食肉とベジタリアンのこと。
奄美大島から那須塩原に引っ越してきて1ヶ月がたった。ここ、那須塩原には、食べ物といのちと平和について学ぶ学校があり、先月からそこでボランティアをすることになった。発展途上国(アジア、アフリカ等)から農村指導者が集まり、有機農業を通してリーダーシップや平和構築、持続可能な暮らしを学ぶのだ。キリスト教の精神が根付いた学校なので、スタッフやボランティア、学生の中でもクリスチャンは多いが、もちろん、イスラム教徒、仏教徒、無宗教のひとなどさまざまだ。ユニークで、とても面白いところだと思う。
ここで学んだことや気づきを、このボランティアの一年間の中で、自分のために今後ちょこちょこと記録していこうと思っている。
お肉を食べるって、どういうこと?
今回は、食肉のことである。ここでは、豚や鶏、ヤギがいて、みんなで彼らをお世話をしていることもあり、食肉についてより一層考える機会が増えた。
私はベジタリアンである。以前までは鶏肉、豚肉、牛肉、羊肉、ヤギ肉、猪肉、カエル肉、、、カエル肉というのかどうかはわからないが、これまでさまざまな動物性の食べ物を食べてきた。ちなみに馬や犬、ウサギなどは食べたことがない。
しかし今はあらゆる動物の肉は食べないことにしている。スープや炒め物に入っている出汁もできるだけ避ける。魚は食べるのでぺスクタリアンと言ってもいいと思う。卵、牛乳は積極的にはとらない。ただ、卵に関してはやはり生き物なので徐々に食べる頻度を減らしたい。そして、牛乳も結局は牛からとれるものなのでなるべく豆乳を選ぶようにしている。
魚を食べることについては、いまだに考え中。和食の代表格であるお味噌汁には魚の出汁が入っているし、なにより私は魚が好きだ(寿司は苦手だ)。ただ、乱獲や養殖産業には問題も多いし、魚だって生き物。牛や豚たちと区別するのはどうかと思う。これについてはまだ考え中。そこまで厳しく自分ルールを作らなくてもいいかとも思う。また、革製品の購入は近年控えているが、はちみつの味は好きだし、蜜蝋ラップも使いたいので、今のところヴィーガンにはならないと思う。
ここでは、わたしと同じようにベジタリアンもいるし、屠殺を経験してから食肉を避けている人がいたり、宗教上、豚肉や牛肉を食べない人もいる。だから、「わたしはベジタリアンです。」と言っても、珍しがられたりネガティブな感情で見られることは滅多にない(と思う)。しかし、世の中には、ベジタリアンやビーガンに対して、「変な宗教っぽい」、「思想が強い」、「面倒臭い」と感じる人もまだまだ多い。それは私にとって悲しいことだ。
どうしてベジタリアンになったのか
私がベジタリアンになった理由は三つ。それをここで紹介したい。
いちばん大きな理由は、食肉が環境に与える影響の大きさだ。私は正式にベジタリアンになる前、プラスチックをなるべく使わなかったり(マイバッグ、マイカップ、マイ〇〇を持参する、月経カップを利用する、洗剤をマグネシウムに変える等)、ゴミが出ない生活を意識したり、なるべく公共交通機関、自転車を使ったりと、思いつくことは全部やっていた。しかし、自分一人がやっていることはちっぽけで、自己満足で、全く環境のためになっていないのでは、と悩んでいた。そのとき私はいわゆるフレキシタリアンで、基本的には野菜を中心に食べ、お肉を積極的には食べないが、外食やときどきなら食べる生活をしていた。もちろん環境に配慮したいという理由だ。ただ、日々調べたり、Netflixで『cowspiracy: サステナビリティ(持続可能性)の秘密』や他の環境問題系ドキュメンタリーを見たりして、家畜が出すげっぷやおなら(メタンガス)が環境に非常に悪いことや、家畜を育てたり、彼らのエサとなる大豆やとうもろこしを育てたりするスペースを作るために、森林が伐採されていることを、ちゃんと、具体的に知った。それで、従来のプラスチックを避けたりするような生活スタイルに加え、動物を食べることをやめた。食肉をやめることは、毎日マイバッグを持つ生活よりも環境に与えるインパクトが桁違いに違うからだ。
二つ目は動物のいのちを簡単に奪ってもいいのか、ということを考えたから。そもそも同じ生命体として、こちらが食べたいからという一方的な理由で、動物を産ませ、育て、自由を制限し、いのちを奪う、そのようにコントロールしてしまっていいのかと思う。檻にいれられた豚を見ていると、もし私が彼らだったら、と考えるとおぞましい。とりわけ、最近豚の世話をしていて、彼らは頭が良く、綺麗好きで、社会性のある動物だということを知っているから特にだ。狭いところで自由に動けず、朝と夕方に餌を待つだけの毎日が半年間。それで人生が終わりだと思うと、何とも言えない気持ちだ。それが食卓に並ぶと、やはり気持ちよく食べられない。私たちは餌を与えられるだけの彼らと違って、食べ物を選ぶことができる。ライオンなどの肉食動物をちがって、肉しか食べられないわけじゃない。世の中には美味しい植物性の食べ物がいっぱいあるのだから、私はわざわざ動物を選びたくない。ちなみに、お肉を食べなくなったことで、野菜や豆の美味しさに気づけた。
三つ目はわかりやすいから。上述した二つのことが、食肉をやめた二大要因だと思う。「ベジタリアン」と言ったら、シンプルに、わたしが大切に思っていることを他の人が理解しやすいと思ったからだ。例えば、中学時代の友人と、久しぶりに会おうと約束したとする。ご飯でも行こうという流れになったとき、お肉を食べないから、野菜が美味しいお店に行きたい、と伝える。そうすると、どうしてお肉を食べないの?と大体聞かれるので、食肉についての話のきっかけになる。それをすることによって、もしかしたらわたしの周りの人が、環境問題に興味が湧くかもしれない。または、今日はお肉食べるの、やめてみようかなと思うかもしれない。食肉というみんなが当たり前にしている習慣をやめれば、おのずと周りの人が疑問を抱く。それが何かしら誰かの考えるきっかけになったら、おもしろいと思う。もう、ひっそりと紅茶のティーバッグをやめて、茶葉を買って、ティーポットに入れる作業をやりたくないのだ。みんなで同じティーポットから一緒にお茶したい。・・・この例えはあまり上手くない。ごめんなさい。
ただもちろん、食肉をやめることは完璧にはできない。大好きな和菓子の中にも豚エキスが含まれているし、便利なカレールーやコンソメなどにもほとんど動物性エキス入りだ。頑張りすぎて自分を追い詰めたくない。それに、だれかが私のために作ってくれたものがお肉だったとしても、それを残すことはしたくない。そのときは私はお肉を食べると思う。そして単純に、食べることが苦痛になったり神経質になりすぎたりして、誰かを責めたり憎んだりしたら、本末転倒だ。私は食べることが大好きだし、料理も好きだ。私にとって、食べることは楽しいことなのだ。
もしかしたらこの考えに共感してくれる人もいるかもしれないし、やはりお肉が好きだから食べたいという人ももちろんいると思う。でも、私は誰かにプレッシャーを与えたいのではなく、あくまでもこれは私の考え方である。そこはもちろん、押し付けたくない。もしこの記事を読んでくれた人がいて、内容に関してプレッシャーや押し付けを感じたらごめんなさい。人それぞれ考え方は違うことを理解したうえで、これが私の考え方。そして、私たちは自分が納得する幸せなライフスタイルを自分で選べることを忘れないようにしたい。そして、その「幸せ」は、誰かや他の動物の犠牲の上に成り立たせたくない。
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