聞き分けのない女をつまりはどうしたのか~カサブランカ・ダンディ(歌・沢田研二)~

聞き分けのない女の頬を 一つ二つ張り倒して

から始まるこちらの歌。今こんな歌をうたったら、色々問題がありそうですが今の時代でも沢田研二が歌うなら許されそうです。はい、許します。「そういうプレイについての歌です」って言い張ります。

本当に張り倒されたのか問題

映画カサブランカをモチーフにしたこちらの歌。ボギーとは主人公ハンフリー・ボガードの愛称です。

歌い出しの部分についてなんですが、この歌って結局主人公は聞き分けのない女の頬をはり倒してないですよね?沢田研二ではない別の方が歌うこの歌をきいていて「あれ?」って思ったのですが、沢田研二の歌うカサブランカ・ダンディは

聞き分けのない女の頬を 一つ二つ張り倒して
背中を向けて煙草を吸えば それでなにも言うことはない

という時代であったボギーの時代を

あんたの時代は良かった

と羨んでぼやいている歌に聞こえます。

「歌の主人公が、女性をはり倒した後に背中を向けてたばこを吸いながら『ボギーの時代はよかったなぁ』と思っている」歌ではないですよね。

張り倒して

の部分の歌い方の加減によって前者になるか後者になるか雰囲気変わってくるので是非他の方の歌い方も聞いてみていただきたいところです。歌い方によっては、「おまえ、ほんとに張り倒したらアカン……」って雰囲気に感じる方もあります。

あ、沢田研二にならはり倒されても押し倒されても全然構わないんですけどね。

沢田研二の表現力

張り倒したかどうかといったことを考えていて思ったのですが、作詞家の方もわざと誤解を招きそうな余白のある歌詞にしておいたのかなと。

この歌は映像を見ていただくとすごくわかるのですが、沢田研二が少しユーモラスな振り付けを交えていて、その加減がよりいっそう気障さを醸し出しているという仕上がり。

それによってDV臭ではなく「ボギー、あんたの時代は良かったよ」とぼやきながらも女性を大切に扱っているだろう主人公の姿が私には見えるのです。

うぎゃぁあああ!うらやましいいいいい!!私も大切に扱われたい!!(ジュリーに)

このかっこよさ、他に表現しきれるとしたら天海祐希くらいじゃないでしょうか。

できる人はユーモラス

天海祐希の宝塚(男役)時代はもう麗しくて。(と言っても映像でしかみたことがないですが。)

沢田研二も天海祐希も

「いや、自分ほんとはこんなキャラじゃないんだけどこういう「格好良さ」が似合うし喜ばれるの知ってるんだよね、テヘ」という感じがどこかからにじみ出て、かつ格好良さを演じきることに関しては一瞬の隙もない。いや、なんだ書いてて矛盾しているように見えるけれどもそこは両立しているのだ。

天海祐希で言えばドラマ「女王の教室」で無表情な教師を演じきっているけれどもエンディングの歌では少しはにかんだ雰囲気をだしながらも朗らかに踊る。(宝塚の舞台でもユーモアを挟む場面が多々あった)

沢田研二のカサブランカダンディで言えば

ボギー、ボギー あんたの時代は良かった

の振り付け。ここをねちっぽく愚痴っぽくしてしまうとこの歌は台無しになるところを、少しユーモラスに「やれやれ」といった雰囲気にしている点。そこがもう最高だと思う。はい、鼻血。

で、つまり聞き分けのない女をどうしたの

というところで、想像力が膨らむこちらの歌。つまり聞き分けのない女をどうしたのか。

それはもうね、おそらくね、うん。ちょっと書くのは自粛しておきますが、はい。うん。あ、いや、そんな、だめ。言えない。

それは、各自が胸の内で楽しむ甘い感覚。このそれぞれの妄想・勘違い・思い込み・幻想を艶っぽく受け止めてくれるそんな歌が沢田研二が歌うことで完成されたんじゃないかと私は思います。



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