見出し画像

当事者でいることに疲れた私は「福祉サービスの利用者を辞めました」

4月8日。
昨年末に入居したグループホームから引越して、一人暮らしを再開し、福祉サービスの利用が終了しました。

長かった。初めての心療内科受診から約7年。本当に長かった。

私が福祉サービスは もう使いたくない と思った理由を書いてみようと思います。

支援者さん達 と 利用者 って対等?
こちら過去記事になります。併せてどうぞ。

Sena. 過去記事

私は自分が当事者でありながら、支援者さんの話や支援者さん向けの本や話を聞いてきました。それで凄く引っかかることもなく、そんな風に考えてもらってるんだなぁ〜支援者さんも大変なんだなぁ〜私も自分にこうしてみようかなぁ〜 と考えてました。

でも、最近ふと思ったことがあります。「利用者さんに〇〇してあげましょう」とよく聞くけど「してあげる」ってなに?
・・・これだけを聞くと、そんなに引っ掛からなくても…って思う方もいるかもしれないけど、私の考えを もう少しだけ聞いてほしい。

支援してもらうのって 疲れるのです。

よく介護の話で「人間の尊厳が〜」という話を聞くのだけど、それは精神疾患、普通に生活していたのに突然うつ病になった という人にも当てはまるのかも という話をしてみます。

これは 私の経験した7年間のお話です。
(支援してもらうことにマイナスの感情を持たない方がいることも 前置きしておきますね…!)

役所の福祉課で「ちょっと理解できないわ」と言われて、「すいません ややこしくて」と笑ったこと。
通所の施設で「まぁー(手続き等)出来なくはないだろうけど」と言われて、「お願いします…!」と頭を下げたこと。
正直に話した事情を「Senaさんはそうかもしれないけど、こっちも事情があるから」とため息をつかれて「ですよね…すいません」と謝ったこと。

理不尽な話に頭を下げて謝ったこと、すいませんとお願いしたこと、ため息をつかれたこと、それに1人で耐えたこと。その原因となった家庭環境は私のせいじゃないはずなのに。

もちろん楽しかったこと嬉しかったこともあるのだけど、それは全部 私が ”お利口に・丁寧に・良い利用者で” いることが前提 だったと思ってしまう。

いわゆる ”病み垢界隈” を見ると、支援をうけるために神経をすり減らして努力してる方ばかりで。

看護師さんと仲良くなって、先生の気をひいて、支援者さんの前で無理して。そうやって必要な支援を得て、診断書を丁寧に書いてもらい、優先してもらって・・・ わがままに見えるかもしれない。でもそれを意図的にするのは、分かってしまったから。支援者さんも人間だから、支援の質にはどうやったって感情が入ってしまうのかも と思うのです。

私は ”お利口に・丁寧に・良い利用者で” いることをやめたことがあります。特に荒れたというわけではなく、ただ 無理して良い利用者を演じなかっただけ。それだけで、こんなに変わるのかというくらい支援の質が変わりました。それは ”気を利かせてもらえなくなった” というようなことだったけど、それだけで、こんなに変わるのかなっていうくらい・・・。

誰だって辛いものです。

”〇〇な人”と扱われるのは、誰だって辛いものです。

っていう、どこかで聞いたことばがあります。
”面倒な人” ”やりにくい人”、そう扱われるのは辛かった。
きっと誰だって辛い。

客観的に見て 私は確かに ”ややこしい人”かもしれないと思うけど、それをちゃんと言葉にすると ”ややこしい荷物(環境)を背負わされて困ってる人” なのだと思う。そして 簡単には下ろせない その荷物を背負いながら、常に丁寧に「お願いします」と頭を下げ続けるのは・・・私には限界でした。

「気にしなくていいよ」という声に安心していたら、全て後回しになっていて、それは私には辛すぎました。

「Senaさん自分で出来ちゃうもんね」「凄いよね 出来るから大丈夫だよね」そう 任せられて忘れられて、でも報告はしないと、報告しなかったことを責められて、それは私には毒でした。

”支援してもらっているのだから、丁寧にお利口にしないといけない” ”支援者さんのことを悪く言ってはいけない ”という暗黙の了解は、私の首を絞めました。


「普通」の世界は、痛くて心地よくて

だから私は ”普通”の世界で、”普通” のふりをして紛れて生きることを選びました。

「仕事しんどくて〜」という話は ある程度誰にでも出来ます。
それは共感しやすい、よくある話だから。

虐待の話、障害の話、精神科入院の話、それは ”普通”に生きてる人には重すぎる話で、支援者さんの言葉に傷ついた話は 当事者同士ですら少しタブーとされる話で。
でも違和感を感じて、私は何なのだろうと傷ついて、諦めて今日も頭を下げるしかない人は確かにいます。

”普通” のふりをするのは辛い。
”普通”じゃないしんどさを1人で抱えることは出来なくて、それを見た人が知らなかった世界を見て驚き傷ついてるのは辛い。知ってもらえて良かったと思えるほど私は強くない。

でも、それでも ”普通" の世界は 心地よいから。
"普通" の世界にいるために 私は今日も現実から逃げて働いています。

やさしい世界って なんだろう。
Sena.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?