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移動できないオープンワールド、移動できるドット絵/境界をまたぐことについて

はじめに

オープンワールドゲームは僕にとってひどく退屈だ。貧しい体験と言ってもいい。ただ、それをうまく言語化することはなかなかに難しい。

ふと、ドット絵とオープンワールドを対比したとき、「移動」に注目して思ったことがあったので、メモ代わりに記しておく。

結論はこうだ。「オープンワールドは平滑的であるがゆえに移動が意味をなしておらず、ドット絵は条理的であるがゆえに移動することができる」。

そして、それが「境界をまたぐ体験=訪れること」という体験に繋がるのだ。

条理的なドット絵

はじめて買ってもらったゲームは「ポケットモンスター エメラルド」だった。ドット絵で表現される有限的で、しかし豊穣な世界。ホウエン地方のあの「冒険している」感覚を、僕はまだ覚えている。

そのエメラルドを例にとって、ドット絵に顕著な「訪れることができる」という体験について述べよう。

僕がゲームをプレイするときのモチベーションは、物語と世界観に没入すること。つまりは、そのゲーム内での冒険を望んでいる。

デジタル技術で表現されるドット絵は、まさに区切られた空間である。歩行は一マスごとに行われる。空間が時間を表現している。

「どく」状態になったポケモンは、数歩歩くごとにその毒に侵されていく。歩行の緊張感…ではないけれど、マスごとに区切られた空間は、歩いていることに意味を与える効果があったはずだ。

そして、区切られているということは、訪れることができるのである。異人になることができる、ということだ。

長すぎるロードは勘弁願いたいが、しかしマップ移動や建物に入った時の暗転、必ずしもシームレスに繋がっていないフィールドを、僕は上述の点で肯定する。

その暗転は「境界」の効果を担う。まさに、区切りである。区切られているからこそ、そこをまたぐことに意味がある。「訪れた」という意味が発生するのである。

その体験は、まさしく冒険であるはずだ。

平滑的なオープンワールド

オープンワールドの定義はままならないが、僕としては①マップがシームレスにつながっており②従来のRPGと比較すると移動の自由度が高い くらいのファジーな感じで捉えている。

「全てがなめらかに繋がっていること」に当初は驚いた。行こうと思えば、初めから高レベル帯の敵が出現する場所にだって行ける。武器だって手に入る。勿論、一介のゲーマーとしてその新しい体験にワクワクした。

しかし、こんなにもそれが貧相な体験になるとは思いもしていなかった。

オープンワールドにおいて、空間の意味は失調する。

オープンワールドに付きまとう意識は、同語反復的だが、世界に開かれているということだ。接続過剰的であるということ。

「どこにでもいける」を言祝ぐこと。だが、それは本当に面白いゲーム体験を提供するのだろうか?

区切られたドット絵において空間は踏みしめられるものだとしたら、なめらかなオープンワールドにおいて空間はただ流れていくだけのものになる。

区切りのない空間の中を彷徨うピンと化す僕は、何処にも辿り着くことはなくなる。区切りがないのだから、「どこにも訪れることができず」「そもそも(権利上)動くことができない」。

少し感覚的な話になるが…空間の広がりが過剰であるがゆえに、意識が俯瞰視点を取りながら、動く主体は点にまで縮小する感じである。地図上でピンが動いているのをただ見ているだけ、という感覚。

だから、僕はどこにも訪れることはできない。「ここから先は危ないよ!」的な、進行度を管理するメタキャラクターはいないため、どこにでも行くことができるけれど。

でも、今ならわかる。彼は境界だったのだ。「ここから先」という「訪れる場所」を提供してくれるキャラクターだったのであり、それは意味づけを成す重要な存在だったのだ。

僕は無意識にでも「ここから先」にときめいていたはずだ。「どんな敵が待っているんだろう」「どんなアイテムを見つけることができるんだろう」…その境界は、オープンワールドゲームにおいて取り払われてしまった。

デジタル技術はその語義に反して、人間の目から見て「なめらかな」水準にまで達した。ゲーム市場の動向的に、オープンワールドは流行りでもある。「全てを繋げる」的なキャッチコピーが、未だに効力を持っているように。

だが「全てを繋げる」ことが、本当に豊穣な体験を提供するかどうかは……少し立ち止まって考えてもいいだろう。

おわりに

ドット絵を礼賛する形になったが、だからといってただの懐古趣味に浸るわけではない。

例えば「エルデンリング」は、「どこにでもいける」を「立ちはだかる強力な敵」を以て有限化して境界を作り、「歩いているだけで楽しい」探索を提供してくれた(参照)。

ペルソナ5は、伝統的なJRPGながら、優れたUIと戦闘、そしてストーリーで僕をエンディングまで楽しませてくれた。

僕はゲームに物語と世界観を求めている。

移動すること、訪れること、境界をまたぐこと。僕が最近考えている、リミナルスペースの論点にも通底するところがあるかもしれないな。

畢竟、僕は冒険を求めているということで、それはあのころのまま、

少年のころから、変わっていないのだろう。