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誕生日パーティーなんてやめちまえ

一部の気の利いたレストランでは、「誕生日パーティープラン」が用意されている。

主催者はこのプランを予約の上、前もって店員と密通し、プレートに何を書け、BGMはこうだと打ち合わせ、当日を迎える。呼ばれる側は素知らぬ顔をしながらも、内心(最後に例のくだりがあるんじゃないか)と期待する。

そしていざ来たる祝いの様子は動画なり写真なりで記録され、インスタに高々と掲げられ、その場に居なかった者たちに「えっ私呼ばれてない」という苦悶を与える。一体全体、誰がこんなことを始めたのか。誕生日パーティーがなければ、呼ばれない悲劇など生まれなかったのに。

ぶっちゃけこのストーリーズのアイコンも恐る恐る押してる

誕生日はいつ”誕生”したのか

誕生日が日本で浸透したのは明治時代に年齢計算法が施行されたことに端を発するらしい。税金の取り立てなどのために思いついたことなのだろう。

そしてここでいう年齢は、誕生日前日の24時0分に加算されるという。すなわち日付が変わる瞬間だ。

だから2月29日生まれの人は4年に1回に歳をとるのではなく、2月28日の終わるその瞬間に無事加齢するという。7月7日23時48分生まれの私は、(まだ23時間はある)と余裕しゃくしゃくだったが、どうやらその解釈は誤っていたようだ。とにかく、そんな悪法(?)が爆誕するまでは誕生日を祝う風習なんてなかったはずだ。

Apple Watchで表示される祝いの通知。ほっといてくれ

おとなの誕生日

成人してから数年、すっかり誕生日は後ろめたいエックスデー。祝ってもらおうという願望は随分遠ざかったし、表立って年齢を言うことも憚られるようにもなった。

一方歳を重ねると誕生日は再びありがたいものになるらしく、祖父はまもなく卒寿(90歳)を迎えるのだが、当人自らいかに祝ってもらおうかと画策している(冷静な祖母と母のみが「あまり盛大に祝うと人生やり尽くした気になって直後にポックリ逝っちまうかもしれないからやめろ」と唱えている)。

祖父が89歳の時にしたためた怪文書。
「家族には感謝がないのか」と家庭内で物議を醸す。
悔いのない割には90歳の祝いについてあれこれ目論んでいる。

ここだけの話だが、私は先日何年かぶりに、旧友のユキちゃんから誕生日の祝いをしてもらった。しかも花火の刺さった豪華なケーキ。小洒落た飴細工を添えたプレート。大変感動した。私も捨てたもんじゃない。あれほど誕パに警鐘を鳴らしてきたのに、ついにはインターネットの大海にその模様を放出、LINEのアイコンにも設定し、今なお時折メッセージを寄越してくれる貴重な人々に「呼ばれてない」を振り撒いている(誰もそんなこと思わないだろうが)。なんと嬉しい。わかりました、もう誕生日を悲劇とはいいません。ぜひ来年もやりましょう。なんと浮かれポンチか。

ユキちゃん(左)との様子。花火が飴細工に刺さっている。

大人、誕パをやってみる

大人として当然、来たるユキちゃんの誕生日においても、お返しのサプライズを計画しなくてはいけない。ユキちゃんに誤解されたくないので書くが、これは義務意識によるものではない。念のため。

ユキちゃんへ、単に私だってやりたいのだよ。あの若さ溢れるノリを。店員との事前の密通を。そして花火付きのスイーツを。洋楽のハッピーバースデーBGMを。人とのリアルな繋がりが疎遠になる昨今に、他の客も一緒になって盛り上がるあの一体感を。

それでお返しに選んだのは渋谷の「#802 CAFE&DINER」。この店は誕生日サプライズのしきたりを徹底して重んじている。イケてる洋楽BGMに花火付きのデザートプレート。若くてノリの良い客も集う。

しかし道中、ふいに不安が襲った。

来年はどうするんだろう。この誕生日祝いは当初、ユキちゃんが先にやってくれたのだ。つまり先の年齢計算法が改正されて誕生日の概念をひっくり返すようなことがないかぎり、永遠にユキちゃんが先行だ。来年ユキちゃんが、「今年の手塚の誕生日はどうしよう、また祝いをやったほうがいいのかな」という答えなき問いに迷ったらどうしよう。

でも来年もやるねと言われる前から「来年はやらなくてもいいよ」と言えるわけもない。なぜなら大人だからだ。他の友達の時はどうだったか。やったりやらなかったりな気もする。どうしよう。

そんなことを逡巡していたら、プレゼントの包みを忘れたことに気付いた(取りに帰って遅刻した)。

義務意識を取っ払え

店についてからはユキちゃんとおしゃべりを楽しんだあと、計画通りの突発感のもと祝いが執り行われた。でかでかと流れる洋楽誕おめBGM。周りの客が釣られて拍手をする。

これです。これがやりたかったんです。ユキちゃんは若いノリにどこかポカンとしながらも大変喜んでくれた。

これです、これ!

同時に社会人を経験しマルチタスク性能を多少なりと高めていた私は心中「どうか来年も同じように祝おうとか義務意識を持たないでください」というようなことをどこかでユキちゃんに伝えなくてはと脳内CPUをフルに回転させていた。そしてしどろもどろに「つ、次は10年後にしよう」と出力した。

あれ、あながち悪くないのではないか。なんと戦略的か。義務感を取っ払えるのみならず、10年後の友情も約束できる。

「それいいね。でも10年後まで会わないのは嫌だから、誕生日じゃなくたって、いつでも会おうよ」

なんという大正解。うれしい。ユキちゃんかわいい。ビッグラブ。愛してる。感極まって「次はもう少し稼いでるだろうから、でかい花火を打ち上げよう」などとぼやいてしまったが、少し言い過ぎたと反省した。

この「10年後」も含めた誕生日パッケージを広めたい。素敵な店で、恥じらいを捨ててサプライズ。10年の友情付き。いかがでしょうか。お店はぜひ、#802 CAFE&DINERでどうぞ。(PRではない)

文責:手塚瞳
編集・ライター養成講座47期生。ウマの書記係。栃木県出身。東京都在住。慶應義塾大学文学部卒。中央競馬の石川裕紀人騎手への愛を綴ったエッセイで第15回Gallopエッセー大賞を受賞したことを機に書籍、ウェブメディア等に寄稿。NPO法人日本インタビュアー協会認定インタビュアー。Works


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