(童話)ルルと螺旋と虹の橋
螺旋でできた世界がありました。その世界の中央には、長い長いどこまで続くともしれない銀色の螺旋階段が立っていました。
空はいつも曇りで鉛色の雲がおおっていたので、どれだけ目を凝らしても階段の頂上は見えませんでした。そして地上では、草一本生えない荒涼とした大地が、気の遠くなるほど果てしなく広がっているのでした。
この螺旋の世界では、人々は背中のゼンマイで動いていて、飢えることも乾くこともありませんでした。だからここでの人々の仕事は螺旋階段をのぼることでした。それしか、することがなかったからです。
ゼンマイが切れて動かなくなるその日まで、人々は一生果てない螺旋をのぼり続けるのでした。
螺旋の世界に、一人の少女がおりました。名前をルルといいました。彼女もまた、螺旋階段をのぼり続ける人々のうちの一人でした。
ルルは自分の生まれも知りません。気付いた時には乾いた大地にひとりぼっちで立っていて、目の前には果てない螺旋階段がそびえ立っていたのでした。
何も知らないルルですが、たった一つ願いがありました。ルルの願いは螺旋階段の頂上の景色を見ることでした。誰も知らない螺旋の先に何があるのか、どうしても知りたかったのです。
だからルルは、今日も螺旋階段をのぼり続けます。かわいらしい、二つのおさげをユラユラ揺らして。
ある日、ルルがいつものように階段をのぼっていると、上から降りてくる青年に会いました。緑の髪をした青年は、せいせいした様子で降りてくるのでした。
彼女は青年に尋ねます。
「どうしてあなたは、のぼらないのですか?」
青年は答えます。
「だって、頂上なんていくらのぼったって着かないじゃないか」
「でも、いつかは着くかもしれません」
そう言うルルを、青年は何て哀れな子どもだという目で見ます。
「いつかって、いつなんだい? 一生着かないかもしれないだろう? そんなわからないことに時間をかけるなんて無駄だよ。僕は、この階段を降りて地上で暮らすんだ。仲間たちと一緒に楽しくおしゃべりをしたり、ダンスをしたりして過ごすんだ。のぼり続けるより、そっちの方がずっと楽しいだろう?」
ルルは少し考えてからうなずきました。
「そうですね」
そうしてルルはまた、階段をのぼり始めました。まだまだ頂上は見えませんでした。
青年がその後楽しく暮らせたのかどうかは、ルルにはわかりません。
ある日、ルルが少し疲れたのでゆっくりと階段をのぼっていると、上から降りてくる女の人に会いました。長い髪の女の人は意気揚々と、嬉しそうに階段を降りてくるのでした。
彼女は女の人に尋ねます。
「どうしてあなたは、のぼらないのですか?」
女の人は答えます。
「だって、頂上なんていくらのぼったって着かないじゃないの」
「でも、いつかは着くかもしれません」
そう言うルルを、女の人は馬鹿にしたように鼻で笑いました。
「そもそも、本当は頂上なんてないのかもしれないわ。だって誰も知らないんだもの。そんなことより私、こんな噂を聞いたの。ここを降りて地上をしばらく行くと、乾いた土を耕して、花の種や木の苗を植えている人たちがいるんですって。私はその人たちの仲間になることにするわ。この地上に、素敵なお花畑をつくりたいの。空の上を目指し続けるより、よっぽど堅実でしょう?」
ルルは少し考えてからうなずきました。
「そうですね」
そうしてルルはまた、階段をのぼり始めました。まだまだ頂上は見えませんでした。
女の人がお花畑をつくり出せたのかどうか、ルルにはわかりません。
ある日、ルルが軽い足取りで階段を上っていると、途中に座り込んでいるおじいさんに会いました。おじいさんは疲れた顔で、力なく座っているのでした。
彼女はおじいさんに尋ねます。
「どうしてあなたは、のぼらないのですか?」
おじいさんは答えます。
「だって、頂上なんていくらのぼったって着かないじゃろう」
「でも、いつかは着くかもしれません」
そう言うルルに、おじいさんはため息を漏らしました。
「いつかは着くのかもしれんが、わしに残されたゼンマイの時間では難しい。いつ着くのかも分からずのぼり続けて、わしはもう疲れたよ。もうすぐ死ぬまで、ここでじっと座っていることにするさ。のぼり続けるより、そうする方が楽じゃろう?」
ルルは少し考えてからうなずきました。
「そうですね」
そうしてルルはまた、階段をのぼり始めました。まだまだ頂上は見えませんでしたが、少しだけ空が近くなった気がしました。
おじいさんがその後どうなったのか、ルルにはわかりません。
いったいどれだけのぼったでしょうか。ある日とうとうルルは、階段の先が雲の中へ吸い込まれているのを見つけました。きっとあの雲の上に頂上があるのだと思い、ルルは嬉しくなって駆け出しました。
雲の中に入ると、ひんやりと心地よい感触がしました。ふわふわの優しい雲たちは、ルルをそっと包み込むのでした。
厚い雲を抜け、雲の上に出ると、階段はそこで途切れていました。そっと足を踏み出すと、そこはもうふんわりとした雲の上でした。
雲の地面と、その上の抜けるような青空が、どこまでもどこまでも広がっていました。ルルは頂上まで来れたことを、とても嬉しく思いました。
その時、ルルの目に飛び込んできたものがありました。果てしない雲の地面の少し先に、今度は雲でできた螺旋階段が、高く高くそびえ立っているのを見つけたのでした。ここは本当の頂上ではないのだと、ルルはようやく気付きました。
ルルはとても悲しくなりました。やっとたどり着いたと思ったのに、それが本当の頂上ではなかったというのですから。
彼女は悲しみのあまり泣き出して、その大粒の涙は、雲をこえて地上へと落ちていきました。ルルにつられて雲たちも泣き出し、彼らの涙はともに乾いた地面へ降り注いで、小さなせせらぎを作りました。
涙が降り注いだ場所からは、赤いかわいらしい花や青々とした草木が生えてきて、人々は地上が美しくなったことをとても喜びました。
でも、雲の上でそんなことは知らないルルは、いつまでも泣き続けるのでした。
泣き続けてどれだけ時間が過ぎたのか、ルルにはわかりません。けれど、気が付くといつの間にか隣に見知らぬ少年が立っていました。空と同じ色をした、綺麗な髪の少年でした。
少年はルルに尋ねます。
「きみはどうして、のぼらないの?」
ルルの目から、再び大粒の涙がこぼれ落ちました。
「だって、ここは頂上ではなかったんだもの。あんなに頑張ったのに、まだ頂上ではなかったんだもの。これ以上のぼり続けることなんて、もう私にはできない」
ルルの言葉は止まりませんでした。
「こんなことに意味はないわ。のぼることなんてせずに、楽しく暮らした方が楽しいの。地上の土を耕した方が堅実なの。何もせずにいた方が楽なの。螺旋階段なんて、同じ所をぐるぐる回っているだけ。いくらのぼったって、どこにもつかないんだわ」
少年は少し考えてから答えました。
「じゃあ、一緒に行こうよ」
ルルは驚いて顔を上げました。
「一緒、に?」
「そう、一緒に行こう。それなら、まだのぼれるだろう?」
ルルは、なぜ少年はそんなことを言うのかとても不思議に思いました。すると、少年は少し恥ずかしそうな顔をしました。
「僕は、君の少し後ろからずっと君を見ていた。君はいつも上だけを見てのぼり続けていたから、僕のことは目に入らないだろうと思って、声をかけることはできなかった。だから僕ものぼり続けて、いつか君に並べば、君に気付いてもらえるだろうって思っていたんだ」
少年の言葉にあんまり驚いたルルは、いつのまにか泣き止んでいました。
「でも、君の後ろでのぼり続けるうちに、僕も頂上を見てみたいって思うようになったんだ。螺旋階段は確かに同じ所をぐるぐる回っているだけかもしれないけど、きっとその先はどこかに繋がっているはずだよ。ここでさえこんなに綺麗なのだから、頂上はきっともっと綺麗だよ。僕は、その空の彼方を見たいんだ。君もそうだろう? だから今までずっとのぼり続けていたんだろう?」
だから、と少年は真っ直ぐな目でルルを見ます。青空の映った、澄んだ綺麗な瞳でした。
「僕の名前はルカだよ。ルル、一緒に頂上を見に行こう」
ルルはにっこりと笑って、ルカの手を取りました。嬉しさからこぼれ落ちた涙は、地上へきらきら舞い落ちて、小さいけれどとても美しい七色の虹を架けました。
そうして二人は手を繋いで、雲の螺旋へと消えていきました。
ルルの架けた美しい虹を見た地上の人々は、空へと吸い込まれる虹の先を、見たいと願うようになりました。
そして再び、たくさんの人々が螺旋の頂上を目指し始めました。その中には、下へ降りていった青年と女の人も、座り込んでしまったおじいさんも混じっていました。
たくさんの人々が雲の上を目指し、空の世界を知りました。そして彼らはルルとルカと同じように、今度は雲の螺旋の上を目指すのでした。
虹のわけを知りたいと雲の上を目指した彼らですが、それはすぐに皆の知るところとなりました。雲の上に降り立った人々は、皆透き通った青空の美しさに涙を流し、地上に小さな虹を架けていったのです。
たくさんの人々が涙を流し、たくさんの虹が架かりました。小さな虹は少しずつ少しずつ繋がって、そしてとうとう、地上と雲の上を結ぶ大きな大きな虹色の橋となりました。
そしてそれと入れ替わりに、役目を終えた地上の螺旋階段は、ひっそりと虚空に溶けるように消えていったのでした。
その後の、始まりの二人の行方は誰も知りません。けれど、雲でできた螺旋階段には、二組の並んだ足跡がどこまでもどこまでも続いていたということです。
そしてある日、きれいな雫がきらめきながら地上へ落ちてきて、ひときわ大きな虹を架けたということですが、その意味を知るのはやっぱり二人だけなのでした。
やがて、螺旋の世界は虹の世界と呼ばれるようになるのですが――その話はまた、別の機会といたしましょう。