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ふねんてなん

お腹が空いたときに食べるご飯っておいしい。

体を使って疲れたときに布団で眠るのは心地良い。

ごく普通なことだけど、ここ最近は特にそうで、幸福感が湧いてくる。

僕はその理由の一つに思い当たることがある。

「今までそれを認めてこなかったから」と。

 ひねくれ者とか、へそ曲がりとかって良く言われてきた十代を過ごしてきた。

そのことが大きく関係してたんだなと思う。

ご飯を食べて幸せ、そんな単純なことで喜ぶのは格好悪いだとか、何も考えてないみたいに思われることを異様に怖がって、今思うと一体どこにそんな必要があったんだろう。

原因があるとすれば過去のどこかで、幸せを感じた後、もし嫌なことが起こったときの悲しみの落差に、多少なりともトラウマがあったのかな。

今は素直に喜んで、素直に考えるように心がけている。

空腹時に食べるご飯は、本当にメニューは何でも良い。ただ口に入るもの全てが美味しくて幸せだ。

幸せを具現化して食べてるんじゃないかと思うほどに、味覚を通して顔が綻ぶ。

散歩しようとして電車で普段降りない駅に行くと、気がついたら何時間も歩き回ってることがある。

そんな日は帰宅してシャワーを浴びて、お茶を飲んで布団に入る。スマホに充電器を挿したら思い残すことなく眠る。

意識が遠いていくとき、まるで脳がきゅーっと小さくなっていくような感覚がする。

それか、つむじに糸を通して中からゆっくり頭を持ち上げられるような浮いた感じ。

今まで素直に喜べなかったから、感謝したことも例えたこともなかったこれまでの自分に少しもったいなさを覚える。まあ、それもそれでいっか。

素直に認めた僕は、小さな幸せを集めては漂うように生きている。

「ふねんふねん、てなんてなん」だ。

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