名無しの桃太郎
僕は桃から生まれた、らしい。
これは証拠や文献があるわけではなく、ただ父と母から聞いた話だ。両親は、齢が五十の年に僕を孕んでいる桃を拾った。母が川で洗濯をしていると黒神山のほうから大きな桃が流れてきたそうだ。母はそれを川から拾いあげ、柴刈りに行った父の帰りを待った。父は驚きながらも、とりあえず桃を割ってみた。すると、赤ん坊の僕がいたらしい。突飛な話である。
それから自分は、父と母に育てられた。一人っ子だったのでとても可愛がられた。豪勢な暮らしとまではいかないが、不自由のない暮らしだった。毎日ご飯を食べさせてもらったし、町から草紙や瓦版を買ってきてもらった。不自由のない暮らしだった。おかげで人より大きく育ち、人並みの学を持てた。
村の外れに家があったため、ご近所付き合いはなかった。ただ、父が村や町に米やら野菜やら蒔を売りに行くときに付いていったため、常連さんには可愛がってもらった。
友も二人いた。同じ齢で、日が暮れるまで一緒に野を駆け回った。しかし、幼い頃はどこに住んでいるのか、家は何をしているのか知らず、さらに名前も知らなかった。そもそも気にならなかった。
年を経るに連れ体も大きくなり、父の仕事を手伝うようになった。畑仕事に田んぼ仕事。山に行き、薪を拾ったり木を切り倒したりして町で売る。それに加え、町で力仕事を募っていると、そこで働かしてもらい家計の足しにもした。特に欲がなかったので、稼いだお金は全て父親に預けた。
そんな日々を過ごしていると、町の茶屋で鬼ヶ島の話を耳にした。その日、父は用事があったらしく茶屋で時間を潰していた。すると、隣の席の商人らしき二人が鬼ヶ島の話をしていたのだ。男鹿島という孤島に鬼が住み、次第に鬼ヶ島と呼ばれるようになったという旨の話をしていた。
それを聞き幼い頃に読んだ草紙を思い出した。頭には角が生え、ごわごわした肌は煉瓦色をしており、髪は灰を被ったように薄汚れていて、人より二周りも三周りも大きい。人肉で腹を満たし、生血で喉を潤し、酔いを回す。草紙にはそう描かれていた。
しかし、あくまで草紙の中の話。実際にいるとは思っていなかった。茶屋で男達の話を聞いたときも噂話かと聞き流していたが、将軍が恩賞を出すと耳にした途端、現実味が帯びた。
あまりにも信じがたいので、商人に尋ねると町の立て札に帝からのお触れがあるそうだった。立て札を見に行くと本当だった。男鹿島を落とせば将軍と結婚させるとのお触れが言っていた。目を丸くし、隣にいた老人に話を聞くと、十日ばかり前にこのお触れが出されたみたいだった。
とても魅力的だった。鬼の首を獲れば今まで育ててくれた父と母に恩返しができる。しかし、腕力には自信があったが、武士などと比べればたいしたことなく、きっとその内どこかの大名が鬼ヶ島に攻めに行くのだろう、と諦めた。僕が鬼を倒すなんて一寸しかない法師が賊を倒す話程無理がある。
その後、父と落ち合い家に帰った。三人で囲炉裏を囲い、 他愛のない話をしていると、唐突に母が嫁の話を始めた。そろそろお前も嫁をもらったらどうかと言われ、確かに孫の顔を見せてやらなければ、と謎の使命感に駆られたが、そのうちにと返事をした。両親が七十近いのは分かっていたが、まだ自分には早いとどこかで言い訳をしていた。
幾日が過ぎたある日、暇を持て余したので、久しぶりに野に行った。仕事をするようになってから、野に行くことは少なくなったし、行っても誰もいなかった。友たちとも会わなくなり、彼らも何かしら仕事をしているのだろう、と寂しくも割り切っていた。
ただ、この日は友が一人で昼寝をしていた。自分が挨拶をすると驚いた顔をした。誰だか分かると、久しぶりだなと笑いながら体を起こした。
友は子供の頃からそのまま二回りほど大きくなっていたが、面影が残っていた。何年振りだ、最近はどうだ、もう一人の友とは会っているか、などといった近況報告をした。友は自分のこととなると、お茶を濁したが、終始笑顔で喋っていた。
話は結婚のことに移った。話を聞くと友もまだ結婚していない。流れで鬼ヶ島のことを話すと神妙な面持ちになった。帝の娘が欲しくなったのか、それとも金がほしくなったのかわからなかったが興味を持ったようだった。
そこで日が沈み始めたので、お互い帰ることにした。ただ、十日後に会う約束をした。幼い頃は、約束どころかまた明日とすら言ったことはなく、生まれて初めて親と仕事以外で約束とういものをした。そのせいか少し気の昂ぶりを覚えた。
きっかり十日後、事前に父に休みをもらって友と会った。今回はもう一人の友がいた。前に会った時に同じ村で働いているとは聞いていた。友は久しく会わぬうちにあか抜け男前になっていた。久しぶりだな、と声をかけると、まじめな顔をして、一緒に鬼ヶ島に行かないか、と誘われた。
驚いた。まさかとは思わなかったが、そのまさかだった。先日会った時に興味があるのは気付いていたが、行くと決意するとは予想もしていなかった。
友たちが行くのはまだいいだろう。ただ、自分も、というのは理解しがたい。しがない樵。鬼退治はなわばりではない。
友には自分たちを筆頭に出来ない理由があったのだ。頼む、とただただ頭を下げられた。
親と仕事以外で頼まれたことはなかったので、嬉しくつい引き受けそうになった。が、鬼のことが頭をよぎった。悪鬼羅刹、百目鬼、酒呑童子に茨木童子。草紙が言うのと実際に目の当たりするのでは話が違う。想像しただけで身が震えた。
友たちは私の胸中など露知らず、出発はいつにするか、行く前に帝に挨拶するべきか、僕が行くことを前提に話が進んでいた。
僕は無理だ、怖い。それに戦に行ったこともないし鎧を着たこともないし刀を持ったことないし弓を引いたことも矢を番えたこともない、と色々まくしたてた。
それなら大丈夫だと、暫く仕事を休めるかと尋ねられた。多少の貯えがあるから大丈夫だが、と答えた。そうか、なら明日も同じ時間に、と一方的に言われた。その日はそこで別れた。
家に帰り、父と母に鬼退治に行くから暫く休みをくれないか、とお願いした。両親は目を丸くし、喜んだ。それから、我に返り僕を引き留め始めた。
お前さんが鬼退治に行くのか、正気なのか、誰かに唆されたのか、あたしは心配だよ、と。まるで僕が鬼退治をするのは無理だという口調だった。
僕も一人の男である。お前は弱いから無理だと言われたら、むきになるのが男だ。片意地を張り、頑なに行く、僕は鬼の首を獲らなければならない、と言い切った。ただ、今思うと僕が鬼に囚われ生活していることを考えるとしょうもない見栄を張ったと後悔している。
頑なに譲らない僕を見兼ねた両親は説得を諦めた。お前の好きになさい。ただ、生きて帰ってきておくれ、と渋々納得した。いや、納得はしていなかっただろう。
明くる日になっても両親はいい顔をしていなかった。生きて帰ってきておくれという言葉を何回も繰り返しながら僕を送り出してくれた。あと、団子を持たしてくれた。道中食したが美味であった。
いつもの野に行くと、既に友たちはいた。挨拶を交わすと、ついて来てくれと言い、森へ歩きだした。男前の友を先頭に、そうでもない友を後にして森へと進んだ。
向かった森は仕事では行くより深い森で一度も足を踏みいれたことのなかった。そもそも男鹿島へいくのではなかったのだろうか、という疑問を胸に二人の後を歩き続けた。この間ずっと無言だった。半日ほど歩いた気がし、黒神山の麓まで歩いたのではないか、と思ったちょうどその時、前を歩いていた一人の友が着いた、と言った。
着いたと言われても、そこは一面に木々が並ぶだけで、奥には絶壁が見えるだけだった。
不思議そうに友を見つめ返すと、横に来いと、手招きした。友の脇に立つと、そこには里が現れた。藁でできた屋根たちの中に瓦でできた屋根が一つ見えた。
ついて来い、と言われたので言われた通りに後を追った。
里に入っても人が誰もいなかった。ここが友たちの生まれなのかと気になったが、静かすぎて友に声を掛けることを躊躇われた。家々の間を通り、瓦屋根の家の前に着いた。
きっと里の長の家だろう、鬼退治行くに当たって友たちの許可を取りに行くに違いない、などと考えていた。家から出てきた女性に案内され、大きな座敷の部屋に座った。
暫く待つと、白髭を蓄えた老人が出てきた。僕に仰々しい挨拶をしてから話し始めた。話をまとめると、友たちは別々の忍の一族で公に活動ができない。そのため主君を立てなければならない。故に鬼退治の筆頭になってもらえないか、ということだ。
既に鬼退治に行く決心は付いていたので迷わなかったが、何故そんなに回りくどいことを、と尋ねると我等は忍なので、と答えられた。それに、我等も恩賞がほしい、と付け加えた。
長の話は忍の歴史から始まったので、全部は覚えていない。簡単に言えば、十二支になぞられた忍の一族がいたが天下泰平も相まって稼ぎが思わしくない。そのため稼業を飛脚や見世物小屋に変えたりする一族もある。男前の友は酉と呼ばれる一族でこの里で育った。もう一方は戌の名を掲げる一族で黒神山の向こう側の険しい麓に里がある。ちなみに男前の名はぺんぎん、そうでない方はちわわという名だった。聞き馴染みのない響きだったので意を尋ねると特にないとのことだった。名は生まれた時にさいころで決める風習があるらしい。
話の最後に、男鹿島行くまで貴方を鍛える、と言った。鍛えると言われても何をするのかわからなかった。剣などまったくの素人、戦どころか喧嘩もしたこともない。そんな僕を鬼と戦えるようにするなんて、助けた鶴が恩返しに来てくれる話程無理がある。
次の明朝からちわわに稽古をつけてもらった。そして、三日で終わった。
教えられたことはふたつ。袈裟斬りとちぇすとのふたつだけである。ちぇすとと叫びながら踏込み斜めに相手を斬ることを授けられ、あとは素振りだけだった。体が人より大きかったので素質がある、とちわわに言われた。
五日目の朝、いよいよ出発の日である。まず町へ行き、奉行所に男鹿島へ行くと伝える。それから船で男鹿島へ行き、いよいよ鬼退治である。
里の長に礼を言い、必ず鬼を懲らしめに行くと誓った。この時、里で長と使いの女しか見なかったことに気付いた。忍だから姿を見せなくて当たり前だと気にしていなかったが、もしかしたらこの二人しかいないのではないかと思った。
里を出て町へと向かおうと一歩踏み出した瞬間、俵ほどの箱を背負った一人の男が僕たちの前に姿を現した。これといった特徴のない者である。
唐突に私目を鬼退治のお供にしてください、と言った。僕は驚いた。友たちは理由を聞かずに駄目だと答えた。そこをなんとか、と水掛のような問答を三人は繰り返した。
埒が明かないと思い僕は横から、先ず名を名乗れと言った。すると、私目には名はありません、呼び名が必要なら猿と呼んでくださいませと、答えた。
友たちは猿という名を聞いた途端に嫌な顔をし始めた。やはりこいつも忍だ、とぺんぎんが言った。どうやら身分を明かす前からわかっていたようだった。同じ干支の名を持つ仲間ならそんなに嫌な顔しなければいいのに、と思った。すると猿は、恩賞は金や地位ではありません、誰もが持っている物がほしいのです、そのためにお供させてくださいませ、と頼み込んできた。
そのときになって恩賞のことを考えた。友たちに恩賞のことを聞いてみた。
ちわわは土地がほしいとのことだった。畑がほしい、戌の里は水に恵まれず農耕ができない。そのために離れた地でもいいから水源がある土地を望んだ。そうなればもう忍をやらなくて済むからだ。
ぺんぎんは里に医者を呼びたいとのことだった。酉の一族は何代も早死にの家系らしく、険しい麓に里があるので医者を呼ぶにも診せるにも難しい。そのために医者を懇願した。
友たちは一族のため、家族のため、里のために鬼退治に行くのだ。半ば意地で決断した自分が恥ずかしくなった。
友たちのためにも男鹿島の遠征を成功させよう、ついでに猿も一緒に行こうみたいな流れになり、四人で男鹿島に鬼退治に行くことになった。猿は勢いだけでついてきた。
町へ着くと、奉行所へ向かった。既に鬼退治が済んでいたら、と不安がよぎったが、幸い誰も鬼退治をしていなかった。都の行き来で忙しいとか何とか。
奉行所で僕の名前を書くと、役人は船と武器を貸し出すから、三両を先に置いていけと言われた。
ぼったくりだった。手持ちは四人で二千文しか持っていなかった。灰を撒いて桜を咲かす程無理な話だ。ただ自分たちの武器は自分たちで用意しているので、なんとか値切って銭一貫で小さな小舟だけで貸してもらうことにした。
一晩町に泊り、とうとう決戦の朝を迎えた。船場に行き、男鹿島行きの舟に案内してもらうと、三畳あるかないかの大きさの舟の前に着いた。四人で乗るにはぎりぎりだった。
小さい。ぼろい。沈むぞこりゃ。鬼の前に奉行に殺された。散々友たちと言い合った。しかし、それはちょっとおかしくもあった。
いざ男鹿島へ、という僕の号で海に出た。鬼退治の筆頭らしいことはこれが最後である。
海にでるのも舟に乗るのも初めてであった。山で育った僕には眼前の紺碧の一面が夢のようだった。白波と反射する太陽の光が眩しいと感じた。自分の見たことのない景色、自分の知らない世界に酒ではない酔いを味わった。あと、舟にも酔った。
頼りない地図はしっかり男鹿島まで案内してくれた。島の周りは霧が立っており近づくのは容易ではなかった。
そこでぺんぎんの出番だった。酉の一族は空を飛ぶ術を持っている。ぺんぎんは僕たちを海に降ろし、舟の端に立った。友は舟の上を走り始めた。船尾から駆け、船頭を蹴り、空を昇った。ぺんぎんは空を飛びそのまま男鹿島の上空を旋回した。
暫くすると見えなくなった。半時ほどどんぶらこどんぶらこ海の上を浮かんでいるとぺんぎんが戻って来た。鬼はいたか、と尋ねると、いました、と答えた。舟をつけられる浅瀬があったのでぺんぎんの指示に従いそちらへ向かった。
その間に鬼の様を聞いた。額には角があった。しかし、草紙が言っていたのとは大違いだった。透き通るような白い肌をしており、瞳と髪は黒く、のようで、迫力に欠けていた。角も人参のように細く、体も牛蒡のようだ、とぺんぎんは語った。
いよいよ浅瀬に着き、男鹿島の土を踏んだ。少し霧がかっていたが、あまり気にならない程度だった。岩場の陰でこれからどうするか、と策を練っていると、猿が、私目が様子を見てこよう、と言った。箱から、なにやら道具箱を取り出し、顔に何かを塗り始め、粘土のようなもので何かを拵え額につけた。ぺんぎんは、私が見た鬼そっくりです、と言った。猿はそのまま町を見てきますと一言残して去った。岩陰で半時ほど待っていると、猿が戻って来た。
四人と額を突き合わして町の様を聞くと、普通でありました、と猿は答えた。普通とは、と違和感を覚えた。
そんな僕たちを他所に、それでは鬼退治に参りましょう、不意をつくにはこちらが最適です、と猿は言った。私は心を整理できないまま猿についていった。
猿が連れてきた場所は里の入り口であった。ここのどこがいいのかと首をかしげると、国の名を背負い鬼と戦うのですから正面からいきましょう、驚いて不意をつけるに違いありませんと猿は言い切った。
僕はあまり納得いかず、戌は長と将の首だけとればいいのではないかと言い、酉は黙りながらも心が乗らない顔をしていた。
それでも猿はああだこうだと理屈を並べ立て、僕たちは結局丸め込まれ正面から名乗りを上げて里に入ることになった。
ここで名乗りを上げるのは勿論筆頭の僕の役目であった。仕方なく道の中央に立った。
実際の名乗りは聞いたことないが、草紙で知っていたので見よう見まねで、我々は、と強張った声を轟かせたら、鬼たちは角なしだ、と叫びながら散っていった。想定外のことだった。後ろに立っている三人を見ると目を丸くして雀みたいな顔をしていた。私も同じ顔していたのだろう。
さあどうするか、もう一回策を練らなければならない、伏兵を潜ましているかもしれない、こっちは四人しかいないぞ、闇討ちをするか、など話していると里の奥からぞろぞろ鬼の男がでてきた。片手には木の棒を持っていた。
僕はどうすればよいのかわからず、おどおどしているとちわわが真っ先に飛び出し、一番前の鬼の顔を掴み竹とんぼのように回した。鬼は暫くふらふらとしていたがすぐに力なく倒れた。
それにぺんぎんと猿も続いた。私も遅れをとったものの、すぐにちぇすとと叫びながら鬼たちに斬りかかった。
鬼を斬るのは、というか生き物を斬るのは初めてであった。しかし、肉を斬った、骨に当たった、臓器に刺さった、そういう感触がわかった。あまりいいものではなかった。刀が血で悪くなるまで一所懸命、一心不乱、快刀乱麻に戦場を駆けた。否、出鱈目に刀を振った、の間違いだったかもしれない。覚えているのは肉に沈み込む刀の感触と眼を滾らせた鬼だけである。
どれくらい時が経ったか分からないが、ちわわが私の肩を叩いて戦いが終わったことに気付いた。足元には呻く鬼、這いずる鬼、震える鬼、草紙では語られたことのない鬼が転がっていた。細い白い脆い手足から光が奪われ、里を赤い死地に変えた。正に地獄だった。
猿が白髪で皺だらけの鬼を連れて来た。長であった。これ以上殺されると一族が滅びてしまうのでこれ以上はご勘弁を、どうか女子供だけは、と許しを乞いた。その言葉を聞いた僕たちは奉行所から頂いた書状を取り出して長に拇印を押させた。その書状には年貢やらなんやらが書いてあったが政治がわからない僕には関係なかった。
その後は鉈で鬼の首を切り落とす作業に入った。鉈を鬼の首元目掛けて振り上げ振り落とす。十ぐらいから手首を使うとうまく切り落とすことに気付いた。蒔を切るのと同じ要領だった。切り落とした首、三十程は麻の袋に入れた。その様子を鬼の子供にじっと見られていたのを覚えている。
日が沈む頃に舟を出し、漕いだり潮に流されたりしながら町に戻った。その間誰も口を開かなかった。ただし鬼の首の幾つかは口を開いていたのかもしれない。死んでいるのだから喋るわけもなく、言うとしたら僕への呪いの言葉だっただろう。
町に戻ったのは朝方だった。奉行所で鬼を退治した、と報告したら目を丸くしていた。信じてもらえてなかったのだろう。仕方がないので、書状と鬼の首を見せた。それでもすぐに信用してもらえなかった。役人やら学者やらが調べて漸く認めてもらえた。鬼より手強かったかもしれない。
それからは国一の武功者として扱われた。帝の末娘との婚約をすぐに決まった。ちわわやぺんぎんも褒美が貰えることになった。ただし、忍の一族ということなので公にはされない、ということだった。幕府お抱えの忍という話があったが彼らは断った。しかし報酬が貰えてとても喜んでいた。
宴も開かれた。初めて飲む酒は旨いとは言えなかったが、周りに勧められて無理に飲んだ。料理は美味だった。どれも一介の農民では食べれないものばかりで名前をしらないものばかりだった。一番旨かったのは桃である。黒神山でとれた桃はとても甘美で歯ごたえもあるが一瞬で口の中で溶けてしまい永遠に食べていた。一向に飽きず二度吐くまで食べた。私はこの桃から産まれたのだ、と叫んだが誰も信じてはくれなかった。自分も信じてはいなかった。
女もたくさん抱いた。初めて抱く女は柔らかく、いい香りがした。特に汗がよかった。自分の汗と同じ匂いで同じ味なのに一舐めするとどこか口寂しくなる。腰を振りながら永遠に腋を舐めていた。宴会は酒池肉林の如く三日三晩続いた。
また、そこで父と母が喧嘩して仲違いしていることを聞いた。父は町に行くついでに、湯女に入れ込んでいたらしい。しかもそこで女に縛り上げられたり叩かれたり、蠟をたらされてたりしていたらしい。山に柴刈りに、町にしばかれに行っていたのだ。母が怒るのも無理がないような気もする。
宴が終わり、いい気持ちで用意してもらった部屋で一人休んでいると、猿が入って来た。恩賞のことなのですが、と言われたので、将軍の娘に頼んでおく、と返すと、すぐに欲しいのです、と返された。
仕方なく体を起こし金か、山か、女かと問うと、いえ他に欲しいものがあります、と言った。それは何だ、何だってくれてやると言い放つとと、あなた様がほしい、と言った。
そのときの猿の顔は思い出せない。思い出そうとしても、靄がかかったようだった。その靄が晴れてものっぺらぼうだった。
思わぬ申し出で不意をうたれ、うろたえていると、猿が私の背後をとり、口を押え、短刀で頬を斬りつけた。
猿に口を押えられているせいで、叫んでも声は部屋から漏れず、助けが来る気配がない。
猿は耳元で裏口から出て、そのままこの町から去れ、と言った。誰にも会わず、一人でこれから暮らすのだ、と脅した。
私は黙って頷き、猿に言われた通り、誰にも気付かれずに、町を去った。なぜ抵抗しなかったか私にもわからない。もしかしたら猿の術だったかもしれないし、僕自身が逃げたかったのかもしれない。
ここまでが僕が送った半生である。暇があったので草紙の真似事をしてみた。
町を逃げ出した後、ずっと西に歩いた。三日三晩歩いた。歩き疲れたところに誰も住んでいない家があったので、そこで暮らすことにした。否、無人の家屋を見たから足が止まった気もする。
生計は前と変わらず木を切ったり畑を耕したりして稼いだ。力仕事はしなくなった。人と関わることが辛い。人との話し方がわからなくなったのだ。
父と母が心配だったが、すぐにどうでもよくなった。どちらも情けない大人だと思って諦めた。
他に変わったことと言えば、眠れない夜が増えたことだろう。目を瞑ると、辺り一面の鬼の骸、首のない父を抱きしめて泣く角の生えた子供と夫に痩せ細った手を合わせる妻、恨めしそうに睨みつける長。それらが眼にしがみつき、心臓の鼓動が早くなり、手先は冷たくなる。影が怖い。闇を恐れる。夜に震える。月を憎む。星を僻む。光を欲す。朝に安堵する。そんな毎日を送っている。鬼の仇討を怯えながら過ごしている。
だが、今のところ、鬼が攻めてくる様子はない。昼は柴刈りに、夜は鬼に怯える、そんな毎日を送っている。
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