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【千田琢哉の頭脳】Vol.0141(2009年6月24日発行のブログより)

千田さんはやっぱり学生時代から国語力がすごかったのでしょうか?私も10年ほど前から日記をつけていますが、毎日数行の日記でも大変なのに、これだけの分量の文章を書かれるのが不思議です。毎日違う話題でどのようにして次から次へとアイデアが思いつくのでしょうか?

(大阪府・生命保険販売員・Tさん・男性・38歳)

Tさんのおっしゃる通り、私の国語力は学生時代から突出していました。

他を寄せ付けないものがあり、恐れられてもいました。

高校時代の通信簿でいえば、毎回

でした。

5段階評価ではありません。

10段階評価で2です。

こういう話をすると、いや、1が一番いい高校だったんでしょ、とか、
順位と間違われますが、残念ながらそうではありませんでした。

10が最高で1が最低で、1を取得すると留年でした。

国語のテストになると、1行目から読解ができません。

今だから冷静に自分のことを見ることができるようになったのですが、
おそらく国語の読解力は小学校3年生か4年生レベルで停滞しており、
そのまま高校に入学してしまった感じです。

想像しやすいと思いますが、小学校3年生が高校の国語の文章を読めと
言われても、まったく太刀打ちできません。

ところが、親や学校の先生はとにかく本を読めと言ってきて、
たいへんな苦痛でした。

本を読めと言われても、そもそも理解できないのだから、
これは一種のいじめです。

ただ、今ではまったく役立っていませんが、数学と物理は好きでしたから、授業中の雑談でアインシュタインがスイスのチューリッヒ連邦工科大学を
受験して失敗している話や、エジソンが不登校だった話を知って、
勇気づけられる単純な人間でした。

物理の授業でE=mc²を習ったときの感動は今でも忘れません。

このシンプル極まりない公式は、物理を勉強しているだけでは
絶対に導き出すのは無理で、あぁ、この世界で自分に残された道は
もうない、と瞬時に教えもらいました。
※意外に諦めも早い(笑)

また、テレビで有名な作家が出ていて、
「高校時代の国語の成績はいつも2だった」と話しているのを見て、
「オレも将来こうなるんだろうな、
今の教育制度では自分の才能を開花させるのは無理だ」
「問題が悪いんだ」と友人に吹聴して相手にされていませんでした。

ただ、周囲が一生懸命にがんばっている最中には
まったく勉強しませんでしたが、大学入学以降の人生は
よく勉強させてもらいました。

普通は入学前にがんばって終わるのが日本人の特徴ですが、
私の場合はアメリカ人にも負けないくらい、
入学後、卒業後こそ勉強したと思います。

30歳頃だったと思いますが、本屋さんで冗談で大学受験のセンター試験の現代文の問題を立ち読みで解いてみたら、スラスラ本文が読めて、
いっさい迷うことなく全問正解できましたから、
やっぱり、問題文は悪くありませんでした(笑)

確かにたくさんの本を読んできましたが、
私が学んだのは、それらから知識を得たのではなく、
1つのものごとを見たときに多くの解釈ができるというものごとの
本質だったと思います。

同じ現象を見ても、マルクスとキルケゴールとプラトンとスピノザと
カントとデカルトでは解釈がまったく違ってきます。

多くのアウトプットをするためには、
多くのインプットをするだけではだめで、
多くの解釈をできる複眼的な思想模写をすることが早道でした。

思想模写というのは、難しい話ではなくて、その人になり切る、
ということです。

ニーチェならこの問題をどうやって解決するだろうか、
ハイデガーならどんな解釈をするだろうか、
と勝手にその人になったつもりで考えてみると、
たった1つのものごとを見たり、たった1回の経験をしただけで、
いろいろな発想が生まれてきます。

当たり前ですが、いくら真似しようとしても、
真似などできるはずがなく、自分の個性が滲み出てきてしまうものです。

しかし、そうやって成長していくのではないでしょうか。

...千田琢哉(2009年6月24日発行の次代創造館のブログより)

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