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コンセントレーション的風呂

そういえば、みたいなお話。

アイデアがほしいとか、書こうとしたことをどんな風にまとめようかとか、それらの答えを出す時に決まった湯船の浸かり方をしていた。

なんだか最近そんなことをめっきりしてなくて、またいつかやってみようかなと思う時が来るんだろうけど、当時を思い出しがてら書いていきたい。

とは言っても、特別なことは全くしていないのでハードル下げて下げて。

 お風呂に浸かりながら天井をじっと眺めてまずは体を温める。その後は座ったまま姿勢を低くして頭を沈める。

目を瞑り、暗闇の中であらゆる外界の音は不明瞭になる。やがて自分の心臓の音に気が向いてくる。息を止めているので、時間の経過と共に鼓動のペースが緩やかになっていく。

ああ、心臓が、ゆっくりだなぁ。

残念ながらそんなことを感じている暇はあまりない。

次第に頭の中で考えられる内容が少なくなっていく。おそらくは酸素が少しずつ不足し始めている状態だろう。僕はよく悩み症とか気にしすぎとか言われるタイプなので、普段から余計なことばかり考えて集中することが下手なんだと思う。

そんな僕なので、こうして考えられる事柄の母数を減らすことが集中がしやすかった。

この行為を一回するごとに、アイデアがちょっとずつ前に進んでいく。潜る度に書きたいことが固まっていくので、楽しくもなってくる。一種のハイかもしれないが。

体力的に潜るのが疲れたら、顔面と水面を平行にする(天井を垂直に見上げる)ようにして耳だけをお湯の中に浸ける。息が続くので考え事のベクトルを変えたり、思考を整理したりと割と冷静になれる。

そんな潜水を繰り返して高まったコンセントレーションのおかげで、固まったアイデアは脳に焼き付いてギラギラと光を放っている。だからすぐには忘れないのだが、十代の頃は高揚感からバスタオルを巻いたままキーボードを打ち出したこともあった。

最後にそんな目的で湯船に浸かったのはいつ頃だろうか。たぶん二年以上は前のこと。

勢いで書いたので見所も何もないけれど、かつて良く実践していたことだけあって、確かな記憶を書けたことだけは言えそうだ。

それにしてもこいつの風呂は、なんとも狂ってやがる。

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