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冗談も嘘も嫌いだ

なんでこの人と話すとイライラするのかなと考えたところ、話の内容が特別嫌なのではなく、優しく言っているふりをしながら上から目線で話されるからでした。

そういう人間のへばりついた嘘とか、誰かを騙したり蔑むような冗談が嫌だ。わたしは日常の些細な会話の中で冗談をそれと見分けるのが苦手で、いつもそうなんだとただ鵜呑みにすることが多い。脳のスイッチがオフになって、友達と話しているときとかはそのまま信じてしまうという。流してしまっているだけなのかもしれないけれど。

みんな常にスイッチオンで話を聞いているのか、それとも単に私がみんなが察している空気が分からないだけなのか。わたしはそういう空気を察するという面において鈍感なので後者の可能性が高いと思う。

私が鈍感であることや他人に興味が湧かないということを教えてくれた、というか気付かせてくれたのは高校の時の友達で、すごく仲が良くて、私が唯一妹ポジションでいられる、大好きな二人だ。

大学生になった後、実は高校のとき、私が発言した後で周りがシーンとなってるとか、固まってることが結構あったらしくて、でもそのことは言われるその時まで私は気付いていなくて、かなり驚いた。それで、中学の時の友達にも聞くとやはりそういうところがあるとのことだった。

その話をしてもらったことで、鈍感であることに気付いたけど、空気を読めていないなら、読まなきゃいけないのかという考え、もしくは潜在意識のようなものがはっきり生まれた瞬間でもあった気がする。

他人に興味が湧かないというのは単に私が人の顔と名前やその他の情報が極端に覚えられないということで、友達が先生や学校の他のクラスの人の話をしているとき98%くらい分からない。好きな人達のことなら覚えているのに、自分に直接的に強く関係がない人のことは覚えられない。

友達が気付かせてくれたことにはとても感謝していて、自分について客観的に、自覚的になる機会を与えてくれたと思っている。その話をされなかったら、今でも私は自覚していないかもしれない。


とにかく私は冗談や嘘が苦手で、いい人ぶりながら、少しずつ料理に毒をいれるみたいな悪意を振り撒いてきたり、常に話の端々に自分が上だというような言葉や言い方をされるとすごくイライラする。

イライラが閾値を越えると私は爆発する。でもそのあとで後悔する。謎の後悔。自分の言ったことは正しいと思っているのに、「ああー言ってしまった」とも思う。でも、私はわたしを正しいと思っているから大丈夫!と考えていると、それでいいのかという疑問も浮かんでくる。

何に対しての後悔なのか、なんとなく心当たりはあるけどもやっとしていて確信ではない感じ。理性より先走ってしまったという後悔、別にやりすごせばよかったんじゃないという気持ちなどなど。でも、全部確信とは違うもので、今のところ確信はただの「あぁーー」に包まれている。

でも自分がしたことの責任は自分のものだし、自分のなかでの正しいはある程度決まっている。それは事実。

そして、私が誰かに投げ掛けた言葉やとった態度が完璧に正しいなんてことは永遠にない。だから、ちゃんと向き合いたいと思う。

冗談を言う人は自分が発した言葉が相手にとってどういう意味になるのか、相手がどう感じるのか、きちんと一度考えてほしい。誰かをからかっているような言葉は冗談ではなく、侮辱だと私は思うし、そう感じる。本当にきちんと考えるそれだけでいい、自分の言葉と向き合うだけでいい。

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