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空気になりたい

私って空気みたい。

初めてそう思ったのは、12歳の時。
小学6年生の3学期という最悪のタイミングで離島に引っ越した私は、4月、中学校に上がった初日に違和感を感じた。たった2ヶ月くらいだけど、友達と呼べる子はいたはずだったのに、ほぼ同じメンバーで中学1年生になったのに、私の「おはよう」に誰も答えない。移動教室の場所が分からなくて話しかけようとすると、すっといなくなる。授業に遅れたこともあった。先生と同級生から、圧を感じた。でも誰も何も言わない。
ある日、同級生たちから体育委員に推薦された。役割は先生の指示などをクラスに伝えること。だから伝えようとしたけど、誰も私を見ていなかった、聞いていなかった。もちろん先生には怒られた。
初めからそういうことだったのか...と分かって、学校を諦めた。

私は存在していたこと

でも幸い、学校外で私は空気じゃなかった。
母親の会社の社員寮で唯一の子供だったから、色んな方に可愛がってもらった。部屋を出れば誰かがいて、挨拶してくれて雑談した。トランプ・UNO・ゲーム・DVD・ドライブ... 楽しかった。いざこざはあったけど、それでも、そこには私がいた。
My GOAL is...①の記事で書いたように、馬牧場でボランティアスタッフをしていたから、そこにも私がいた。


空気になりたい

私って空気みたい。 そう思った1年後、13歳の4月。
母親が再婚して、別の離島に引っ越した。転校先の中学校には行かなかった。卒業するまで1回も校舎内に入ることは無かった。
だから私の生活は 家 がほぼ全てになった。

母親の再婚に複雑な気持ちはあったけど、ママが幸せになれるのは嬉しかった。でも・・・何もかもが上手くいかなかった。
経済的な問題が深刻で、家の中がピリピリしていた。母親もイライラしていた。両親が上手くいっていない時は、母親は私に話しかけてくれた(養父への不満が多かったけど)。両親が仲良くしている時もあったけど、その時は私が邪魔だったらしくて怒られた。

環境変化のストレス、行き場のない不安。
”空気になりたい” 自然にそう思うようになった。
気づいたら、そう言うようになっていた。
「生きるために空気は必要。でも空気って考えたり感じたりしてないと思う。私はそうなりたい。」母親にそう言ったことを覚えている。反応は無かったと思う。


そして今。

あれから約12年間くらいの間に、色んな事があった。
私を必要としてくれるひとがいた。
私の努力や能力を認めてくれるひとがいる。
「せなさんの将来を見てみたいし応援したい」と言ってくれる支援者さんたちがいる。
「せなの存在が大切で、すき」と言ってくれる大切な親友がいる。
このnoteの更新を楽しみに待ってくれている方もいる。
「せなの紡いでる言葉が好きで読めて嬉しい」と言ってもらえた。

それなのに。
私は、未だに ”空気になりたい” と思う。
その思いは、薄れたり濃くなったりしながらも消えない。
消えることなんて無いのかもしれないと思う。

それでも、まだ空気になれない私は...今日も生きています。


スキ、コメント、シェア、いつも本当にありがとうございます。
私の紡ぐ文章を、また読んでくださると嬉しいです。

澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みたいなぁ...。
Sena.🍃

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