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フワッとしている

今週はもう一本書いている。
先週遅れた分を、そのまま遅らせても良かった。
それにもっと不定期にすることもできたけど、違う気がした。
下手な文章だな~と思いながら毎度書いているけど、それでもいいから積み重ねる事が大切だと思っている。
この何とも言えない文章のようなモノを本人は下手は下手なりに書こうとしている。
国語の成績はずっと2の辺りをうろうろするくらい苦手だった。
これを書いている本人が一番不思議に思っている。
危機感を持つことは大切なのかもしれない…
 
趣味でも仕事でも写真を撮っている。
仕事にしようとしたのは、今から17年も前のことになる。
30歳までに形にならなかったら辞めようと思っていた。
でも他になれるものがないと30歳の直前で気付いて(結構鈍い…)フリーランスになった。
フリーランスになって11年が経つ。
楽ではなかったが、思ったより続いているなと思う。
 
よくこんな質問をされる。
「写真が上手に撮れるコツはありますか?」
いつもこの質問に困るし、そんな近道があるなら教えてほしい。
 
ただその答えの方向は自分の中では2つに分かれると思う。
それは技術的な事と感性的な事である。
 
技術的な事でいえばひたすら勉強すれば身につく気がする。
例えば目的とする写真を分解して、構図、光の入り方、色身、崩し方などを見ていく。
あとは真似をして何が違うのか?何が近かったのか?
いわゆる準備、実行、反省、考察を何度もすれば自分の写真はステップアップすると思われる。
質と量を同時に行うようなことかもしれない。
 
感性的な事の方が難しく感じる。
自分と向き合うことも、他者と向き合うことも大切になってくる。
対象との関係性がどうあるのか?自分はどんな時に衝動に駆られるのか?どんな世界観が好きなのか?
自分で書いてもわからなくなるくらいフワッとしている。
でもこれも自分が触れたモノの量と質が大切なのかもしれない。
どんな過去を歩んできたのか?それを知って何を感じたのか?
様々な経験がその人を作り、撮った写真にその人が現れてくる。
写真を見るとその人がわかると言われるが、間違いではない気がする。
だから人間性がどうあるかが作品に影響する。
それは良くてもいいし、悪くてもいいと思う。
それぞれ突き詰めていけば、その方向の写真になっていく。
中途半端が一番遠のく気がする。
 
ただ突拍子もない事を言うと、この両方鍛えれる媒体があるように思う。
それが映画である。
僕から見て写真が上手だなと思う人は映画をたくさん見ていた。
有名な作品から、知る人ぞ知る作品まで幅広く見ている。
これが理由だと断定する事はできないけれど、何かあるような気がしている。
 
書いたものを振り返ると「質と量」と「幅の広さ」が大切なように見える
それをコツといえばそうなるのかもしれない。
それを「辛い…」と思わず「面白い!」と思えれば上達するのかもしれない。
 
やはり明確なことは書けなかった気がする。
それくらいこの答えはフワッとしていて難しい…

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