私は何を信じればいいのか

#清潔のマイルール

ずいぶんと酷なお題を出すものだな。

1月。このタグを最初に見た時私はそう思った。
潔癖や強迫性障害の不潔恐怖を持つ人の中には、この言葉はセンシティブなものになる人もいると思った。

何より私も身構えてしまった。
withコロナの生活をこれからも送っていくにあたり、衛生観念の共有を行おうとする意図はもちろん分かる。
でも、「清潔とマイルールなんて、一番ひもづけちゃいけないやつだろ」と思ってしまった。

”トイレで手を洗わない人間を、『衛生観念は人それぞれだから』という理由で見逃すことなんてできるわけないだろ”
”自分に課しているルールがありすぎて生きているだけで疲れ果ててしまう。床に落ちたものは基本直接触らないようにして、それはアルコール消毒か漂白剤を入れて洗濯する(orさせる)、いずれもできないなら捨てるしかない、もしじかで触れたら手洗いは最低でも10分以上。トイレに行ったらペーパーはそのたびに一巻使い切って、その後毎回シャワーを浴びなければならない、だから多くて一日三回しか行けない。それから……”

などなど、その言葉が彼ら彼女らにとってどのような意味を持つのかは人それぞれだと思う。でも、「清潔」「マイ(オウン)」「ルール」の単語の重さは、いわゆる普通の人のそれとは比べ物にならないほど重いのではないだろうか。

私には強迫性障害の素因があると思う。あくまでも素因としているのは、これは自己診断に過ぎないということと、症状が社会生活が送れなくなるレベルまで悪化したことがなく、ネットを漁ってみた限りだと、むしろ私の状態のようになることを回復の目標としているようであるからだ。

これは不潔恐怖とは別だけれど、小学校低学年の頃、15分で終わりそうな「漢字ノート」の宿題に確か2時間かかることもあった。そもそもの書くスピードが遅いうえに、なんども書き直しをしていた。他には、道の歩き直しをしなくてはならないので、通学路がちょっとした試練の場になっていた時期もあった。「まさにぴったり感」を求めているのか、長らく靴のかかとをミリ単位ほどのレベルでそろえていた。今は靴を少し汚く感じてしまってあまりしなくなっている。

小2だったか小3だったか、父が本屋に連れて行った際、以前よりも高頻度で手を洗うようになっていた私に、父は棚から本を取り出して、「おまえはこれじゃねえか」と強迫症のページを開いて見せた。
色んな症状がぽつぽつと入れ代わり立ち代わり現れ、それが今でも続いている。

私の衛生観念はどうもずれている。今住んでいる家の床に食べ物を落としたら、ほこりがついてない限り別にそれは食べてもいいけど、床は拭きたい。ちなみに話題を求めて回転ずしにも行くような人間です。「それって汚くない?」周りから言われ、「そう?」と返すこともおそらく複数回あった。物心ついた時から「自分が他人を汚したくない」っていうのが、「自分が汚されたくない」という気持ちよりも基本的に根底にある。それは少数派なんじゃないかと自分では思っている。少なくとも「自分以外全部汚い」と思うタイプの潔癖の人をテレビなんかで見たりすると、自分とは真逆だなと感じる。

ずれている。それが分かっているから、かえってズレていってしまう。一人暮らしを去年の四月から始めた。引っ越して数年もたたずにリビングの壁にカビを広げるゴミ屋敷然とした実家から抜け出し、自分の居住空間の主導権を自分自身が引き受けることになった。実家の清潔観念は信用ならないから、家事の決まりを見直すことになる。だから、家事をしてこれは汚いのかわからないときは、インターネットで調べるようになった。某知恵袋を漁る。「綺麗かどうか」の質問には、私が普段関わる人達よりも神経質すぎるんじゃないかという人の割合が高いように思える。同世代の人たちにはウェットティッシュどころかティッシュペーパーも持ち歩いてない人も結構いるのに、知恵袋を見ていると、人口の過半数が消毒用アルコールを常に携帯しているように思えてくる。多数決を取ろうとしても、「汚い」が優勢になりやすいし、劣勢だとしてもその少数派が心に引っかかってしまう。この種の質問に答えたがる人の種類にはやっぱり偏りがあるんじゃないか。そう思っても、証拠がないから分からない。不安になる。色んなサイト、色んな回答を調べ上げ、社会一般の答えを見つけようとして神経をすり減らす。そんなこと無理なはずなのに。気づいたときには一時間以上そうしていることもしばしばあった。今も検索してしまうけど、とくに大学前期のころは酷かったような気がする。強迫症の方の意見を見たりすると、今まで気になってなかったことも気になりだす。いつそれが私の強迫行動につながるか分からない。

マイルールなんかじゃなくて、清潔の「正解」が欲しい。家もネットもあてにならないなら、私は何を信じれば良いのだろう。






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