ギフテッドとギフテッド教育。
*こちらは私の子育てブログから転載したものです。
コネチカット大学(UConn)大学院に進学してからというもの『ギフテッド』と『ギフテッド教育』は別の研究領域であることを痛感している毎日です。別の研究領域であることから、ギフテッドの定義に関しても、教育学的見地からと心理学的見地から定義されたものでは違って必然かと思います。
ギフテッド教育に関しては、ギフテッドのみを対象とした支援が教育学者のなかでは主流ではなくなってきているように思います。各州や地域の学校現場のギフテッド・プログラミングは千差万別で、様々な話も聞きますが、少なくともアカデミアでは、教育学者らがギフテッド教育をインクルーシブなものにと研究しているように感じます。
知能に対する見解が変わってきたことも関係あるかもしれません。遺伝性で変わることがないと信じられてきた知能が、環境や教育(の有無)により良くも悪くも変動すると考えられるようになったことや、多重知能理論などが出てきたことで、少なくともアカデミアでは、ギフテッド教育が徐々に変わりつつあるのを感じています。
アメリカでイメージされるギフテッドは一概に優秀な子達であり、心理的なサポートが必要な子達だとは一般的に認知されていません。2eの存在も一般的には驚くほど知られていません。実際アメリカでギフテッド・プログラムに入っている子達は『できる子達』あるいは『ポテンシャルが高い子達』です。
そのようなプログラムに入るための『ギフテッド認定』であることから、学校や学区、タレントサーチなどの教育機関によって設定されたギフテッドである基準(いわば教育現場におけるギフテッドの定義)にバラつきが出るのは自然でしょう。
乱暴に言ってしまうと、それはもう出願資格のようなものです。学校によって受け入れ基準が違うため、A校は昔ながらのIQを重視、B校はIQより学力を重視、C校はすべての要素をホリスティックに、などとギフテッドに求める基準(いわばギフテッドの定義)に違いが出てきてしまうのです。
定義が定まっていないとはいっても米連邦政府によるギフテッドの定義は一応ありますし、世間一般的に、又、ギフテッド教育教師のなかで暗黙の了解として一致している概念は、ギフテッド=高いポテンシャル、だと思います。が、「神さまからのギフト」という選民的なものを含む発言は、少なくともUConnでは聞いたことがありません。
ギフテッド・プログラムに入っている子達のなかには賢い子達も多く混ざっています。いわゆる『できる子達』がプログラムに入りやすい設定になっているからです。言い換えれば、たとえ心理学的にギフテッドだと認定されても、いわゆる『学校では能力を発揮できない子達』もしくはアンダーアチーバーであったら入れなかったりするのです。
ちなみにアメリカの学校ではギフテッド選別にWISCは通常使われません。一般的には学校内で集団IQテストが行われることが多いです。『ギフテッド教育を受けている子達』と『ギフテッド専門の心理学者らが判定するギフテッド』は、必ずしもイコールではありません。
もちろん重なる部分もありますが、ギフテッド教育を受けている子達が心理学者にギフテッドと判定されなかったり、ギフテッド・プログラムに推薦されなかった子が心理学者によりギフテッドだと判定される場合もあるのです。
故に日本でギフテッド関連について考えるとき、アメリカにおける『ギフテッド教育』と『ギフテッド』は必ずしもイコールではない、乱暴ではありますが別物として考えるくらいが混乱を避けられるように思います。
アメリカのギフテッド教育のようなものを求めるならば、確固たるギフテッドの定義はさほど必要ではないように思います。いわゆる『ギフテッド教育』を提供するという教育機関が、それぞれ提示する基準(出願資格/ギフテッド基準)で十分なんじゃないかと思うからです。もちろんこれは教育学上でのギフテッドの話です。
ギフテッドの心理的なサポートとなると、話はまた別です。ギフテッドに心理的な支援をする際は、ギフテッドの特徴や特質を正しく理解する必要が絶対的にあると思います。残念なことに私が学ぶ修士プログラムでは、ギフテッドの社会的・情緒的ニーズを学ぶコースは一つしかありません。
UConnで『ギフテッド教育』を学ぶ全米各地のギフテッド教育教師らも、ギフテッドの社会的・情緒的ニーズに詳しい方、詳しくない方とピンキリです。一般的にはギフテッド=優秀児であり、ギフテッド教育教師らのなかでも、心理学的見地からみたギフテッドの特徴、例えばOEや完璧主義などにおける知識に乏しい方がいるのです。一般の教師は論外です。
まとめますと
・アメリカでもギフテッドの定義は教育学的見地と心理学的見地で若干異なる。
・教育現場におけるギフテッドとはポテンシャルが高いことが認められた子。
・その場合の基準(いわばギフテッドの定義)は個々のプログラムにより若干違いがある。
・一般的に、ギフテッドにはギフテッドに特化した心理的なサポートが必要であることはアメリカの教育現場でも(日本で思われているほど)認知されていない。
・ギフテッド認定はギフテッド・プログラムに入るための出願資格のようなものであることから、教育学的には成人ギフテッドというものは存在しない。
・しかし心理学的見地からギフテッドを研究している心理学者らによると、ギフテッドの特性は生涯続くものであり、学校を卒業と同時にギフテッドを “卒業” することはできないと考える。故に、個人がギフテッドネスと共存しながら、いかに豊かに生きていくかを支援、啓蒙している。
そのようなことから、一旦『ギフテッド』と『ギフテッド教育』を分けて考えたほうがわかりやすいし、又、それぞれ整えやすいのではないかと思った次第です。
塾や習い事が充実している日本であれば、ギフテッド教育は個人でも比較的実践しやすいと思います。個人に合わせて柔軟に学ぶことのできる環境にメンターがいれば、レンズーリ教授らの提唱するSEM簡易版の出来上がりです。
難しいのは、ギフテッドに特化した心理的サポートだと思います。こちらは私も専門外なため、どうすれば良いのか等(卒業するまでは考えることもできず)わかりかねますが、心理学専門の方々にギフテッドの生態を勉強していただくのが一番早いかもしれません。
それまでは、アメリカでも言われているように、まずはギフテッドのアカデミック・ニーズを満たすこと、その子に合う学習環境を整えることが第一だと思います。アカデミック・ニーズを満たすことだけで問題行動がウソのように消える子達も実際いるからです。それで上手くいけば、とりあえずは今をしのげるでしょう。
が、しかしギフテッドのアカデミック・ニーズも月日が経つにつれて変わってくる場合が少なくありません。故に家族は、子どもの変化を察知して、臨機応変に環境を変えていく必要が出てくるかもしれません。
あるいはアカデミック・ニーズが整ったとしても、社会的・情緒的ニーズが整わない場合もあります。もしくは、整う整わないに関わらず、心理的な支援が何かしらで必要になってくる場合が(比較的多く)出てきたりします。
故に、ギフテッドにおいては、その特徴や特性に精通した心理学の専門家が必要である、と、UConnで『ギフテッド教育』を学びながら切実に思うお母さん学生なんでありました。ギフテッド教育だけでは息子の支援に限界がある、と感じ続けているからです。
以上
とりあえず『ギフテッド教育』に関しては、子ども達への支援が遅れてしまうが故に、ギフテッドの定義にこだわり過ぎることなく進めてしまったほうが良いだろう、と思う今日この頃でありました。
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