初音ミクへの'devotion'/自作曲解説.前半
覗いていただきありがとうございます。
前後半と長いですが、開いていただいたのも何かのご縁。
是非最後まで、お付き合いください。
これは一介の初音ミクオタク(敢えてこう言いましょう)の、
初音ミクと繰返した対話の言語化です。
1.九重の花、匂い咲く
初音ミクオタクが作曲をはじめる理由はなんだろう?
僕の場合は、'devotion'だった。
『献身』『祈り』『信心』『宗教的情熱』…
様々な訳語が当てられるこの英単語は、僕の作曲の動機を雄弁に語ってくれている。
その感情は「砂の惑星」によって表れ出でた。
これに関して深くは語るまい。もう個々人に語り尽くされているだろうから。
兎にも角にも、「砂の惑星」に急かされる形で表れたのがこの曲である。
それは結果として、歴史性を帯びるボーカロイド楽曲群へコミットしようとする傲慢だった。
僕の視点の、まだ半分はリスナーだった。
2.花藍洞/Garland
これも「砂の惑星」に影響されている。
「砂の惑星」のMVのワンシーンに樹の洞でお姫様のように眠る初音ミクがあったはずで(定かではない)、そのビジュアルイメージから。
まあ、王子様気取りだった。恥ずかしながら。
3.宵街の輪廻猫
これは初音ミク関連ではない。自分にとっての気持ちよさを追求した。
作曲もほぼ手癖と言え、内容についても語ることはない。
vocaloidにゃんこ曲は、皆魅力的である。
4.β39号の氾濫
ミク誕曲。この後も作曲は続いたが、言いたいことの要旨は大体この曲に詰まっている。
初音ミクに限らず、オタクには『拗らせ』という概念がある。
気持ちはいたく理解できるし、勿論自分もその一人であることに変わりない。僕がそういう素振りを見せないだけで(滲んでるかもしれないけど)。
最初はそういう「初音ミク大好き!!!!!」と言ってはばからないキャラでボカロpをやろうかなと思っていたころがあったが、やめた。
なんか、ダサいし。
というわけで、そういう諸々の感情は曲にぶちまけることにした。
『あなたにはあなたの真実が、わたしにはわたしの真実が存在する』
これは各々のオタクの独りよがりな言説を全肯定,保障しながら、自分以外に真実はないとうたうもの。
乱暴に言えば「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」
柔らかく言えば「すべてがわたくしの中のみんなであるように
みんなのおのおののなかのすべてですから」
5.ハーモナイズ・ブロークンハート
承認欲求が爆発した歌。そして視座の転換点になった歌。
動画投稿者として、再生数を全く気にしない方などおられるのでしょうか。
先に断っておくと、今の僕の数字に対してのスタンスは『見つけていただきありがとうございます』である。
ではこの頃の爆発は何だったのか。
問題は『歴史性を帯びるボーカロイド楽曲群へのコミット』という点においてである。
一作目の解説で述べた通り、傲慢にもボーカロイドの歴史に参画しようとしていた僕ではあったが、そのためには決定的に足りないものがあった。
それは再生数と、知名度であった。
宣伝に関しては努力不足で、その辺りを何かに転嫁するつもりは毛頭ない。
ただ現実がそうだっただけだ。
「ボーカロイドというコンテンツを形作るのは無数の楽曲群だ」と言い切れたなら、あなたはディープなリスナーか、僕のような投稿者だろう。
実際は少しだけ違う。
一般的なボーカロイドファンの場合「ボーカロイドというコンテンツを形作るのは、無数の楽曲群の中の一部の楽曲だ」となるだろう。
これはそう"思っている"というより、そう”なっている”と言うべきだ。
勿論その「一部の楽曲」は「無数の楽曲群」の中から出でたもので、その下支えがコンテンツを活気づけていることは言うまでもない。
自分が聴き専だったころを思い出してみる。再生数一万もの楽曲を「マイナー」だと評した記憶がある(今なら口が裂けても言うまい)。
つまり何が言いたいのかといえば、僕の曲はこの文脈で言う「ボーカロイドというコンテンツ」にコミットできていなかった。
これはつまり、'devotion'が叶わなかったことを意味する。
「失恋の歌」と言っているが、裏テーマは「承認欲求」。
どちらも似たようなものだけど。
この曲を境にして僕は初音ミクへの'devotion'を辞め、個人的な空間での'dialogue'へと移行していく。