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人間が「比較」するのは自然なこと⇨変える努力より、自然体のままで乗り越えたい

今回は、初のこころみ。

インスタのフォロワーさんたちに、普段感じているモヤモヤや生きづらさ、お悩みを募集したところ、沢山のメッセージをいただきました。

私はライフコーチでもなんでもないけれど、私自身も葛藤しながら生きているからこそ、人間らしい弱さを気軽にシェアできて、一緒に考えたり助け合えたりできる“居場所”を目指して、noteで新企画をスタートします💡

本日のメッセージ

「人と比べても良い事ないって分かってるけど、比べちゃいます。勝手に気を使いすぎて疲れます」

💭他人と自分を比較してしまう

ただただ、すごく共感。心がずーんと重くなって、つらいよね🥹

私も、すぐ他人と自分を比較してしまうクセがあるし、相手から明確に要求されたわけでもないのに、過度に顔色をうかがって気を使ってしまう…そして、ふとしたときに抱え込んでいたものが爆発して、涙が止まらなくなる😢

まずは、他人と自分を比較してしまうことについて考えてみようと思う。

他人と自分を比較すると、「自分は劣っている」と感じて自己評価が低くなるだけじゃなくて、比較してしまう自分自身に対して嫌悪感がつのってしまうことってあるよね。

でも、ひとつ私にとって救いになった事実があるの。

母に勧められて、今ちょうど読んでいる『考えすぎない人の考え方』(サンクチュアリ出版)という本に書いてあったことなんだけど、

「人は、正確な自己評価を得るために社会比較をする」

『考えすぎない人の考え方』

ということ。社会で効率よく生きるために備わった“便利な機能”のひとつだそう。

つまり、他人と自分を比較する⇨人間だったら誰もがあたりまえに行う自然な行為。決して、自分だけが劣っているとか、弱いとか、ダメな人間とか…そういうことではないということ。(ホッとする🥹)

その事実さえしっかり理解していれば、自分に自信がない部分があってもいいし、他人と比較して落ち込む日があってもいいと思う。「比較」という人間の自然な行為を無理に制御しようとすれば、かえって辛くなる…😢

だから、「人と比べても良い事ないって分かってるけど、比べちゃう」⇨そんな自分も人間らしいなぁと自分で自分をよしよししてあげるとか、あまりに辛いようだったら情報すべてから離れてみるとか、

比較してしまう特性を変えようとするよりも、なるべく自然体のままで乗り越える方法を、私は試すようにしています🌿

💭勝手に気を使いすぎて疲れる

これも、涙が出そうなほど共感できます🥹

その場で起きてることを瞬時に察知できる人や、相手の些細な表情の変化に気づく人などは、独自の判断で気を使ってしまう機会が多いと思います。

場の空気を壊さないように
相手が嫌な思いをしないように

誰かに要求されたわけではなくても、“よかれとおもって”その場では利他的に行動する。でも、気づけば必要以上に色んなものを背負っていて、ある時を境にネジが外れたように爆発してしまう…そんな経験が沢山ありました。

外で無駄に気を使ってすり減った心のせいで、ほんとうに大切な友人や家族には優しくできず、八つ当たりしてしまうなんてことも。

「利他」って言うと聞こえはいいですが、もしかしたら、単に他人から評価されるのが怖かっただけなのかもしれません。

評価されるのが怖いから、必要以上に他人に気を使って、透けて見える相手の要望に合わせ続けてしまう…それで私は、ほんとうの自分が分からなくなって心身の体調を壊したことがありました。

優しさから生まれる利他的な意識によってなのか、単に評価されるのが怖いからなのか、何が気を使う大きな要因になっているのかは人によって異なると思います😌

ただ、ひとつ言えることは、理由もなく涙があふれたり、心身がどっと疲れてしまうのは、自分が自分に「私を見て!」と叫んでいるSOSです。きっと、そこが限界の合図なのだと思います。

私の場合は、

たくさん泣いた後はしっかり睡眠を取る
疲れを感じたら一時的に対人関係を遮断して自然にふれる

など、リカバリーを大切にして、なんとか乗り越えてます🥹

まだまだ私も向き合っている途中なので、同じ悩みを抱えている人がいるという事実を実感するだけでも救われました…ありがとうございます♡

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