タナトスはこの窓を蹴って

幸せというものは、ひどく遠くなってしまった。
10代の頃はまだ自分がどうすれば、どうなれば幸せなのかを分かっていたように思う。
いつからか手段が目的に成り代わって、幸せが隠れんぼを始めて、それが隠れんぼなんかではなくて出奔だったと気付いたのは、手遅れになってからだった。
既に手の届くところに幸せはなく、ふんぞり返った諦念が代理でやってきた。

お前なんか要らない、と言うには私の手には何もなかったし、今もない。
だから隙間を埋めるように諦念は居座り、追い出せないまま数年が過ぎた。
こいつは普段は大人しく昼寝なんかしているくせに、時折目を覚ましてささやかな安寧を笑っては私の頭をぐちゃぐちゃにする。
生きていても仕方ないの、分かってるよね?と如何にも優しい顔で訊ねるのがたまらなく嫌いだ。
そこに、今よりマシな何かがあるように思えてしまう。
生きるのを諦めた先に、何かが。

愛されている自覚は、常に私を蝕む。
愛されているうちは生きていたらいいんじゃないかと思うこともある。
けれどそんなことを言っていたら私はたぶん一生死ねないのだ。
それこそ誰も私のことを知らない土地に行くなどしないと。
でも結局私は家族が好きで、友達が好きで、まあ、それだけなのだけれど、だから彼らと絶縁するように死ぬのは恐ろしいと思う。



一年程前に知り合った人で、死にたいと言う人がいた。
自殺するための道具も買って、家庭を持つ願望もなく、いつ死んでもいいというような。
それを知ったのは最近だ。
以前会ったときは……というより最近会ったときでさえ、彼はとても明るくて人柄も良く自殺願望のある人のようには見えなかった。
だから彼の口から「死にたい」のだと聞いた時、私は心底驚いた。
私の周りに居た(あるいは居る)男性は、誰も彼も悩みを持っていて、それでも死にたいとは言わなかったからだ。
歪んだ仲間意識が芽生え、私は彼に「仲間じゃん」と言ってハイタッチをした。
私はきっと、私と私の友達以外の自殺志願者を認めていなかったのだろう。
つまり、自殺志願者などそうそういないと思い込んでいた。
彼の存在は僅かに私の意識を変えた。
少なくとも西日本にも自殺志願者はいるのだということを知った。
そしてそんなことに、私はひどく安堵したのだ。
死にたいのが自分と身内だけでなくて良かったと思った。
生きづらいのが私たちだけでなくて良かったと。
嬉しいと思うのはおかしいのかもしれなかったけれど。

私たちは何によっても癒されず、ただ解放を求めている。
それが独りではないだけで、皮肉なことに、生きていけるような気がした。
死にたいねと笑い合って、生きていけるような気がした。

諦念が私たちを引き摺っていく。
私たちが私たちを引き留める。

そうしていつか、タナトスはこの窓を蹴破る。

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