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【千田琢哉の頭脳】Vol.0292(2009年11月22日発行のブログより)

ちょっとしたメールのやり取りや仕事上での交渉で私はすぐにけんか腰になってしまうという欠点があります。いつも穏やかにしようと努めてはいるものの関係が気まずくなってしまうことが多く、後悔の連続です。周囲には私以上にストレートに口に出す人もいますが、私ほど嫌われてはいないと思います。何が私に欠けているのでしょうか?

(兵庫県・会社員・Oさん・男性・29歳)

究極は孤独に野たれ死んでもいい、
という覚悟があれば最強だと私は思っています。

日本ではにわかに信じがたいこうした考え方も、
国によってはそうした覚悟ができている精神的に
安定した民族もたくさんいます。

死んだら皆、神に近づけると完全に信じ込んでいるわけです。

こうした国では日本の常識など一切通用しません。

社会人として生きていく上で常識は欠かせないものですが、
同時に行動力の手かせ足かせになることもあります。

思い切ったことができない理由の一つに、
そんなことを言ったら(やったら)嫌われてしまうのではないか、
という恐れがあります。

ここでOさんにプレゼントがあります。

それは気を使おうが使わまいが好かれる人は好かれるし、
嫌われる人は嫌われるという事実です。

これは様々な組織のコンサルティングで社内の人間模様を
否が応でも見てこざるを得なかったプロの私が断言します。

ある地方では行儀作法のコンサルタントの方が、
そもそも裏でボロクソに言われていたり、
自分で一目置かれていると思っている社外の団体で
最も嫌われ者であった、という笑うに笑えない事実があります。

一見、顰蹙を買うような人、本音の多い人と言うのは
悪役ではありますが悪人ではないことが多いのです。

私がまだ小学生の頃総理大臣をしていた故・中曽根康弘さんは
非常に本音の多い総理大臣でした。

小学生ながらにして思っていたのは、
現役時代は周囲からボロクソに言われることが多い割には
何だかんだ言って一目置かれているな、ということでした。

決定打は実力に裏付けられた軸を持っているか否かです。

嫌われたくないな、というエネルギーは
本能的に誰もが持っているものですが、
逆に利用されやすい罠でもあるのです。

結構優秀な人なのに、この嫌われたくないエネルギーによって
消えていく人は意外に多いのです。

究極の軸とはたとえばこういうことです。

仮に死んでも死ぬときは人間誰もが独り。

自分の葬儀に何人来てくれるだろうといった
スケベ心を拭えば、怖いものなどないのです。

葬儀に何人来てくれるのか、を気にする人は
いかに自分がせこい人生を送ってきたのかを後悔している証拠です。

生まれてから本当に自分の命に代えてでも守りたいと思えるような愛を
経験したことのあるか否か、それだけです。

一度でもそんな経験をすると、
葬儀の参列がいかに無意味なことなのかがわかってきます。

これを認識しておくだけでも人生の意味が
大きく異なってきて充実するのです。

成功したか否かではなくて、やり残したことがなかったか否か、
がすべてです。

現在非難ごうごうでも、10年経つと価値観の半分が入れ替わり、
100年経つと大半の価値観は大きく変わってしまいます。

Oさん、人類は案外いい加減なものです。

...千田琢哉(2009年11月22日発行の次代創造館ブログより)

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