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【千田琢哉の頭脳】Vol.0440(2010年4月19日発行のブログより)

私は読書が大好きです。注目のベストセラーにはたいていすべて目を通していますし、インターネットからの情報収集も大好きです。ところが会社では「もの知り」「便利屋」として利用されてもなかなか「デキル人」という評価を受けることができません。会議などでも「詳しいね」「よく知ってるね」と褒められますが、部署全体の決定打になるようなアイデアが出せたことが今までに一度もないのです。それどころかたまにベストセラーに書いてあることをそのまま試して相手を不快にしてしまう始末です。このまま膨大な情報量を吸収し続けていけばいずれ質に転換する瞬間がやってくるという、これまた過去に読んだ自己啓発書に書いてあったことを信じてもいいのでしょうか。

(福岡県・会社員・Iさん・男性・27歳)

最近特に感じるのは、

「ごめんなさい」

のタイミングが悪い人、言わない人が増えてきているな、ということです。

これは単なる礼儀知らずということを言いたいのではありません。

もっと深い学びがあります。

私が会社にいた頃、新人が迷惑をかけた際に注意を受けて
「ごめんなさい」と言うべきところを「ありがとうございます」と言って
酷く違和感を覚えたことがあります。

「ごめんなさい」

のところを、

「(お叱りいただいて)ありがとうございました」

と言うほうが前向きであり、変にポジションを下げなくても済むという
内容の自己啓発書を過去に何冊も読んだことがあったから
なおさら不快に感じたのかもしれません。

私は謝るべきところはそのまま「ごめんなさい」と言わなければならないと
思います。

「ごめんなさい」と言うべきところを別の言葉でごまかす人とは
一緒に仕事したくないな、と思います。

今、巷にマナー本やビジネス書、テクニック本が溢れかえっていますが、
大半が過去の焼き直しです。

究極すべてのビジネス書はデール・カーネギーシリーズから
発生したのです。

良本の共通点は画期的な新しい知識が含まれていることではありません。

それだったら週刊誌や新聞、テレビ報道にどうあがいても
スピードで負けてしまいます。

良書の共通点は当たり前と見過ごしがちなものごとを
新しい見かた、光の当てかたをしたということです。

次代を創っていくのは、知識のある人ではありません。

当たり前のことを当たり前の見かたをしなかった人なのです。

トイレットペーパーから宇宙を語れる人。

野菜サラダからITを語れる人。

りんごから万有引力に結びつけられる人。

こういう人が次代を創っていく人です。

このように当たり前を大切にしていくことによって
次のステージに上がっていくのはどんな分野でも共通のことだと思います。

日本人はあやふやな表現をよく使うから、
国際化では顰蹙(ひんしゅく)を買うと非難されます。

でもその微妙なニュアンスや奥ゆかしさを理解できないのは
逆に世界が遅れているという考えかたもできます。

本来「ありがとう」と言うべきところを「すいません」という表現を使う
奥ゆかしさもアメリカ人にはとても理解できません。

英語では明確に、

アイムソーリー≠サンキューべリマッチ

なのです。

冒頭の事例に別の光の当てかたができることに気づかされます。

「ごめんなさい」のところを「ありがとうございます」と言うと感じ悪いですが「ありがとう」のところを「すいません」と言うと奥ゆかしいのです。

これはテクニックではなくて光の当てかたの違いであり、気づきなのです。

今一度、上っ面の知識やテクニックではなくて当たり前を大切にして
光の当てかたを変えてみることがこれからの日本には
大切になってくるのではないでしょうか。

...千田琢哉(2010年4月19日発行の次代創造館ブログより)

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