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アクションなきリアクションなし

池山千尋

「たしかに面倒なの分かるし、億劫なのも分かるけど、アクションしないと、その面倒なリアクションさえ返ってこないから、息止めてやったら?」

リアクションを恐れたノーアクション

相棒から言われてハッとした。
僕は、昔から面倒なことが苦手で、嫌われないように嫌われないように行動してしまう。だから、常に自分がアクションした後に、相手がどんなリアクション、表情や感情や行動をするのかを想像して、勝手に怖くなって、億劫になって、逃げるようにアクションを止めてしまう。言い合いになった時に、相手を傷つけたくないとか思って、”黙る”という僕のアクションも相手のリアクションを恐れ、嫌われないために選んでいる行為で、「アクションしていない」のとほぼ同義だと気がついた。大切で何でも言い合える、というか言い合わないと始まらない相棒にさえ、このザマだから何とも情けないなと。

リアクションの重要性

この経験から気がついたことがもう1つある。
それは「リアクションの重要性」ということである。
前述した通り、僕は相手のリアクションを恐れてアクションを止めていた。つまりはリアクションということを前提にしてアクションをしていることになる。そして、「ノーアクション」ということが一番辛いリアクションであるとも仮定ができる。つまりは、人は誰かとコミュニケーションを取る際に、自分がしたアクションに対してリアクションを求めているということになる。それは、期待でもあり恐怖でもある。ただ、”無反応”は実は相手に対して最も恐れているリアクションなのかもしれない。そう考えると、リアクションの重要性を意識する。何気ない会話や何気ないメール、Slack、LINE上でのメッセージ。「了解」とか「ありがとう」とか、日本語って文脈で分かってしまうから、読み解けてしまうから、読み解けた気になってしまうから、読み解き合うのが良いってされているから、敢えて語らず黙することがある。それが美徳の1つで阿吽の呼吸なんて言われたりもするけれど、僕は「アクションしたのに、リアクションがない」方が怖い。だから、阿吽の呼吸を自分なりに解釈して、「アクションに対して、必ずリアクションがある」ということにしたいと思う。誰かのアクションに対してのリアクションは、返す速度も質も共に日々大事にしていきたい。

時間の重要性

アクションをすることも、リアクションをすることも、結局自分を主語にして、自分のアクションにすることが重要だと思っている。何かをしない限り、悪い結果も良い結果も起きない。何かが欲しければ何かをしなければいけない。アクションを止めないことはもちろん、リアクションを止めないことだって立派なアクション。リアクションばかりを気にしてアクションをしない自分ではなくて、リアクションさえも自分のアクションにして生きていく。時間は有限だから、黙って止まって、何もリアクションが欲しくない時間が、本当に必要な時は考えて、選んで、そのアクションをすればいい。ただ、リアクションに恐怖して、アクションをせず止まっていた時間も返ってこない。だとしたら、アクションとリアクションを繰り返し繰り返し、自分の人生を生きた方が、辛くてもしんどくても生きている心地がすのではないか。そんな事を考えております。

アクションとかリアクションとか書きすぎて、ゲシュタルト崩壊してきて、ハクションに見え始めてきましたのでこの辺りで終わりにします。
NO ACTION, NO REACTION.とか格好良く言えばよかったと、書き終える手間で、後悔しております。

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