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呑気なノリで2日間

先日の夕方、浅草から日光へ向かう電車に揺られて、車窓から沈む夕日を眺めていた。
埼玉から栃木の辺りで空が開けて、夕景が綺麗だった。
そんな時間を持てたのは幸運だったと思う。
 
1月の最後に日光東照宮に行こうと思い切符を買った。
平日の真ん中に…と思う方もいるかもしれない。
申し訳ないです。
この時は個人事業主という立場を活用させていただきました…
 
理由は徳川家康さん(こんな呼び方でいいのかな?)と誕生日が一緒だったから。
簡単に言うとそれだけですが、去年、仕事でたまたま訪れた増上寺が徳川家の菩提寺という事を知り、そういえば家康さんは誕生日が一緒だったな…一度、東照宮にも行ってみたいな…それなら1月の末に行こう!
と何とも呑気なノリで決めてしまった。
 
参拝の前日はインスタグラム用に、いつも取らせてもらっているモデルさんに会い、近況報告をしながら1~2時間撮影して、日光に向かった。
到着したら日が暮れていた。
当初は30分ほど歩いて宿まで向かおうと思っていたけど、駅を出て何か嫌な予感がした。
18時でお店が閉まっている。
タクシーに乗り、運転手さんに話を聞くと、この辺りは16時に閉まるらしい。
いつもは素泊まりだけど、何となく食事付きの宿を予約して助かった。
 
宿も東照宮から徒歩5分のところにあり、旅館の方も気さくで有難かった。
料理も土地柄の一品が美味しかった。
近くには格式あるホテルもあったけど、ここで良かったかもと大浴場に浸かりながら、ぼんやりしていた。
翌日、開門に合わせて宿を出た。
空気は澄んでいて、いくつもある杉の巨木の間から朝日が差して、神々しく見えた。
 
表門と五重塔を見て煌びやかだなと思っていたが、陽明門を見た時、絢爛豪華という言葉がこれほどピッタリくるものはないだろうと思った。
もちろん仕事が細かいなとも思ったが、白に金が主となった配色の神社を初めて見た。
あの時代から考えるとかなりハイカラだったのかなと思う。
人から見れば「派手すぎる」という人もいるかもしれないが、個人的には好きだなと思った。
特に北面の柱の模様を未完にするために敢えて逆にこしらえて、完成したものはそこから崩壊が始まるという考え方は頷けるところがあった。
 
本殿から、さらに奥宮へ進んで、参拝した。
以前にも書いたが、いつも参拝の時は去年の感謝と今年の目標を伝え、努めていくのでどうかお見守りくださいと、自分の内で言葉にする。
今回はそこに「初めまして」と自己紹介をして「家康さん誕生日おめでとうございます」の謎のハッピーバースデイもしてしまった。
ご本人はどう思ったのだろうか…
 
帰りに宝物館により、そこで東照宮御遺訓を読んだ。
 
人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくが如し 
いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし 
堪忍は無事
長久の基 いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知てまくる事をしらざれば害其身にいたる 
おのれを責めて人をせむるな 
及ばざるは過ぎたるよりまされり
 
意味は、おおよそ次のようなもので
 
人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。
 
頷ける事が多いなと思った。
この御遺訓は家康さんが述べたものではなく、他の誰かが捜索したなど諸説あるが、良い言葉に違いはないと思う。
出会えてよかったと思っている。
 
帰りに東京駅で来週の撮影ルートのチェックをして帰阪した。
良い2日間だったと思う。
ちなみに歴史は苦手だった。
だから、徳川家康の知識も行きの電車の中でYouTubeで聞いただけなので、一夜漬けよりもひどいかもしれない…
 
当時、草原のような関東平野を領地として渡されて憤るのではなく、チャンスと捉えれた感覚は取り入れたいなと思いながら、日光からの帰りの電車で昨日の夕日を思い出していた。

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