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ギャンブルをする人としない人

年明けから、しばらく自分の頭の中でグルグル考える事が何故か多かった。
いろいろあったしね…
だから、今回は少し砕けた話を書いてみたいなと思った。
タイトルを見ていただければわかるけど、賭け事、ギャンブルをする人について自分の中で妙に思う話について。
 
まず率直に自分が、競馬、競輪、競艇、パチンコ、カジノ、これらのギャンブルをするかというと、まずしない。
どちらかというと苦手で、過去にもパチンコは2回したことがある。
1つは大学出てすぐに友人に連れられて。
もう1回は社会人になってから就職した会社の出張中に、同業他社の方に連れられて。
両方とも少し勝ったけど、特別興奮することもなかった。
その他でいうと競艇場、競馬場、競輪場は1~2回ほど行ったことがあるけど賭けてない。(場の雰囲気はなぜか好き)
カジノは行ったことがない。海外に行ったことがないので…
 
ギャンブルに対して嫌悪感があるかと言うとそうでもない。
ゲームや、勝負事として見るのは好きだけどに、賭けることに興味が湧かないのだ。
じゃあギャンブルをする人が理解できないかというとそうでもない。
人間だから欲があるし、生きていたら何かしらの刺激は必要だろうなと思う。
 
実際に僕がこの人好きだなと思う人は、皆何かしらのギャンブルをしていることが多い。
亡くなられた作家の伊集院静さんもそうだし、他にも何人かこの人いいな、面白いなと思う人がいるけど、皆ギャンブルをしている人が多い。
 
数学者のパスカルはギャンブルの借金が膨らんで修道院に逃げ込んで、紡ぎ車を見てルーレットを考えついて確率論など駆使して胴元が勝つように考え出して、修道院を潰したなんて逸話もある。
何回か破産した京大出身のプロポーカープレイヤーだっている。
ギャンブルはそれをやるかやらないかであって、人にとってはそれくらいの違いしかないのかなと思う。
恐らく知性に関係なく好きな人は好きなんだろう。

しょうがない人だな~と思うけれど、憎めない。
だからと言って、もちろんお金は貸さない。
胴元が勝つようになっているから、ギャンブルは産業として成り立っているのだろう。
だから貸したモノは返って来ないの普通。
 
それでも、本当にギャンブルをしたことがないのかな?と考えてみたら当てはまることがあった。
写真を仕事にしている事だ。
いつか書いたかもしれないが、衣食住みたいな生活必需品の産業ではないし、不安定極まりない業種であると思う。
あの時はこの職業しかない!と思ってすべてを賭けたが、今思えばなかなかギャンブルだったな~と思う。
それでも自分がこれならやっていけるのではないか?と考えた中では一番高確率だったけどね…
何とかフリーランスで10年続けれているから、少しは当てたと思う。
でも、当て続けないと意味はないのだけどね…
だから毎年いろんな神社やお寺にお参りにいくのだろうか?
でもスガっちゃダメだけどね。
 
それでもギャンブルをやらないのもな…と思うこともあって最近ロト7をはじめた。
1週間に1000円行かない程度に買っているので、まだお財布にはやさしいのかもしれない。
やってみてどうか?
もちろん当たらない。
当たれば10億円らしい。
 
何回かやっているうちに、あることを考えるようになった。
 
賭ける前に、まるで未来を推理するように数字を選んでいる時が一番面白いのかもしれない。
なので10億が当たった時、その瞬間は嬉しいかもしれないけど、何か虚しさが襲ってくるのではないか?
そう思うと当たらない日々が続くのは幸せなのか?
 
文句を言いながらまた買ってしまう。
こうして人はハマっていくのだろうか?
これはギャンブルをする人の気持ちが少しわかったのだろうか?
もし少しでもわかることができたのなら、それはラッキーだったのかもしれない。

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