へ移動し、善照寺砦ってとこに入ります。その間に、だんだんと2000〜3000の兵が集まり、ようやく戦闘態勢が整ったのでした。

よろしいでしょうか。信長のここまでの行動を整理しますよ。

生きるか死ぬかの会議で、なんのアイデアも出さず、敵が攻めてきたら急に踊り出し、それが終わると、立ったままメシを食って、なんの指示も出さず城を飛び出していった……。

変態です。

変態か天才か紙一重の行動ですが、かなり変態よりの変態です。

とりあえず、まだまだ織田のピンチは続行中。

信長のもとに兵が集まってるあいだに、攻撃を受けていた丸根砦と鷲津砦はおとされてしまいます(ちなみに、丸根砦を攻め落としたのは、松平元康。このときは今川家の家臣だった、のちの徳川家康です)。

そして、ビッグボス今川義元は、どんどん尾張の内部に侵入。

義元は桶狭間山という小高い山に陣を敷いた(スタンバイした)んですが、もう信長との距離、5キロとありません(おそらく)。
5つあった砦のうち、2つの砦をおとした今川軍は、ツタが伸びるようなスピードで尾張を侵食していくんです(ツタが伸びるスピードを知りませんが)。

と、そこへ!

信長の家臣2名が、信長が近くにいるから勇気100倍になって……なのかどうかはいまだに謎なんですが、300ほどの兵をひきつれ、今川の先頭部隊に攻撃をしかけるんです負けます! すぐ負けます! キッチリ負けます!

結局は桶狭間山で休憩してる義元が、さらに気分を良くしただけ。
今川軍がおとすべき砦はあと3つ。義元、余裕シャクシャクなんですね。

信長「よし、もうオレがいくわ!!」

信長は、今いる善照寺砦から、敵がいる桶狭間に近い中島砦へ移動しようとします。
が、家臣たちはこれに大反対。

家臣たち「いやいやいや! こっちの動き丸見えなんすから、人数少ないのバレますて!」
信長「うるせー」

無視です。中島砦へ移動します。
で、着いたとたんソッコーで出陣しようとする信長に、家臣たちはもはやすがりつきながら大反対。

家臣たち「いやいやいやいやいやいや…」
信長「いいか、よく聞けよ!!」
家臣たち「!」
信長「今川のやつらは晩めし食って夜通し歩いて丸根砦と鷲津砦をおとすのに苦労してメッチャクチャ疲れてんだ! それにくらべてこっちはぜんぜん元気な兵ばかり! それに『少ない兵だからといって、たくさんの兵を恐れんな。勝敗の運は天にある』ってことを知らねーのか! 敵が攻めてきたら退け! 敵が退いたら追え! 何としてでも敵を倒して、追って、崩せ!! カンタンなことだ!! 戦いに勝ちさえすりゃ、ここにいるやつ全員末代まで名がとどろくぞ! ひたすら頑張れ!!!」

急にどした? というような熱量。
なにはともあれ家臣の意見は聞きません(ただ、「丸根砦と鷲津砦の攻略で疲れてる」のは、元康(のちの家康)と、ほかの今川の家臣が率いた部隊です。信長は、桶狭間山にいるのがこの部隊だと思ったのかな? で、攻撃してみたら実はそれが義元本隊だった。という可能性が……。もしくは、ホントは義元たちも砦の攻略にちょこっと参加して疲れてて、信長はそのことを言ってたのか……謎です)。

信長「いくぞ!!」

というわけで、信長はボルテージ最高潮で出陣。
このまま行って勝てるの? いや勝てるわけねーじゃん! と、おっさん家臣の何人かは思っていたかもしんない悲しみの桶狭間。

ところが、

今川の先頭部隊とぶつかる直前、

空から"奇跡"が降ってきたんです。




空から降る無数の奇跡とそこから得る多数の事績 

『桶狭間の戦い』最後のお話となります。
おさらいいくね。

信長、尾張国を統一しかけたら……

今川義元が攻めてきて大ピンチ。

だけど、作戦決めねーし家臣の言うこともまったく聞かない信長。

しまいには正面突破しようとする信長に家臣たちは「えー!?」

しかし、その時空から……

"奇跡"

が、かなりキツめに降り注ぐんです。

バッ………バババッ……バババババババババババババ!!!!

織田軍にとって、幸運すぎる天候急変。

ヤバすぎるにわか雨が、

石か氷かというにわか雨が、

近くにあった巨木を倒すほどの強いにわか雨が、

とにかくすんごいにわか雨が、突然降り始めたんです(たぶん雹(ひょう)かあられ)。

激ヤバ暴風雨が、織田軍の後ろから今川軍の顔を打ちつけるように斜めに降ったもんだから、なんかもー今川軍はヘロヘロ。

あまりのラッキーに織田軍のみなさんは、

織田軍「あ……あ……熱田大明神のおぼしめしだ!! 参拝しといてよかった!」

と、沸き立って震えてもう一回沸き立ちます。

対して、今川軍の動きは完全ストップ状態。

やがて、空が晴れたのを確認した信長は、

ガッと槍をつかみ、

大声で叫びます。

信長「かかれぇぇぇぇーーーーーーー!!!!!!」

ついに、信長ひきいる織田軍団は、今川軍に真正面から突っ込んでいったのでした。

今川軍「あ、晴れた。いやーとんでもない雨だっ……え、敵!!!!?」

となった今川軍は大慌て。
数の少ねー織田軍がいきなり攻撃してくるなんて思いもよらない雨上がりの突進。対応しきれません。

信長「敵の首は取るなぁ!! 狙うは今川義元の首、ただ一つ!!!」

ターゲットは今川義元のみ。
優先すべきは個人の手柄より織田軍としての勝利。

今川軍は2万以上とお伝えしましたが、それはぜーんぶの部隊をあわせたトータルの人数です。このとき信長が戦いを挑んだのは、今川義元本隊の3000〜5000。

5000 VS 2000ならもしかして……。

信長「かかれーー!! かかれぇぇぇーーーーーーー!!!」

信長みずからが先頭に立つ織田軍のモチベーションは高く、その勢いに押された今川軍は次第に後退。
先頭部隊が崩れ、後ろになだれ込むと、義元の乗った塗輿(おみこし想像して)を捨てて逃走する者まであらわれます。

信長「義元はすぐそこだぁぁーー!! かかれぇぇぇーーー!!!」

織田の猛攻は止まりません。

度重なる突撃に、300はいた義元の旗本(親衛隊)も50にまでその数を減らします。
両者鬼気迫る熱戦、乱戦、超接近戦の中、織田軍トップの信長は

信長「ウラァァァァーーーーーー!!!!!」

なんと馬をおり、家臣と先を争うように敵をぶっ倒していくんです。

その勇ましさに興奮する若い家臣たち。
彼らも信長に続けと、持てる力のすべてを敵にぶつけ、何人もの死傷者を出しながら、鮮血と汗をほとばしらせ"ターゲット"に肉薄します。

“狙うは今川義元の首、ただ一つ"——。

そしてついに、

グサッ!!

今川義元に槍の一撃をくわえる、信長家臣・服部一忠。が、しかし、

シャッ!!!

服部は、義元の反撃をヒザに受け倒れこみます。

結果から見ると、この一太刀が義元最期のアクションでした。

次に迫った毛利良勝(信長家臣)に、

ザッッ!!!!

斬りつけられ、倒れ伏し、

今川義元は、その首を取られたのでした。

総大将がやられた今川軍は、その場から逃走。

奇跡の大勝利を手にし、興奮さめやらぬ信長と織田軍は、

信長「えい!!! えい!!!」
織田軍「オオオオォォォーーーーーーーーーー!!!!!」

その熱狂を勝鬨に変え、桶狭間の地にぶつけたのでした。

圧倒的不利をくつがえした織田信長、世紀の大大大勝利です。

はい、これが、『桶狭間の戦い』のザックリとした流れです。

義元は上洛(京都に行くこと)なんてしようとしてなかったし、スタンバイしたのは低地じゃなくて山だし、信長は奇襲じゃなくて正面突破……最近の桶狭間は、こんなことになってるんですね。
織田軍の勝因は、信長みずからが前に出て戦ったってとこでしょうが、ご覧の通りいろんなラッキーが重なったことも否めません(天気急変。今川の油断、テンパりなど)。

ただ、お伝えした話も「これが絶対正しい!」ってわけじゃないし、ホントのホントの勝因はよくわからない……なんせ謎の部分がいっぱいで、諸説ありまくりなんですこの戦い。
お互いの兵の数も全然定かじゃないし、義元が布陣した「桶狭間山」という場所が、どこなのかもあいまいなんですね(愛知県の名古屋市緑区か、豊明市っていわれてます)。

さて、そんは諸説ありまくりの『桶狭間の戦い』ですが、”現代の僕たちが学ぶべき点”はどこでしょう?

人によって受け取り方は様々でしょうが、たぶん

「強いものにも立ち向かっていく勇気!」
「みんなの力を合わせれば、大逆転は起こせる!」

みてえな、表面上のペラペラな部分じゃないことは確かですよね(それも大切ですけど)。
個人的に、この戦いで一番見習うべき点は、

「信長のすげーワンマンな感じ」

だと思います。

今川との戦いにのぞんだ信長は、家臣に何も伝えず、意見も聞きませんでした。でも、ギリギリ勝てたのは、そのやり方だったからこそです(数々の幸運があったとはいえ)。

仮の話になりますが、もし信長の中に「こうしよう」という明確なビジョンがあったとして、それにも関わらず、割れに割れた家臣の意見をいちいち全部聞いていたら、"勝てる見込みの少ない戦い"が、"絶対に勝てない戦い"になっていたんじゃないでしょうか。

いつの世もチームの"和"はとっても大事。

だけど、全員の意見を大事にしすぎるチームは、方向が定まらず、一つも前進しないし、すぐに壊れます。
誤解を恐れまくりながら言わせていただくと、

「時と場合によっては、"ワンマンプレイ"は大いに必要」

なんだと思います。

言い換えればそれは、「責任を伴った決断力」でもありますしね。

誰もが複数のチームやコミュニティに所属してる今の時代(会社、学校、SNS上などなど)。リーダーであろうとなかろうと、そのチームの維持や発展を考えるなら、信長の姿を思い出してみるのもいいかもしれません。
ワンマンすぎると、それはそれで問題ですけど(以上、圧倒的個人的見解でした)。

あ、ちなみにですが、昔から言われている、革新的、天才的、独裁的、破壊的、といった信長像ですが、最近これに変化がありまして……これはまた別の機会にしましょう。

あ、またまたちなみにですが、『桶狭間の戦い』によって、まわりの運命がどう変わっていったかというと……

これは次回にまわします。

次にお届けするエピソードは、時代を作った武将が味わった悪夢……

華麗なる"負け戦"のお話です。




本当にありがとうございます!! 先にお礼を言っときます!