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やさしさについて今日の思索

どうしてあの人の考えが分かってしまうのかと考えると、自分が似たような思考回路だからだと気付いて心底うんざりする。お前もクズなんだよと自分がいう。

やさしくなりたい。
本当に?本当にやさしくなりたいの?
嘘。本当はわからない。誰かを傷つけたくないのは本当だけれど、それは自分が傷つくことが怖いだけだから。
なにも考えず誰かを傷つけるよりは余程良いでしょう?
そうかもしれない。でも、自分は自分のいやらしさを許せない。いつも真剣に向き合いたいと思うのに自分のことをどこかで優先してしまう自分を見つけては叩いている。
自分を自分で許す。自分を好きになる。
私は私のことが嫌いではないけれど、まだ好きにはなれない。
なら好きになれるよう頑張りなさいよ。

やさしい嘘。
やさしいってなんだろう。
分からない。やさしい嘘なんてただのエゴなんじゃないのか。
そうかもしれない。でもそれは他人が決めることではない。やさしさも嘘も人間関係の最小単位であるその当人同士の間でのみ判断することを許されると思う。
やさしさについて考えるなら受けとるときだけで良い。
やさしさだと思って与えたものなんてすでにやさしさではないと私は思う。そのへばりついたエゴが透けて見えてしまう私はひねくれているというのだろうか。
もしくは私自身がそうだから同じことをしている人を余計に気持ち悪いと思ってしまうのだろうか。
もちろん、やさしさなんて受けとる人が決めるものだから、私にとってという限定的な意味ではそれでよいのだと思う。
やさしさってなんだろう。

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