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支援者さん達 と 利用者 って対等?

考え始めたきっかけ

5年ほど前に、とある生活支援施設(日中活動をする所)で代表の方と私の関係が悪くなりました。私の精神状態が悪かったのも理由の1つだとは思いますが 何が直接的な原因だったのか、私には今も分かりません。
段々と邪険に扱われるようになり、久しぶりに話し合いの為に行った時は、体調を気遣うような言葉はもちろん 挨拶すら無く、ただ退所の希望を伝えるだけとなりました。

その時に考えたのは、
・支援者さん達と利用者は対等では無い。
・支援者さん達が味方で無くなった場合(特に精神障害の)利用者は、社会的に不利になりやすい。
・支援者さん達は複数だけど、利用者=当事者は1人という事がある。(家族などが支えてくれるとは限らないので)

5年経って・・・

5年間の間に色んな出来事があって、その度に 対等?という事を考えていました。

今年の夏前頃に、私が自暴自棄になっていた事が原因で同じようなことを考える出来事がありました。状況は違っていて、私は勝手に傷ついて その時はそれを面白いと思っていたけど、私は支援者さん達を傷つけたのかもしれないと今は思っています。本当に反省する出来事でした...。

話が少し外れてしまいました...汗
その時 少し冷静になってから、関わってくれていた支援者さんに、支援者さん達と利用者は対等では無い と思っていることを伝えました。伝えたこと自体は良かったと思っています。

色々な意見

それから何回か、他の支援者さんたちにも「支援者さんたちと利用者は対等ですか?どう思いますか?」聞いてみました。
・ある方は「対等に接するようにしてるし、そうするべきだと思う」と意見をくれました。
・「今せなさんは支援してもらっていると思う?」と聞かれて、「はい」と答えた事もあります。その方は「今は支援しているつもりは無いよ。暇だったし話したかったから話してるだけだよ」と言ってくれました。
・どこかで(忘れてしまったのですが)対等であるべきでは無いという意見を読んだこともあります。

私が"今"思う事

いろんな出来事があったり、見たり、聞いたりして・・・
私は ”支援者さん達と利用者は対等では無い。” と思います。

それは、
・(特に精神障害の場合は)社会的に不利になりやすい。
・支援者さん達は複数だけど、利用者=当事者は1人という事がある

という、先に書いた理由からです。他にも色んな理由や意見があると思います。

でも同時に、もし私が支援者だったら・・・と考えた時、
”必要な支援を提供するためには、”対等に話す” ことが必要 なのかもしれない、だから ”出来るだけ利用者さんと対等に接したい” と思いました。

少し矛盾しているように思って、考えていたのですが・・・
支援者が ”対等に話す(接する)” ということを忘れない(心がける)事が大切なのかもしれないなぁと・・・今は考えています。

立場的に ”支援者” と ”利用者” というのは基本的には変わらなくて、それはお互いを守ってくれるものでもあると思います。でも、支援者さんたちが利用者と対等に話す(接する)ということによって、信頼関係が生まれたり、隠れていた問題が見えてきたり、それを一緒に考えたり...、いろんなメリットがあると思います。逆にデメリットも色々あるけど、そこでお互いを守ってくれるのが、”支援者” と ”利用者” という関係性なのかな と思いました。


ここまで読んでくださってありがとうございます。
やっと考えをまとめることが出来ました。

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新しく読みに来てくださった方もありがとうございます。
私の考えや想い、紡ぐ文章をまた読みに来て下さると嬉しいです。

写真は昨日、久しぶりにスケートの練習に行って来た時の写真です。
Sena.⛸

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